A ray of hope
「はぁ〜」
「どないしたん、御釼?」
今朝耳にした噂を思い出して、重い溜息を吐くと、前の席から声を掛けられた。
「今日はやけに溜息多いで?悩み事?」
人懐っこい顔に、心配そうな表情を浮かべた彼は、丹羽君。
彼とは目指す進路が同じということで親しくなった。
「んー、ちょっとね……」
「あ、もしかして白石絡みか?」
言葉を濁して誤魔化そうとするも、聡い彼には簡単に見抜かれてしまう。
「よくわかったね」
「あー……、まぁ、その……色々耳にしたから……」
私が目を瞬かせると、彼は返答に窮したように頬を掻く。
「そっか、丹羽君も知ってるんだ。私と蔵ノ介が別れたって話」
「知ってる……てことは、別れたってあの噂、ホンマなん?」
「んー……どうなんだろうね?」
「って当事者やろ、御釼」
眉根を下げる私に、丹羽君が間髪入れずにツッコむ。
「私は別れたつもりはないんだけど、蔵ノ介がどうなのかわからなくて」
「何や、喧嘩でもしたんか?」
「喧嘩……って言っていいのかも、最早わからないんだけどね」
彼の問に苦笑まじりに返すと、丹羽君は目を瞠って、興味深そうな表情を向けてくる。
「随分と複雑そうやなぁ。オニーサンに話してみ?」
「いや、でも……」
「他のヤツには断固誓って話さんよ。それに、御釼かなり煮詰まっとるやろ?こーいう時は他人を頼るもんやで?」
屈託のない笑顔に、警戒心が解かれていく。
正直、彼の指摘は大変的確で、文字通り私ひとりでは八方塞だった。
だから丹羽君の申し出は大変ありがたい。
「じゃあ、お言葉に甘えて。話すと長くなるんだけどね……」
***
「へぇ〜。あの白石が。そんな心狭いこと言うなんて意外やわぁ」
全ての事情を話すと、丹羽君は大きく目を瞠った。
「でしょう?私も驚いた」
蔵ノ介が、評判通りの聖書のような人物ではないということは、付き合い始めてから何となく悟ったけれど、ここまで心が狭いとは思っていなかった。
「まぁ、男としては気持ちわからんでもないけどな」
「?」
首を傾げると、丹羽君は苦笑を返す。
「御釼、美人やし。それに結構鈍いやろ、恋愛ごとに関して」
「う゛……、前半はともかく、確かに後半に関しては否定できない」
「やろ?せやから下心持った男にほいほい騙されて攫われたりせえへんか心配なんやって、白石としては」
「私ってそんなに危なっかしいかな……?」
「そりゃ勿論。今だって自分、俺に対して全然警戒してへんやろ?」
「え、」
私と机一つを挟んで向き合っていた丹羽君の腕が不意に伸びてきて、彼との距離が急速に縮まり、図らずも彼の肩に抱き寄せられる形となった。
「俺が単なる親切心だけで相談乗っとるってどうして言い切れる?ホンマはこうして白石から御釼を奪おうとしとる悪い男かもしれんのやで?」
丹羽君が私の耳に唇を寄せて、低く囁く。
「やっ……、」
背筋にぞわりとしたものが走る。
反射的に丹羽君の胸を突き飛ばした。
「……ふは、はははっ」
数瞬の間、無言で見つめあうような状態で止まっていた私たちだけど、丹羽君の笑声で、静止していた時間が再び動き出した。
とはいっても、彼が吹き出した理由に皆目見当がつかない私は、目を白黒させるばかりだけ。
「御釼、ビビりすぎ。冗談やってジョーダン」
「へ……?」
一拍遅れて脳が丹羽君の言葉を理解すると、一気に緊張が解けた。
「ホンマ御釼は見ててオモロいわぁ」
「か、からかったの!?」
「ちゃうちゃう。御釼、最初はエライ警戒心強いけど、親しくなった相手は無条件に信用するとこあるから……、まぁ一種の実演?」
動転する私に対して、冷静を保ち続ける丹羽君。
「こーやって大学に入ってから、御釼が親しくなったやつに騙される可能性があるからこそ、白石も過保護になってんのやろ。でもアイツのプライド的にそれは口に出せんってとこちゃう?」
……成程。
流石蔵ノ介の属するテニス部を纏めている人物だけのことはある。
「丹羽君ってすごいね。ちゃんと後輩のこと理解してるんだ」
「一応部長やからな。まぁ、そう言うても白石は簡単に掴めん奴やから、あくまで推測の域を越えんけど」
彼の分析力を手放しで褒めると、丹羽君は照れ笑いを浮かべた。
「どう……するべきなのかな……」
私は今まで蔵ノ介が単なる我儘で、大阪に残れと言っているんだと思っていた。
けれど、蔵ノ介が丹羽君の推測通り私の身を案じて言ってくれたのだとすれば、やはり私が折れるべきなのだろうか。
「それは……どうやろなぁ?」
振り出しに戻って頭を抱える私に、丹羽君が「あくまで俺の意見やけど」と前置きして話を続けた。
「御釼は自分を誤魔化せるタイプやないやろ。やから、御釼が納得せんまま折れてもええ結果にはならんと思うで」
「……確かに」
自分が頑ななのが原因で他人との軋轢が絶えなかった分、それは充分に理解している。
キーンコーンカーン……
休み時間の終了を知らせるチャイムが鳴る。
「これはあくまで俺の意見やからな、白石にはよう考えて返事したって」
「わかった。丹羽君、相談乗ってくれてありがとう」
小さな子供をあやすみたいに私の頭をポンポンと撫でる彼にお礼を言うと、丹羽君はく苦笑しながら「おう」と頷いて、授業の準備に取り掛かった。
それは暗闇の中、
一縷の望みのように
(何も知らない私は、これで全てが丸く収まると思っていた)
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