小説 | ナノ





かち、かち、と時を刻む秒針の音だけが部屋に響く。布団にくるまったまま腕を伸ばして時計を引き寄せると、いつもならとっくに起きている時間だった。瞬時に眠気が吹き飛び、ヤバい朝飯作らなきゃ、と慌てて布団を跳ね退ける。顔を洗って、服を着替えて、キッチンの戸を押し開けると、マグカップを持った父親と目が合った。白衣ではなく、エプロンを身に纏った父親は、いつもならまだ机に突っ伏して寝ている筈なのに。
「ああ、おはようシーたん」
「え、何で、」
「シーたんの誕生日だからね」
朝ご飯も作ってはみたんだけど、と視線をテーブルに向けた父親に連られて首を動かす。行き着いた先には、焦げたトーストに歪な形の目玉焼き、野菜の大きさが不揃いなサラダ。よくもまあこれだけ簡単なメニューでここまで失敗できたものだ。呆れつつ椅子を引いて手を合わせる。不揃いなキュウリを口に運ぶと、やたらと甘かった。塩と砂糖間違えるって、馬鹿じゃないのか。
「牛乳以外は悲惨だな」
「手厳しいなあ」
へらりと情けない顔で笑う父親の右手は、ポケットに突っ込まれたままだ。きっと、真新しい絆創膏が貼られている。

「お誕生日おめでとう、シーたん。」
そう言って、くしゃりと俺の頭を撫でる。いつもだらしなくて俺がいないと何にも出来ない癖に、こういう時だけ父親の顔をするなんて卑怯だ。こみ上げてくるむず痒さを誤魔化すようにジャムを塗りたくったトーストをかじると、黒く焦げたパン屑がぱらぱらと零れ落ちた。

***

荒れ果てた土地を淡々と進んでいくだけの単調な毎日。日が暮れてきたら野営の場所を決めて、寝て、起きたらまた歩く。退屈だと感じる心は、自分でも気がつかないうちにどこかに置き忘れてきてしまったようだった。

「今日、誕生日ですよね」
焚き火の中でぱちん、と間抜けな音を立てて枝が爆ぜる。それじゃあ、今日は5月4日なのか。興味を失って以来日付の感覚も殆ど無い。
曇った空を見上げながら、ああそうだったっけ、と気のない返事をした俺に、彼は何を思ったのだろうか。大したことはできませんけど、と前置きをして、立ち上がった。強い魔力が込められた光の球を、空一面を覆う雲に向けて思い切り打ち上げる。綺麗に晴れた空には、満天の星が広がっていた。黄色、白、青。色とりどりの光の粒が瞬いて、時折弧を描いて流れていく。瞬きも忘れて見入っていると、不意に視界がぼんやりと滲んだ。次いで、生温い水が止めどなく頬を伝う。自分が泣いていることに気づくまでには、暫く時間がかかった。悲しくなんて、無いはずなのに。
「なあ、」
「はい」
「おかしいんだ。」
「何がですか?」
「嬉しいのに、涙が出てくる。」
「おかしくなんかないですよ。」
ぽろぽろと零れ落ちる水を、俺より一回りも二回りも大きい手がぎこちない手つきで拭う。

「お誕生日おめでとうございます、クレアシオンさん。」
消え入りそうな声で呟いた感謝の言葉は、それでも彼の耳には届いたらしかった。
たまには、上を向くのも悪くない。

***

早起きは苦手だけど、今日だけは絶対起きなきゃいけなかった。一年に一回だけの、大切な日。
眠い目を擦って、温かいブランケットの誘惑を断ち切って、服を着替える。冷たい水で顔を洗うと、大分気分がすっきりした。太陽はまだ顔を半分ほどしか見せていなくて、外はまだ薄暗い。
階段を下りてキッチンに入ると、アルバさんはもうエプロンをしていた。ふんわりと漂う甘い匂いに誘われるようにして小さな鍋を覗き込むと、くつくつと何かが煮えている。
「あ、おはようルキ」
「うん、おはようアルバさん」
私も手伝いたい。火を止めたのを見計らって告げると、じゃあおいで、と手招きをされる。私がエプロンに袖を通す間に、器用に髪の毛を結んでくれた。お母さんみたいだね、と言ったら苦笑いをされる。
ちょっと不恰好になってしまったフルーツを器に入れて、サイコロみたいな形をした寒天を落とす。冷ました小豆をかけて、バニラアイスと生クリームを乗せる。完成したそれを冷蔵庫に入れて、ふと時計を見上げると、7時を指していた。
「アルバさん、そろそろ!」
「え、あ、本当だ!」
使った調理器具もそのままに、二人して慌ててエプロンを脱いだ。そろそろ、ロスさんが起きてくる。どきどきと心臓の音がうるさい。アルバさんもどこかそわそわしている。とん、とん、と響く音は、彼が階段を下りる音だろうか。全部の神経を集中させて、少しずつ近づく足音に耳を澄ませる。
ぎい、と扉が軋む音に合わせて、手に持ったクラッカーの紐を思い切り引いた。破裂音と、飛び散るカラフルな紙テープ。今日の主役は驚きに目を丸くしてその場に立ち尽くしている。もう一人の仕掛け人と視線を合わせて頷き合った。口の動きだけでせーの、と言ったアルバさんの後に続けて、押さえこんでいた言葉を唇に乗せる。打ち合わせはしていないけれど、きっと言う事は一緒の筈だ。

「誕生日おめでとう、ロスさん!」
ぽかんと口を開けたままのロスさんは、普段の冷静な彼とは似ても似つかなくて、何だかおかしい。

(130504)



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