鮮やかな朱色を濃紺の帳が侵していく逢魔が時。
街外れの公園から慌てて去っていく少女の姿を、森の翳から見送る。
……これでええんや。
胸の奥深く、突き刺さるような痛みを押し殺して、自分に言い聞かせた。
***
「くーらのーすけっ!」
眩しいくらいの笑顔で、ひながこの街外れの森に現れるようになったのは数年前。
愛おしいとか恋しいとか、そういう感情も知らない幼い頃だった。
きっかけは、肝試しでこの森の中で迷子になってた彼女を助けたこと。
街では化け物の棲む森と噂されてるらしく、最初に声を掛けた時に、素っ頓狂な悲鳴をあげられたのも、まるで昨日のことのように覚えている。
「やっぱり噂なんてアテにならないわ。蔵ノ介はどう見たってフツーの人間だもの」
落ち着いたひなが、ませた口調でそう言った時、俺は苦笑するしかできなかった。
見かけ上は人と何ら変わりのない自分が、吸血鬼であることは、世話係のコウモリからずっと聞かされていたから。
吸血鬼と言っても、よくある伝承のように、むやみやたらにヒトを襲うことはないし、太陽の光やニンニク、十字架に弱いといく訳でもない。
ただ、「オトナ」になると成長速度が遅くなり、千年近い時を生きるだけ。
けれど、人からしてみれば何年経っても姿が変わらない俺たちは不気味な存在に映ったらしい。
やからこうして、人目を避けて暮らしているのだとも。
『「オトナ」ってなぁに?』
初めてコウモリからその話を聞かされた時、俺は「オトナ」がどういうもんなんか尋ねた。
『誰かに恋をした時です』
コウモリの説によれば、恋をすれば血を吸うための牙が生え、その相手の血を欲するようになるのだという。
『いいですか、ぼっちゃま。その時が来たら躊躇うことなくその相手の血を吸い、またご自分の血を与えるのです。そうすればその相手も、ぼっちゃまと同じように千年の時を生きることができる』
そうして、伴侶を見つけ、吸血鬼の血脈を絶やさないようにするのが、俺の役割なのだと、コウモリは告げた。
幼くて、森の中の小さなセカイしか知らなかった俺は、その意味を理解せずに頷いていた。
けれど。
森の中から出たことがないと言った俺を、ひなは積極的に外へと連れ出し、他の友達と混ぜて遊んだり、時には彼女の家に連れていかれて、ひなの母親お手製のお菓子をご馳走になったりもした。
家族や友達、俺には縁のなかったモノたちはすごく温かくて。
そんなセカイに生きるひなが眩しくて羨ましかった。
だから。
***
「もう会えない……って、どうしてっ!?」
牙が生え、完全な吸血鬼となった時、俺は彼女と離れる道を選んだ。
「ずっと言えへんかったけど、俺、吸血鬼やねん」
「だから、何っ!? 吸血鬼だろうと化け物だろうと、蔵ノ介は蔵ノ介でしょっ!?」
他人の生き血を吸い、ヒトの百倍近い長寿私を全うする化け物なのだと告げても、彼女は怖がるどころか、洋館の重厚な扉越しで、猛烈に抗議する。
「私は蔵ノ介がヒトでなくたって構わないっ! だから、会えないなんて言わないでっ」
悲痛な叫びが、俺を勘違いさせそうになる。
俺が「オトナ」になってしまったように、彼女も俺に好意を抱いてくれとるんやないかって。
「会えへんねん。会うてしまったら、俺は君も化け物に変えてまう」
扉の向こうでひなが怪訝な表情をしとるんが、いとも簡単に想像できたから、俺は彼女に吸血鬼の掟を説明した。
そうすれば、彼女も俺から逃げるだろうと思って。
「……いいよ」
せやけど、扉の向こうから返されたのは、俺が思っとったんとは間逆の、せやけど心の何処かで微かに期待していたもの。
「千年だろうと何万年だろうと、蔵ノ介が一緒なら構わないっ! 私だって蔵ノ介のことがす、」
彼女が全てを言い切る前に、重たい扉を開けた。
すぐに目に飛び込んできた、彼女の驚いたような表情は、一瞬の間もおかず笑顔になる。
そんなひなを抱きしめて。
「おおきに。でも、ごめんな……」
彼女の頭に手を翳し、記憶操作の術をかける。
目が覚めれば、もうひなはさっきの話どころか、俺との思い出も全て忘れているやろう。
「こんな俺を好きになってくれて、おおきに」
眠る彼女を抱き抱え、森の中を抜ける。
そして森から一番近くにある公園。
よく2人で遊んだな、と、感慨にふけりながら、ひなの身体をベンチに横たわらせる。
「俺も、ひなが大好きや。
……せやから、さよなら」
込み上げる吸血衝動を押さえ込んで、彼女の額に口付けた。
ガラス越しの
愛してる
愛してる
(光の中を生きる君を想うだけで幸せだから)
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