12
「夕妃っ!」
名前を呼ばれるのと温もりに包まれるの、どちらが先だったんだろう。
背後から急に抱きしめられて思わず身を固くした私の視界に入ったのは、肩に触れるミルクティ色。
「やっと……、やっと逢えたわ……、夕妃」
耳元で囁く声は、あの頃よりも低いけれど。
こんな風に名前を呼んでくれて、更にミルクティ色の髪を持つ人などひとりしか知らない。
「くら……くん、なの?ホントに……?」
腕を解いて彼の方に向き直れば、あの頃よりずっと高い位置にある彼の顔が綻んだ。
「あぁ」
最後に東京で見かけた時よりも更に大人っぽくなった彼。
だけど、私に向けてくれる笑顔は大阪で隣に居てくれた頃と全然変わっていない。
「お帰り、夕妃」
そっと彼が1歩こちらへ近付いたと思うと同時に、今度は正面から優しく抱きすくめられた。
「……ずっと、逢いたかった」
「っ、蔵くん……っ、蔵くん……っ!」
熱を帯びた低音に、涙が溢れる。
逢いたいと思っていたのは私だけかもしれないなんて考えていたのに。
「わた、しも……っ、私も逢いたかった……っ!」
「うん」
10年近く抱き続けてきた想いを口にすれば、抱きしめる腕に力が込められる。
「……っく、ごめっ、なさ……いっ!」
黙って離れてごめんなさい。
逢えたなら、真っ先に伝えたかった謝罪の言葉は、嗚咽で意味を成さない言葉の羅列にしかならなかった。
「もうええ、ええから」
彼の胸に縋りつくようにして泣きじゃくる私の背を擦ってくれる彼は、あの頃と変わらず優しい。
「夕妃は悪ないんやから、謝らんでええよ」
悔し涙を流していたあの頃に戻ったみたいに、私は彼の腕の中で思いっきり泣いた。
「……落ち着いた?」
嗚咽が収まった私を心配そうに覗き込む彼に小さく頷き返すと、そっと頭を撫でられた。
「こんなに早う、願いが叶うなんて夢みたいや」
私の髪を指で梳きながら、吐息混じりに呟く彼を思わず振り仰ぐ。
「願いって……?」
「これ」
彼が見せてくれたのは、キーホルダーの先にぶら下げられたビリケンさん。
「蔵くんもお願いしたの?」
偶然の一致に目を見開く。
「“も”ってことは……。夕妃、もしかしてビリケンさんの絵馬書いとったりする?」
「うん」
何で知ってるの、と問えば、
「逢いたいって書かれた絵馬みて、字が夕妃のに似とったからもしかしてって」
それでここに来たんや。
蔵くんの言葉に胸が熱くなる。
そんな些細なことまで覚えててくれたんだ。
「きっと、神さんが俺たちを惹き合わせてくれたんやな」
「……かもね」
はにかむように笑う彼に、私も照れた顔で頷けば、もう1度強く抱きしめられた。
穏やかな静寂が2人を包む。
私は彼の温もりを確かめるようにそっと彼の背に腕を回した。
「……なぁ」
「……ねぇ」
そうして抱きしめあってどれくらい経ったんだろう。
2人して呼びかけて、互いに顔を見合わせて笑う。
「蔵くんからどうぞ」
「おおきに。……やったら、ちょっと目瞑って腕だして」
「こ、こう……?」
彼に言われた通り、目を瞑り恐る恐る腕を差し出す。
「そう、そのまんまちょっとじっとしとって」
何されるんだろう。
少し不安が胸を過る。
「ん。よう似合う」
カチリという金属が嵌る音と同時に目開けてええで、と蔵くんが言った。
「こ、れ……!」
左腕に嵌められていたのは、ブレスレットみたいな腕時計。
シルバーチェーンにピンクの花が散りばめられたそれは、正しく、
「そ。2人で映画デートした日に見つけたやつに似てるやろ?」
私の思考の先を彼が口にした。
「覚えてて……くれたの……?」
「当たり前や。夕妃との思い出、忘れたことなんてひとつもあれへんよ」
腕時計と彼の顔を交互に見比べる私に、彼は自信たっぷりに言った。
「それに、その……夕妃を好きやって気持ちも、変わってへん。今でも、好きや」
中学1年の頃、この場所で告白してくれた時のように頭を掻きながら、それでもあの頃よりもはっきりと彼の口から出た言葉。
「夕妃は、どう……!?」
どうなん?という疑問詞は途中で途切れた。
私が彼に抱きついた所為だ。
「私もっ、私もずっと好き……!」
言葉にするだけでは物足りない気がして、彼を抱きしめる腕に力を込める。
2度と離れ離れにならないよう祈りを込めて。
「ずっとずっと傍におる。何があっても、この先2度とこの手を離したりはせえへんから」
蔵くんの力強い手が私の腕を解いて、細いけれど骨ばった指が私の両手に絡められる。
私の目線に顔を合わせて、瞳を覗き込むようにして彼が言った。
私の不安を掻き消すように。
「うん…っ!」
微笑んで頷くと、蔵くんは柔らかな笑顔になって。
「愛しとるで……、夕妃」
低い声で囁くとゆっくり顔を近づけて。
素直に目を閉じれば唇が重なり合った。
そのキスはまるで魔法のように
止まっていた2人の時間を動かし始めた。
――fin.