深い眠りの淵から急速に浮上する意識。
重たい瞼の裏にうっすらと映る光が朝だと教えてくれる。

「んー……」

意識は覚醒するものの、身体はまだ気怠くて、もう暫く横になっとりたい気分。
ついでに隣にあるはずのぬくもりを抱きしめようと、伸ばした左腕を抱き寄せる。
せやけど、その腕が捉えたのはただの空気。
驚いて目を開けると、一緒に寝とったはずのひなさんがおらん。
慌てて身体を起こして、ズボンを穿いて寝室を飛び出す。

焦る俺の耳に、キッチンから水流の音が聞こえた。
音を立てないようにそっとキッチンのドアを開けると、スーツのジャケットを脱ぎ、白いカッターシャツの上からエプロンをして朝食を準備しとる彼女の姿。


フライパンでスクランブルエッグを作っとる五十鈴川さんの後ろに忍び寄り、ぎゅっと抱きつくと彼女は小さく悲鳴を漏らした。

「光……?」
「寒い」

裸のままの上半身を彼女の身体に押し付けるかのようにぴっとりと抱き寄せる。

「もう、まだそんな恰好でいたの?風邪ひくよ?」

上着着てきなさい、と母親のように叱るひなさんの言葉を黙殺して、更にきつく抱き締める。

「こーら。これじゃ朝ごはん作れないでしょ?」
「…………別に。腹空いてへんし」
「光はお腹空いてなくても、あたしはぺこぺこなの」

彼女の細っこい肩に顔を埋めるようにして不貞腐れとると、ぺしっと頭を叩かれた。

「それにあたし今日仕事あるんだから」

急がないと遅刻しちゃう、とぼやくひなさんはこの春から社会人。
対する俺は、この春から漸く大学生。

やっと追いついたと思たのに、五十鈴川さんはまた俺の先を行く。
それが歳の差や、と言われてしもたら終わりかもしらんけど、それでも、俺はどうしようもなく怖い。

先を行くひなさんがどんどん遠い存在になってまいそうで。
それこそ、こうして捕まえてても、この腕からすり抜けていってしまいそうで。
幻みたいにいつか消えてしまうんやないかって。

「ひーかーる?」
「……………………ヤダ」

小さな子供に言い聞かすみたいに、ひなさんは俺の名前を呼ぶ。
俺が彼女と対等の立場やったら、簡単にこの腕を解けたのかもしらん。
せやけど、ひなさんを追いかける立場の俺は、小さく不平を漏らして反対に彼女をより強く閉じ込めてしまう。
幻なんかやないって確かめるように。
強く、強く。


――って、これやほんまもんの駄々っ子やないか、恰好悪い。

みっともないって、恰好悪いって、頭では理解できるのに行動が伴わへん。

「!」

そんな自分に自己嫌悪に陥っていると、腕の中のひなさんが身体を反転させて、そっと抱きしめてきた。

「……大丈夫だよ」

胸の位置で響く声。

「あたしは、ちゃんとここにいるよ」

不安を見透かされたような言葉に、ぎくりとした。
俺の反応をみたひなさんは、くすりと小さく笑う。

「出掛けてもちゃんと光のところへ帰るから」

安心して、と背伸びして俺の頭を撫でる小さな手。
その温もりに安心するとか、ほんま子供みたいや、俺。
顔に自嘲が滲むけど、ひなさんの掌の温度に、胸の内で凝っとったもんが消えていくんは確かで。

「あたしには、光だけだもん」

俺の不安が融けていくのを感じたのか、撫でる手を止めるひなさん。
きっぱりと断言してゼロセンチの距離で、こちらを見上げる柔らかな微笑みにそっとキスを落とした。


陽炎
稲妻
水の月



(唇に触れたぬくもりに、)
(追いかけても届かない君を)
(捕まえられたような気がした)





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