小説 | ナノ





「疲れたんです、もう。生かすのも、殺すのも。」
バルコニーの手摺に体を預けながらクリフトは言った。感情が抜け落ちてしまったような声だった。「もう、無理です。」と続けた声は今にも泣きそうだった。

小さい頃から『優秀だ』『あの子はじきに偉大な僧侶になる』と期待をかけられてきた。自分が必要とされている気がして、嬉しかった。期待に応えるべく寝る暇も惜しんで本を読み、同級生が外で駆けまわる中必死で勉強した。元来体が弱かったこともあって、彼の生活の大半は読書が占めていた。
その甲斐あって、彼は飛び級をした。サントハイムの長い歴史の中で、数えるほどしか前例のない、異例中の異例ともいえる出来事だった。幼い体で、殆ど成人に近いような人々と一緒に授業を受けた。その中でも彼は上位の成績を収めた。
嫌がらせも受けた。身の回りの物がよく無くなった。狭くて暗い倉庫に閉じ込められたりもした。見えない場所に傷をつけられたりした。それでも彼は彼らを赦した。神の御心のままに。そう言って首からかけたロザリオをそっと握るだけだった。涙は一筋も流さなかった。代わりに、ふわりと慈愛に満ちた笑みを浮かべた。彼は神を愛していた。彼は神が愛した人間もまた、愛していた。傷は大抵ホイミで治った。ホイミは、彼が神学校に入って三日で覚えた最も初歩的な回復魔法だった。
結局、彼は神学校を首席で卒業した。十四歳だった。
卒業して直ぐ、彼は王宮に入ることになった。城付神官と、サントハイム第一王女アリーナの家庭教師との兼任だった。今までに前例のない人事に戸惑いの声も多く上がったが、一カ月も経たないうちに霧散した。それくらい、彼は優秀だった。加えて、アリーナも彼によく懐いた。
アリーナが十六になった時、城を抜け出した。彼は宮廷魔導師と共にそれに同行した。最初は回復に徹していたが、それだけでは長期戦を免れなくなってきた。必要に迫られて剣を取り、魔物の体に突き立てた。緑や青の血は、何度浴びても慣れなかった。宿でどれだけ洗っても、服に染みついた血の臭いは完全に落ちることがなかった。押し寄せてくる不快感に気付かない振りをして、彼は主君と上司を癒し、血を浴び続けた。

ソロが初めて見た彼は、青白い顔をしてベッドに横たわっていた。うなされながらも時折主君の名前を熱に浮かされた声で呼んでいた。
パデキアの根を飲んで回復し、戦闘に参加するようになった彼は、聖職者とは思えないほど禁呪と呼ばれる即死呪文をよく使った。効果が無い魔物にも使うので、ソロは何度かやめるよう言おうとした。しかし、いつも崩さない笑顔をくしゃりと歪め、今にも泣きそうな顔で禁呪を唱える彼を見て、何も言えないままに終わった。また彼は、どんなに些細な傷でも回復した。無駄と言われようと禁呪と過剰な回復を止めない彼は、血を恐れているように見えた。
事実、服に血を浴びた日の夜、ソロは必死の形相で石鹸を服に擦りつける彼を見た。傍目にはもう血の色など分からないのに、ごしごしと布を擦る手を止めようとはしなかった。あの時も彼は、きっと泣きそうな顔をしていたのだろう。


そうして、今に戻る。堰を切ったようにほろほろと涙を零し、時折子供のようにしゃくりあげながら彼は「ごめんなさい」と繰り返した。ソロはそれを見ていることしかできなかった。暫くして嗚咽が止む。服の袖で涙を拭いながら、「取り乱してすみません、気にしないで下さい。もう大丈夫です。」と言った彼の目元は少し腫れていた。それでもふわりと笑ってみせる彼を見て、何だかやりきれなくなって思い切り抱き寄せると、体はすっかり冷え切っていた。驚いたように見開かれた彼の目から、涙が一粒ぽろりと零れ落ちた。



――生きとし生けるものは皆神の子。
それじゃあ、彼は神の子を殺しているのか。彼が愛した神の子供を。

(110921)



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -