「あーあ、降ってきちゃった……」

夏休みも真っ最中の午後。
補習を受けた後、教室でひとり自主学習をしていると、突然空が暗くなり始めた。
じりじりとした暑さが鳴りを潜め、代わりにじめじめとした蒸し暑い空気が肌に纏わりつく。
蝉の大合唱の代わりに、耳が捉えるのは微かな遠雷。

夕立が来る前に帰ろうと、慌てて用具をしまっていた矢先。
ぽつり、と白い線が一筋視界の隅を掠めたと思ったのも束の間、すぐにざあざあと音を立てて窓の向こうを白く煙らせる。
しかも都合の悪いことは重なるもので、こういう日に限って折畳み傘を家に置き忘れてしまった。

「最悪……」

悪態をついてもどうすることもできないので、仕方なしに雨宿りを決意して、さっきしまったばかりの参考書を再び鞄から出していると、教室の扉が勢い良く開けられた。

「うおー、めっちゃ降られたわー!」

濡れてくすんだ金髪から水滴を零しながら駆け込んできたのは、中高6年間ずっと同じクラスの忍足謙也。
髪と同じく色を変えたジャージを肩から落として、テニスバックから大きなタオルを取り出してがしがしと頭を乾かす彼をまじまじと見ていると、視線に気づいたのか、彼がこちらを向いた。

「あれ、五十鈴川まだ残ってたん?」

私が居たことに少し驚いたように目を瞠って、彼は私に近付いてくる。

「自主勉?」
「まぁ、そんなとこ?」
「なして疑問形?」
「さぁ?」

他愛のない言葉を交わしながら、謙也は私の隣の席に腰掛けた。

「なして帰らへんの?」
「傘、忘れた」
「折畳みは?」
「家。そういう謙也こそ帰らないの?」
「五十鈴川と一緒。傘がないねん」
「ハハ、仲間だ」
「おん、仲間や」

淡々と言葉を交わしながら、私は内心ばくばくしていた。
中学1年で出会った時から、私は謙也のことが大好きだったから。
そしてそのせいで謙也と話すときはいつも、顔が赤くなっていないかだとか、この煩い心臓の音が謙也に伝わっていないかだとかを気にするあまり、とてつもなく淡白な物言いになってしまう。
そう、丁度今の会話みたいに。

「謙也は部活?」
「おん。全国に向けて最後の追い込みや」

にかっと白い歯を覗かせて爽やかに笑う謙也に、一際大きく心臓が跳ねた。
謙也とは6年間の付き合いだけど、年を重ねるごとに彼はどんどん恰好よくなって。
だから、中学生の頃は気にならなかったちょっとした仕種でさえも、高校3年の今ではまるで凶器。
いつか謙也の笑顔に殺される日が来るかもしれないな、なんて物騒なことを考える。

「しっかし、雨一向に止まへんなぁ。待ちくたびれて死にそうや」

私に死をもたらす可能性があるものが謙也の笑顔だとすると、謙也はどうやら待ち時間に殺されてしまうらしい。
雨が降り出してからまだ5分と経っていないのに、早くも痺れを切らし始めた謙也に思わず吹き出した。

「ちょ、笑わんといてや!」
「えー、だって謙也、せっかちす、」

ぴかっと視界を白く染めた光に、せっかちすぎだよ、と続くはずだった言葉は唐突に途切れた。
その直後、響いた轟音に身体が竦む。

「おー、どえらい雷やったなぁ」

どっかに落ちたんやろか、という謙也の言葉に返事をする余裕もない。

「……って、どないしてん?」

返答がないのを不思議に思ったのか、俯いた私の顔を覗き込む。

「あ、もしかして雷苦手なん?」

心配そうな顔をした謙也に、こくりと頷くと、ふは、と笑われた。

「なっ、笑わないでよ!」
「や、あんましにも意外やったから……。ちゅうかさっき五十鈴川やって笑うな言うたのに笑うてたやん」
「それはそうだけど……っ!」

顔を上げて言い返す私の後ろで、再び空が光る。
ひっ、と息を呑むと同時に轟く雷鳴。
思わず耳を塞いで目を瞑る私を、暖かな体温がそっと包む。

「しゃーないなぁ……」

雷の余韻が消える頃、呆れたような声が頭上から降ってくる。

「雷が去るまでこうしたるわ」

優しく背中を擦ってくれる謙也の手に、身体の緊張が解けていく。
彼のおかげで少しだけ冷静さが戻った頭だけど、抱きしめられているという現状を理解すると、すぐに混乱をきたした。

「ちょ、謙也……、」

離して、と告げる前にまたもや空を駆ける稲妻。

「無理せんと甘えとき」

押し戻そうとした身体をきゅっと抱き締められて、優しい声が耳に届く。

「それとも俺にこうされるん、嫌?」
「……ううん」
「ならええやろ?」
「……うん」

大嫌いな雷の音を聞かないように、謙也の胸板に耳を押し付けるようにして身体を預けると、私を抱きしめる腕に、さっきよりも少しだけ力が込められた。


謙也の腕の中で、いつもなら早く過ぎ去って欲しい雷や夕立がもう少し長く続けばいいのに、とこっそり思ったのは彼にはナイショの話。



雨よ
どうか
止まないで




その後。
(1時間……。えろう長く続いたなぁ、雨)
(そうだね……(あーあ、終わっちゃったなぁ))
(だいぶ遅なったし、一緒に帰らん?)
(……いいの?)
(おん)





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