かたたん、と規則正しいリズムで電車が揺れる。
通勤通学ラッシュが始まる前の車内では、疎らな乗客たちの殆どが眠りに身を任せている。

そんな中、私はいつも通り横並びの席の隅っこに座って、本を開く。
電車の窓から差し込む朝日が読書するのには丁度いい。

私がこの電車を利用して向かう先は、自宅から2時間近くかかる大学。
人混みが得意ではないため、毎朝4時起きでこの列車に飛び乗る。
これより後の時間帯は、どの電車も息をするのも困難なくらい混雑するから。

大学の友人たちには、そんなことする位なら下宿すれば、とか、私だったら混雑に耐えてでも睡眠時間を取るのに、とか色々言われるけれど、私はこの通学スタイルを譲らない。

この時間帯だと人混みを避けられる上、席も充分空いているので、隣の人を気にすることなく読書に勤しめるから。
本の虫を自負する私にとっては多忙な学生生活の中で、趣味に没頭できる時間でもあり、一石二鳥なのだ。

それに。
最近は読書以外にもうひとつ楽しみができたし。



私が乗った駅から数えて3つめ。
向かい側のドアが開く音に顔を上げると、その人が乗ってきた。
怪しまれないように、顔を膝の上の本に向けながら、視線だけをちらりと前方に遣る。

大きなラケットバックを座席に下ろして、その隣に詰めて座ると、その人はおもむろにバックの中から、本を取り出して読み始めた。

自分の本から顔を上げて、真向かいにいる彼をちらりと見遣る。

私が彼の存在に気づいたのは、ひと月くらい前。
私が降りる駅にたどり着く前に、手にしていた本を読み終わってしまった時だった。
ずっと下に向けていた顔を真正面に向けると、向かいの席で長い脚を組んで、読書に没頭している男の子。
下ろされていたブラインドから漏れる光を弾いて、きらきらと輝くミルクティブラウンの髪。
そしてその髪の下からちらりと覗くアイドル顔負けの端整な顔立ち。
何とも絵になるその姿に、私は一瞬で目も心も奪われた。

以来、私がこの電車に乗る理由は、混雑を避けることと読書することに加え、好きな人に逢うための3つになった。

***


かたたん。
いつもと同じ朝。
いつもと同じ電車。
席もいつも通りの場所に座って、いつものように読書を始める。唯一普段と違うのは、私が手にしているのがミステリーものだということ。

……気づいて、くれる、かな?

その本は、以前彼が私の目の前の席で読んでいたものだった。
昨日偶然図書館でその本を目にして、迷わず借りることを決意した。
彼に話しかける口実にでもなればいいな、何て淡い期待を少しだけ抱きながら。

……勿論そんな大胆なことをする勇気はない。
それに大体、意識しているのは私だけなのだから、彼が気づくも何もあるはずがないのに。

浅はかな考えを抱いた過去の自分に自嘲しながら、本に視線を落とすと、電車が止まって向かいの扉が開く。
そしていつものようにラケットバックを背負って乗り込む彼の姿が、視界の隅を掠める。

違ったのは、いつもは向かいに座る彼が、今日は何故か私の隣に腰を下ろしたということ。

肩が触れそうなくらい近い距離に心臓がどうにかなってしまいそうだった。

こんなに、広い車内なのにどうして。

嬉しいはずなのに、文句のような独り言を心の内で呟いていると、自分の左側からとてつもなく甘い声がした。

「それ、」
「!」

驚いて顔を上げると、ふわりと柔らかい笑顔を浮かべる彼とばっちり目があってしまった。

「おもろいですよね」

彼が指差すのは私が手にしている本。
確かに私ものめり込むくらいには面白かったので、素直に彼の言葉に頷く。

「俺、めっちゃ好きなんですわ」
「そうなんだ」

知ってます、とは言えずに素っ気無い返事になってしまう。
けれど、彼はそんな私にも爽やかな笑顔を向けたまま話を続けてくれた。



私が読みかけなのを考慮してか、話の核心には触れずこの本のいいところを語ってくれる彼。
さっきよりも目がきらきらしてるように見えるのは私の気のせいではないだろう。

「これ、最近シリーズ化したの知ってはります?」
「え、そうなの?」

彼の言葉に目を瞠る。
図書館にはまだこれ1冊しか置いていなかったのに。

「あー、続き出始めたのほんまに最近なんで図書館みたいな公共機関に入るんは時間かかるかもしれんですね……。マイナーやし」
「そっか……」

面白い作品だから続きがあるなら読んでみたかったんだけどな。
ちょっと残念に思っていると、隣の彼が思いがけないことを言ってきた。

「なんやったら俺が貸しましょうか?」
「え?」
「続き、全部持ってますんで」
「いいの?」
「勿論。俺も一緒に話できる人が居ってくれるんは嬉しいですし」
「ありがとう!えと……」

割と長く話していたのに、お互い名乗っていないことに今更ながらに気がついた。

「白石蔵ノ介です」

苦笑して名前を告げた彼に自分も名乗り返すと、アナウンスが彼の降りる駅が近付いていることを知らせた。

「あー、もう着いてしまうんか……」

名残惜しそうな視線を向けられて、思わずどきりとする。

「しゃーない。続きは明日、この電車で話しましょうか。ひなさん、毎朝この電車ですよね?」
「え、あ、うん」

降りる支度をしながら、問うて来る白石君。
いきなり下の名前で呼ばれたことと、彼も私がこの電車を利用していたことを知っていたことに驚いた。

「せやったら、この本の続きも明日持ってきますわ」

がたん、と一際大きく列車が揺れて、駅に停車したアナウンスが流れる。
それと同時に白石君はにこりと笑って席を立った。

「それじゃひなさん、また明日」
「また明日」

ラケットバックを背負って列車を降りる彼を見送って、明日も話せるんだと思うと心が弾んだ。



早朝列車

悪くない




私が彼を下の名前で呼ぶようになって、この電車以外でも逢えるようになるのはまだ少し先の話。





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