小説 | ナノ





「はじめまして、アリーナ様。今日から話し相手を務めさせていただきます、クリフトです。」
鈴が鳴るみたいな高くて澄んだ声で挨拶をした後ペコリと頭を下げたその子は、私より3つ年上だと言った。サラサラとした深い青色の髪が、開け放った窓から入ってきた風に吹かれてふわりと舞い上がった。

「はなしあいてなんか、いらない!」
キッと睨みつけると、その子を連れてきた世話係がおろおろと狼狽える。ですが姫様、と口を開いた世話係の話を最後まで聞くことなく部屋を飛び出した。途端に「姫様!お戻りください!」と悲鳴に近い声が上がる。それを無視して長い廊下を走り続けた。





「いらっしゃったか!?」
「いや…。まだ探していないところを隅なく探せ!」
「外には出ていない筈だ!」

怒号が乱れ飛ぶ中、私はじっと息を潜めていた。小さい体は豪華な調度品の陰に隠れてしまう。誰も弁償なんか出来っこない程に高価な像や陶器の陰は身を隠すのに丁度良かった。目的地は調理室の換気用の小さな窓。鍵が壊れているのを偶然発見して以来、そこは私がお城から抜け出すための抜け穴となっていた。
大人たちの声が聞こえなくなったのを見計らって抜け出し、再び長い廊下を走り出した。

木の戸を手で押し開けると、キイ…と軋んだ音がした。入る前に廊下を見渡したが誰もいない。皆上の階へ行ってしまったようだった。中に入り戸を閉める。ホッと息を吐くと、トントンと弱い力で肩を叩かれた。驚いて振り向くと、そこには先程会ったばかりのあの子が立っていた。

「なん、で…」
ここが、分かったの。
目でそう訴えかけると、その子はにこりと笑って口を開いた。さっき、あんなことを言って碌に目も合わさずに部屋を飛び出してしまったのに。

「アリーナ様の気持ちになって考えてみたんです。」
「わたしの…?」
「はい。アリーナ様は、生まれたときからお城の中で暮らしていらっしゃいます。ですから、お城のことはきっと私のようなものより御存知の筈です。闊達とした方だと聞いていましたので、お城の隅々まで探索していらっしゃるだろう、と思いました。どこに見張りが立っているかも知っている筈ですから、正門は勿論のこと、扉から出ることはまずないとも思いました。」

今思えば、ここで逃げてしまえばよかったのだ。でも、すらすらと淀みなく喋るこの子から目が離せなかった。

「そうすると、次に安全な脱出口は窓です。なので、1階の窓だろうと見当をつけました。」
「…どうして?」
「高いところから落ちて怪我をしたら当分お城の外にどころか部屋からすら出られなくなってしまいますから。そのようなことはなさらない方だと思ったのですが……違いますか?」
「ううん、ちがわない。じゃあ、なんでここだとおもったの?ほかにもたくさんまどはあるわ。」
「ご飯を作るとき以外人があまりいないから、というのもあるでしょうが…一番の理由は、アレですね。」

そう言って指さした先には、私が抜け穴として使っている小さな窓があった。この子は何でも知っているみたいだ。

「あそこの窓…、外に食材の入ったタルがありますよね。アリーナ様の背丈だと、お城から出ることは出来ても入るには踏み台がいる筈です。丁度、あのタルぐらいの。」
「……いまのはなし、ほかのひとにするの?」

今の話をきっとこの子は他の大人に話すだろう。世話係や兵士、もしかしたら、お父様にも言うのかもしれない。大人たちが知ったら、きっとあそこの窓は塞がれてしまう。部屋から出るのだって今よりずっと難しくなる。どうか言わないで、と頼もうと口を開きかけた私の耳に聞こえてきたのは、考えてもいなかった返事だった。

「いいえ、しませんよ。」
「どうして?わたし、またぬけだすかもしれないのに。とめないの?」
「私がアリーナ様だったら。同じ場所でずっと過ごしていて、窓からは同じ景色しか見えなくて、近い年の友人もいなかったとしたら。私はきっとアリーナ様と同じように退屈なお城を抜け出して空の下に出たい、と思うでしょう。それを私が止める権利など、どこにあるのです?」

驚いて目を見開く。今までそんなことを私に言った人はいなかった。外で走り回りたいなどと言おうものなら、皆が皆口を揃えて「おしとやかになさいませ」「一国の姫ともあろうお方が」と眉をしかめるのだ。

「……でも、つぎはみつかっちゃうかもしれないわ。」
「今度は私も一緒に脱出方法を考えます。アリーナ様にいつか、どこまでも続く空を見せて差し上げます。ですから、私をアリーナ様の話し相手にならせてくれませんか?」

しゃがみ込んで目線を合わせたその子――クリフトはそう言って首を少し傾げて見せた。こくりと力一杯頷くと、「では、今日は一旦部屋に戻りましょう。」と手を差し出される。その手をしっかりと握って長い廊下を歩き出した。ふと、さっきの『今日は』という表現が気になって訊ねると、きょとんとした顔で数回瞬く。暫くして思い当たったのか、「ああ、」と声を漏らした。少し屈んでこそりと耳打ちをされる。その言葉に思わず顔を見上げると、クリフトは「ふふっ、他の人には内緒ですよ?」と人差し指を口に当てながら笑ってみせた。


「明日から、作戦会議ですね。」


(110609)



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