「一々、面倒なんですよ。芭蕉さんの家に行くの。」 開口一番にそうのたまってみせた曽良に、喉元まで出掛かっていた「寒かったでしょ、早く上がりなよ」という言葉が引っ込んだ。 マフラーで隠れた口元や、すっかり赤くなってしまっている鼻の頭からも分かるように、曽良は相当な寒がりだった。彼が来る日には、電気代が跳ね上がる。こたつにエアコンという万全の態勢で迎えるからだ。芭蕉の心持ちとしては、曽良に寒い思いをさせたくないのが半分、断罪が恐いのが半分である。 そうして今日も迎え入れたというのに、この言われようは何だろう。呆然とする芭蕉を一瞥して、何事もなかったかのように曽良は「お邪魔します」と靴を脱ぎ揃えた。慌てて芭蕉も後を追った。
「芭蕉さん、台所借りますよ」とちゃっかり自分の分だけお茶を淹れてこたつに入り込んだ曽良を見ていると、どちらが部屋の主なのか分からなくなってくる。 それでもまだ、来てくれるだけいいのかもしれない。先程言われた台詞が頭をよぎった。そんな芭蕉の葛藤など知らない曽良は、勝手知ったるとばかりにお茶と一緒に持ってきたらしいみかんを剥いている。 不意に、曽良が口を開いた。
「芭蕉さん、さっきの話ですけど。」 「へ?」 「だから、一々行くのが面倒だって話です。」 「え、あ、うん…」 「何か、思うところはないんですか?」 そう言った曽良の頬は、外との寒暖差のせいか、うっすら赤くなっている。ぐす、と洟をすする音が部屋に響いた。
思うところも何も、別れ話ではないか。鼻の奥がツンとした。 「いや、曽良君が決めたことなら私は何も言わないけど…」 「…そうですか。じゃあ、来週にでも。」 そう言ってお茶を啜った曽良は、どこか嬉しそうに見えた。それにしても、来週、とはどういうことだろう。来週までは、曽良はここに来てくれるのだろうか。そこまで考えて、芭蕉は自分がとてつもない勘違いをしていることに気がついた。曽良は、「一々」来るのが面倒で、「来週にでも」通って来なくなるのだ。それは、つまり。
「……ここに、住むってこと?」 ポツリと漏れた声は掠れていて、やけに間が抜けているように感じた。向かいに座った曽良が訝しげな表情を浮かべる。 「それ以外に、何があるんです?」 「いや、何でもない!確認しただけ!」
自分は思った以上にこの青年に愛されているらしい。頬が緩むのが押さえられそうにない。曽良に「何ニヤケてるんです、気色悪い」と眉を顰められても、芭蕉の頬は緩みきったままだった。
「それじゃあ、帰ります。日程も決まったので。」と立ち上がった曽良がコートを羽織る。ドアに手を掛けようとした曽良を、芭蕉は軽く引っ張った。今までずっと座っていたせいか、いとも簡単にバランスを崩す。それを受け止めて腕の間に収めると、着たばかりのコートのボタンを外し始めた。不満そうに振り返った曽良が何か言う前に口を開く。
「泊まっていきなよ。」 いつもは勇気を出して言う台詞が、驚くほどスルリと口をついて出た。目を丸くした曽良に畳みかけるように続ける。
「明日、色々買いに行こうよ。食器とか、歯ブラシとか、タオルとか。お揃いのやつ。」 暫くして「……いい年してお揃いとか、恥ずかしくないんですか、」と目を伏せながら言った曽良の顔がうっすらと赤かったのは、きっと部屋の暖かさのせいだけではない。
リア充末永く爆発しろ!
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