10


「あった……」

昨日は露店商、一昨日は通天閣。
更に前の日には四天宝寺。
ここ最近彼との思い出を甦らせる事柄に遭遇してばかりな気がする。
しかも、それぞれ何処かしら変化があって、10年近くという時間の長さを自覚させてくれるものにばかり。

それでも、変わらないものがあればいい。
何かひとつでも変わらないものがあれば、この胸に抱く切なさも少しは軽くなるような気がして、午前の講義が終了すると、真っ先に電車に飛び乗った。

自宅から更に向こうへ3駅。

彼と最後にデートで訪れた場所。
当時から小さな映画館だなと思っていたから、もう潰れてしまっただろうと思っていたのに。
扱っている作品の最終上映時間を過ぎていたから、中には入らなかったけれど、それでもまだこの映画館が残されていることに驚くと同時に、感動すら覚えた。
変わってばかりのようで変わっていない街。
変わらないものはあるのだと、信じさせてくれる気がした。

ふと、脳裏にある景色が浮かぶ。

1番変わらないでいてほしい場所。
もし変わっていたら、と考えると怖くて、大阪に帰ってきてからも足を向けようとは思わなかった場所。

私と彼の2人だけの秘密の場所。

今もまだ残されているだろうか。



『ちょっと寄り道せえへん?』
それは、今とは真逆の、まだ少し蒸し暑い季節のこと。
いつものように2人で居残り練習を終えて、彼と一緒に帰宅していたその途中、普段ならそれぞれの家へ帰るために別れる交差点で、彼が悪戯っぽく笑って言った。
私はそんな彼の表情に、何か楽しいことでもあるのだろうかと思って、即座に頷いた。

『わぁっ……!』

彼に手を引かれてたどり着いた場所は、どちらの家路とも違う坂道の先にあった小さな公園。
雑木林を抜けた向こうに、少し開けた場所があった。

『綺麗やろ?こないだ試合の帰りに見つけてん』

したり顔の彼に私はしきりに頷き返す。
切り立った崖みたいになっているその場所から見える街並は、夕焼けに染まっていてとても綺麗だった。
『気に入った?』
『うんっ!』
勢い良く首を縦に振った私に、彼は良かった、と笑顔を返した。


『……あんな、夕妃』
オレンジの陽射しに煌めきながら、太陽が沈むにつれて変化していく街を眺めていると、彼が急に真面目な声で私を呼んだ。
『なん?』
『あー、その……ちょお聞いて欲しいことあるんや、けど……』
何やら言いにくそうに頭を掻く彼。
いつも隣のコートで、他の1年生部員を堂々と引っ張っていく姿を見てるから、こんなふうに言い淀む姿は珍しい。
次の言葉を待つ私に彼が告げた言葉は。

『その、俺な……、夕妃が、好きやねん。……夕妃の気持ち聞かせて貰えん?』

その時の彼の顔は夕焼けに染まる街以上に紅かった。


その日から、私たちは恋人同士になったんだ。


***


思い出を振り返りながら、歩いているとその場所が見えてきた。
閑静な住宅街の中の小さな公園。

「よかった……」

公園に緑を添える雑木林を抜けると、視界いっぱいに高層ビルが立ち並ぶ街が広がる。
まだ夕焼けには少し早いし、見渡す景色も少し変わっているけれど。
それでもまだこの場所が残されていたことが嬉しかった。

ここは彼から告白された場所であると同時に、2人の思い出が1番詰まっている場所でもあったから。

テニスの調子が悪いとき。
試合で負けてしまったとき。

悔しさで唇を噛み締めていた私を、彼は決まってここに連れてきてくれた。
そして、私の想いをただ黙って聞いてくれて、時には泣きじゃくる私の背を撫でてくれた。

『また次があるやろ?一緒に練習してもっと巧くなろ。2人で』

私が落ち着くと彼は決まってそう締めくくる。
そして言葉通りに、練習に付き合ってくれて、悪いクセとかも指摘してくれた。

それに。

『夕妃、目瞑って』
私が晴れて校内ランキングで初のベスト4入りを果たした日。
彼の言う通りに目を瞑ると、柔らかな感触が唇に触れた。
『……俺からのお祝い、なんてな』
照れ臭そうに笑う彼に、キスされたことを悟って、体中が熱くなったのを今でも覚えてる。

あれが、最初で最後のキスだった。
触れ合うだけの、優しいキス。


唇に感じた熱は今でもはっきりと残っているのに、隣にあったはずの温もりに触れることはもうできない。

『夕妃、寒ないか?』
『ほれ、このマフラー貸したるから』

夕暮れ時の涼風に、彼の言葉ばかりが甦る。

「……よぉ…っ、」
溢れる感情を口にすれば、自ずと視界がぼやけてくる。

逢いたい。
もう1度。
例え忘れられていたとしても。

もう1度だけでいいから。


「逢いたいよぉ……っ、蔵くん……!」


涙で滲んだ夕焼けの街に向かって叫んだ。




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