小説 | ナノ





風呂上がりの姫様の髪の毛を乾かすのは、最早日課のようなものだった。

ふわふわの猫っ毛はドライヤーでは傷んでしまう。丁寧にタオルで拭いていると、徐に戸が開いた。ソロさんが上半身裸のままでガシガシと乱雑にタオルに髪を押しつけながら部屋に入ってくる。暑いのは分かるけれど、姫様もいるのだからせめてシャツくらい身に着けてから出てきて欲しい。ついでに言えば髪をもう少し丁寧に拭けないものか。あれでは髪が痛んでしまう。

じっとこっちを見ていたかと思うと、「何か、親子みたいだよな。」と一言言った。

「……そうですか?」
「おー。アリーナが娘でお前がかーちゃん。」
「…性別的に考えて、普通は父親だと思うのですが」
「でも、どっちかっていうとクリフトはお母さんっぽいわよね。」

うんうん、と頷きながら同意されると何だか複雑な気持ちになる。姫様に悪意がないのは分かっているが、ソロさんは完全に面白がっている。はあ、と溜息を吐くと、「幸せ逃げんぞー」と笑いながら言われた。誰のせいだと。
少しの恨みを込めて睨みつけていると、くいくいと袖を引っ張られる。見れば姫様が髪の毛を指して、こちらを見ていた。

「ね、続きやってよ。おかーさん。」
「もう、姫様まで…。」

一緒になってふざけないでくださいよ、と続けようとしてハッとする。こちらをじっと見つめる顔は、どこか寂しそうに見えた。
そういえば、と十年程前の事を思い出す。姫様が物心ついた頃には王妃様は既に病気で寝たきりの状態だった。国王様はそれを気にかけて、色々な世話係をつけたけれど、姫様が懐く事はなかった。仕方のない事だとは思う。一番母親が恋しい時期に、扉一枚隔てたその先にいるにも関わらず、会う事すら叶わなかったのだから。丁度、部屋を抜け出す癖が出たのもその頃だった。会いたかったのだろう、きっと。
私を亡き王妃様に重ねる事でその気持ちを和らげられるのなら、母親らしく振舞う事など何の苦にもならない。

ふと顔を上げると、どこか羨ましそうな顔でこちらを見るソロさんが視界に映りこんだ。
ああ、そうだ。この人も。
寂しいなら自分から手を伸ばせばいいのに、それすらできないでいる。

「姫様、お兄ちゃんは欲しくないですか?」

傷つけないように慎重にタオルで髪の毛を拭きながら問うと、ぱちぱちと瞬いた後、満面の笑みを浮かべて「うん!」と頷いた。弾かれたように顔を上げたソロさんに小さく手招きをする。
手を伸ばす事を躊躇っているようなら、こちらから差し伸べればいい。

「呼ばれてますよ、お兄ちゃん。」
「……俺?」
「他に誰がいるんです。」

ポンポン、とソファーの空いている部分を軽く叩いてみせると、戸惑いと隠しきれない喜びが綯い交ぜになったような表情をしながら、すとんと腰を下ろす。瞬間、髪の毛から滴り落ちた水がズボンにかかって染みを作った。

「姫様、ソロさんと場所を交代してくれますか?……お兄ちゃんの髪の毛も乾かさないと、風邪をひいてしまいそうなので。」
「うん、いいわよ。」

ポタリポタリと規則的に滴る水は、いつしか床に小さな点をいくつも描いていた。「タオルを持ってきていただけますか?」と頼むと、「待ってて!」と元気に駆け出していく。従者が主君を使うなど本来は許されないことだが、今日は咎める者もいない。
1分もしないうちに戻ってきた姫様の手には、真っ白なタオルが握られていた。今日干したばかりのタオルはふわふわと柔らかい。髪を挟んで軽く叩き、丁寧に水気を吸い取っていく。

「せっかく綺麗な髪なんですから、ちゃんと手入れしないと勿体ないですよ。」
「…おー。」
「あまりタオルで擦らない事。間違っても、自然乾燥なんてしないでくださいね。」
「……おー、」
「…眠いですか?」
「……おー…、」

これはもう返事をしなくなるのも時間の問題だろう。ベッドまで運ぶのには姫様の力を借りなくてはならない。自分一人では持ち上げられないのだ。情けない話だが、自分の力のなさは自分が一番良く分かっている。

「すみませんが姫様、ソロさんを運ぶのを手伝っ…て……、」

振り向くと、いつの間にかすやすやと寝息を立てている。これは起こせない。ソファーで身動きがとれなくなってしまった。何とか届いた足で、ベッドの上にある毛布を引き寄せる。行儀が悪いが他にどうしようもないのだから仕方ない。風邪をひかないように体全体を覆うようにして毛布をかける。二人とも髪はほとんど乾いているから、後は自然乾燥でもそうは傷まないだろう。

おやすみなさい、と呟いて、明るい部屋の中で目を閉じた。


明るい疑似家族計画

(110806)



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