08


「あーあ、ヒドイ顔」
朝起きて1番、鏡に映る自分を見て、思わず呆れる。
あれから堰を切ったように止まらなくなった涙。
そのせいで、昨日も家に帰って鏡をみると、通天閣に提げてきた絵馬みたいにアイラインが滲んでいて、狸みたいな顔になっていた。
しかも更に一晩中と言っていいほど泣き通したせいで、寝起きの今でも瞼が赤く腫れているし。

こんなに泣いたのはこの街を離れることになったあの日以来かもしれない。

そんなことを思いながら、冷たい水で顔を洗う。
少し冷やしてきちんとメイクすれば、誤魔化せるだろうか。
流石に昨日に続いて今日も大学を休むのは気が引ける。
それに今日も休んでしまうと、ずるずると自主休講を続けてしまいそうで怖いから、私は折れそうになる気持ちを叱咤して、なんとか人前に出られる顔を作り上げた。


***


2限からの講義に間に合うように家を出ると、駅に続く道の途中で小さな露店が設営準備を始めていた。
売り子らしき男性が並べている品物はアクセサリーとか、小物類とか女性好みの可愛らしいもの。
お店の人の邪魔にならないよう、そっと店先に近付いて、陳列されている品物を眺める。
「……やっぱりないか」
店の雰囲気が、何となく彼と2人で出かけた最後の日に見つけた露店に似てたから、あるかも知れないと思ったんだけど。

「姉ちゃん、何や探してるん?」
10年近く経っているのだから当たり前かと、小さく溜息を吐いた私に、売り子の男性が話しかけてきた。
「えと、ブレスレットみたいな腕時計をちょっと……」
「あぁ」
素直に探している品物の形状を説明すると、売り子の男性は思い当たる節があるのか、右の掌を左の拳でぽんっと叩いた。
「スマンなぁ。確かにそういうんあったんやけど、ちょうど昨日売れてしもてん」
「そうですか……」
「ま、他にも色んなもんあるからどんどん見てってや」
「すみません、もう行かないと遅刻してしまうので」
設営半ばにも関わらず早速営業を始めた男性に、「学校帰りに寄ります」と社交辞令を返して、足早に駅へと向かった。


大学へ向かう電車に揺られながら、2人で出かけた最後の記憶を掘り起こす。
この路線を、自宅の最寄駅から反対方面に3駅行ったところにあった小さな映画館。
こちらに戻ってきてから1度も足を運んだことはないので、今もあるかどうかはわからないけれど。
そこで2人で仲良くポップコーンを食べたりしながら映画を観て、手を繋いで帰る……はずだったんだけど、私がストーリーに号泣してしまい、彼の腕で泣き腫らした顔を隠して貰いながら映画館を出ることになった。
今思えば、随分と可愛らしいデート。
その帰り道、漸く泣き止んだ私は寒空の下にさっき道端で見かけたような露店を見つけて、ラックにかかっていた腕時計を手にとった。

『ごめんな、』
余程物欲しそうにそれを眺めていたのだろう、彼は所持金不足でそれを買えないことを私に詫びた。
気にしないで、と伝えたにも関わらず、帰り道ずっと彼はうかない顔をしていた。
それが、今もやたら印象深く脳裏に焼きついているのは、その直後に母親から大阪を離れる旨を告げられて、それ以降の生活に身が入っていなかったせいだろうか。
最後の1週間だって、彼は色んな表情を見せてくれていたはずなのに、それを覚えていない自分が少しだけ悔しい。
どうせなら、1番の笑顔を脳裏に焼き付けておきたかった。
最後に覚えてるのが沈んだ表情だなんて、勿体無い。

否。正確にはそれが最後ではない。
大阪を離れてから1度だけ、すごく遠くからだけれど彼の姿をみたことがある。
東京で暮らすようになって2年が過ぎた夏の日だった。


『全国大会?』
『そう、今都立アリーナで開かれてるんだけどね』
嬉々として語ってくれた友人曰く、毎朝通学時に見かける憧れの人が近隣の私立中学テニス部に所属していて、今度その学校が準決勝に進むらしい。
『応援に行きたいんだけど、私ルールよくわからなくて。夕妃って昔テニスやってたんでしょ?良かったら一緒に来て解説してくれない?』
『あー……』
私は東京に引っ越すと同時にテニスを辞めた。
理由は簡単。テニスをしているとどうしても彼を思い出して辛くなってしまうから。
1番の友人である彼女にはテニスをしていたことは教えたけれど、辞めた理由までは話していなかった。
『もしかして、都合悪い?』
顔の前で両手を合わせた格好のまま尋ねる友人。
『そういう訳じゃないんだけど……』
『だったらお願い!』
少しでも憧れの人に近付きたいという彼女の願いを断れず、ごり押しされるような形で全国大会準決勝の会場に足を運んだ。

準決勝開始ぎりぎりにアリーナに滑り込んだ私たち。
息つく間もなくコートをサイドから見られる席へと駆け出した友人を追って、目にしたのは黄色と緑の懐かしいユニフォーム。
それに身を包んでコートに1人立っているのはミルクティ色の髪をした男の子。

まさか。

『第1試合シングルス3、不二周助VS白石蔵ノ介!』

場内放送が、私の疑念を確信に変えた。
隣で友人が彼の対戦相手について、色々話してくれていたけど、そんなことはお構いなしに私は彼の姿に釘付けになっていた。

あの頃よりもずっと背が高くなって大人っぽくなった彼。

個性的なテニスをする人たちが集まった四天宝寺の中で、自分は基礎基本を完璧にするんやと言って磨いていた技術。
最初こそその技術で対戦相手を圧倒していた彼だけど、相手選手も引き下がらずに、ゲームはデュースにもつれ込んだ。

頑張って!

そう叫びたいのに、息が詰まって声にならない。

接戦を制したのは、彼のほう。
試合終了と同時に、四天宝寺の控え席に駆け出していたら、何かが変わっていたのだろうか。
彼におめでとうを伝えたかったけれど、何も言わずに別れたためどんな顔をして逢えばいいのか、わからなくて。

私が行ったら迷惑ではないか。
もしかしたら、もう私のことなんて忘れているかもしれない。

そんな思いと葛藤しているうちに、四天宝寺は彼以外の試合で敗北を喫し、準決勝で敗退した。
声をかけるタイミングを逃した私は、会場を後にする四天宝寺の一団を見送るしかできなかった。

あのまま大阪で暮らしていたら。
私も彼と一緒にここに来て、四天宝寺のサイドで応援していられたのに。
去り際、一瞬だけ見えたどことなく沈んだ背中をしていた彼に、励ましの言葉を何の衒いもなくかけることもできたのに。

実際の距離と同様に、私たちの関係も遠いものになってしまったのだと改めて突きつけられた気がした。


大阪に帰れば、少しは近づけるかと思っていたけれど、今も彼は遠いまま。
このままもう2度と逢えないのかな。

駅から大学へと続く坂を上りながら、鼻の奥がツンとした理由を冷たい風のせいにした。




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