小説 | ナノ





数年間愛用していた携帯電話を、うっかり水没させてしまった。データは外部メモリに保存されているから大丈夫だが、本体は内部まで水が入り込んで使いものにならないらしい。
「こちらの機種は数年前のモデルですので、本体を取り寄せるとなると時間もかかりますし、お値段もお高くなってしまうんですね。ですから、新しい機種を買ってデータを移された方が…」
ショップのお姉さんに勧められるがままに最新型のスマートフォンを選び、言われるがままに契約を済ませる。正直なところ「はあ」「じゃあそれで」ぐらいしか言った記憶がないのだが、「ありがとうございましたー」と営業スマイルで送り出された僕の右手には、保証書と取扱説明書、新品の携帯電話一式が入った紙袋の持ち手がしっかりと握られていた。

***

家に帰って紙袋の中身を取り出す。箱を開けてみると、黒いメタリックボディのスマートフォンが入っていた。充電器を引っ張りだして、コンセントに繋ぐ。充電ランプが点灯したのを確認して、説明書を手に取った。ページを捲ると「コンシェルジュ機能が搭載された当機種は、快適な生活を貴方にお約束します」の文字が真っ先に目に飛び込んでくる。説明によると、人工知能のようなものが搭載されていて、スケジュールだとかアドレス帳だとかの管理を機械が行ってくれるらしい。

「…便利な世の中になったなあ」
『でしょう?』
「うん……うん!?」
何気なく呟いた独り言に返事が返ってくる。反射的に声のした方に顔を向けると、すらりとした男性が僕を見下ろしていた。黒髪に赤い目。背は多分僕より高い。しかもイケメン。驚いて座ったまま後ずさると、目の前の彼は訝しげな表情で首を傾げた。
『何驚いてんですか』
「自分の部屋に見知らぬ男がいたら驚くだろ!」
『女なら驚かないんですか?』
「そういう問題じゃなくて!ていうかそもそも誰だよお前!!」
『誰って……貴方の買った携帯ですよ。何言ってるんですか。』
ほら、と服の袖を捲り上げる。そこにはシリアルナンバーのようなものが刻まれていた。その下には「Master: Alba」の文字と、契約した日付。慌てて説明書の文字を目で追うも、「長年の研究を経て開発された、意志を持った学習型人工知能を搭載。私生活でも貴方のよきパートナーと……」と説明が続いているだけで人型なんてどこにも書いていない。説明書と目の前の男を交互に見ていると、『じろじろ見ないでください』と額を叩かれた。ぱしん、と音を立てた額は普通に痛い。もう何が何だか分からない。

『いつまで驚いてるんです、いい加減初期設定ぐらいしてください』
「いや普通驚くだろ!?」
『もうそのネタ飽きましたって』
「ネタじゃないよ!!」
『ああもう進まないんで適当に設定しときますね。えーっと、ユーザー名、アバラでいいですか?』
「よくないよ!!」
言いたいことは山ほどあったが、彼に任せるとろくでもない設定にされそうだったのでぐっと堪える。そもそも携帯電話に「彼」というのもおかしな話だ。いくつか質問に答えた後、『設定が完了しました』と事務的な声で彼が告げたのを見計らってこっちから話しかける。

「携帯なんだよね?」
『何回も言ってるじゃないですか』
「電話とかって、どうやってするの?」
『普通に喋ってくれれば、マイクで拾いますよ』
「メールは?」
『文面を言ってくれれば打ち込みます。タッチパネル入力もありますけど、どうせアンタ機械音痴でしょう。』
核心を突かれて言葉に詰まった。さっきから思っているのだが、この携帯、僕をナメてる気がする。前の携帯のデータは引継いでおきますね、と言ってくれる辺り、悪いヤツではなさそうだけれど…と考えてハッとした。ダメだ、携帯を人扱いし始めている。それでも、頭を抱えて葛藤する僕に『データ引き継ぐんで、SDカードください』と声をかけた彼は、やっぱり人にしか見えなかった。データを読み込んでいる彼の横顔を見ながら、大事なことを聞いていなかったことをふと思い出す。

「そういえばさ、名前とか無いの?」
そう尋ねると、彼はきょとんとした顔でゆっくりと瞬きをした。
『設定されていませんから…まあ、ないってことになりますね』
「それじゃ呼びにくいからさ、何か無いの?機種の通称とか」
『俺の人工知能には一応Reliable Operation Systemって名前が付いてますけど』
綺麗な発音で言われた英単語に、頭がついていかない。恥ずかしい話、英語の成績はそんなによくなかった。疑問符を浮かべた僕を見て、溜息を吐いた彼がポケットから薄い透明な板を取り出す。ほら、と見せられたそこにはスペルが表示されていた。
「リライアブル・オペレーション・システム?」
『はい。それにしても発音悪いですね。』
「悪かったな!じゃあ、頭文字取ってロスとか」
『ロス、ですか。いいですよ、それで。』

ふ、と薄く笑った彼を一瞬でも綺麗だと思ってしまったのは、内緒だ。

(130326)



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