都内でも有数の高級ホテル。
落ち着いた色合いの柔らな絨毯が敷き詰められた廊下を足早に歩いて、「製作記念式典会場」と書かれためくりが示す先へと向かう。
何の製作記念なのか具体的に示されていないのは、この式典が関係者のみで行われる小規模なものであるためと、その関係者で主賓である俺の彼女――みょうじなまえが公に知られることを拒んだためだ。

彼女は中学時代から作家としての活動を行っていたが、長年その事実を様々な事情から内密にしていた。
そのため彼女が作品を出す度、作者に関するありとあらゆる憶測が飛び交い、世間からは『鵺』という異名までつけられた。

そんな彼女が大学入学と同時に正体を明かすと、渋い作風を持つ『鵺』の正体が若い女性だという事実に世間が沸き、彼女の作品の人気を更に高めた。
そのため正体を明かしてから初めて出す最新作は発表と同時に映画化が決定した。
その映画がクランクインした記念のパーティーが今行われている。

彼女がこの式典を内輪だけの小規模なもので行いたいと言った大きな理由は、大学生活に影響が出るから。
現在は前期レポートの提出ラッシュ。
そんな時に雑誌のインタビューなどに答えねばならないのは、彼女にとって苦行以外の何者でもないらしい。
当初は「式典なんか開かなくていいから!」とさえ言っていたので、現在の状況は彼女なりの妥協点といえるだろう。

だが俺は決してその記念式典に参加するために来たのではない。
俺はなまえの彼氏であっても、映画には一切関係のない部外者だからだ。
俺がここに足を運んだ理由は――


***


「柳君、こっち」

廊下の突き当たりにある大広間の前。
その厳格な雰囲気のある扉の脇に据えられた、これまた品のいいソファに体を横たえる細身のスーツに身を包んだ女性と、彼女の背を撫でながら、俺を手招く鮮やかなブルーのドレスを纏った女性がいた。
手を挙げているのは、俺となまえの共通の友人で今回製作される映画で主演を務める玉梓早紀だ。

「すまない、玉梓。遅くなった」
「気にしないで。それよりもなまえのことくれぐれもよろしく頼むわ」
「勿論だ」
「じゃあ来て貰って早々悪いけど、私は会場に戻るね。主賓が2人も抜けている訳にはいかないし」

なまえにお大事にって伝えておいてと伝言を残して、彼女は広間の扉をくぐって行った。


「だそうだが、聞こえていたか?」

玉梓が座っていた位置に腰を下ろして、横長のソファにうつ伏せに倒れこんでいるなまえの背を撫でる。
返答の代わりに返されたのは苦しそうな呻き声だけだった。

「全く……、お前が泥酔する確率は10%にも満たないはずなのだがな」


俺がここに来た理由。
それは数十分前に玉梓がなまえのケータイを使ってひどく慌てた様子で電話をかけてきたからだ。
玉梓自身も酷く混乱していたのか、要領を得るまで時間がかかってしまったが、つまりは「なまえが酔っ払って倒れた」ということらしかった。
なまえは酒には強いほうで、グラス数杯では顔色ひとつ変えない。
そのため俺も驚き、慌てて車を飛ばしてきたというわけだ。


「玉梓が言っていたんだが、ここ2日間寝ていないらしいというのは本当か?」

返答はない。だが、なまえの肩がぎくっと言わんばかりに跳ねた。

「どうやら本当のようだな」

なまえは無理をするとすぐ体調に反映されてしまうという少々厄介な体質の持ち主でもある。
大方睡眠不足で弱ったところに、挨拶代わりの酒を断ることなく飲んだため、普段とは異なり酔いが回ってしまったというところだろう。

「あれ程無理はするなと釘を刺しておいたはずだが……」

苦言を呈せば、うぅー、とひとつ呻いて俺のスーツの裾を掴んでくる。

ごめんなさい、というところだろうか。

「取り敢えず説教は後からだな。表に車を着けてあるが、立てるか?」

なまえはうつ伏せたまま首を左右に振る。

「では、肩を貸すか、背負われるかどちらがいい?」

俺の予想ではみたところ肩を貸すだけでは歩けそうにない彼女は、背負うという選択肢を選ぶだろう。確率は73%くらいで。
だが、返された答えは俺の予想を遥かに超えていた。


「どっちも、や……」


「…………は?」


思わず目が点になってしまったことは言うまでもない。

「では、どうすればいい?」

動揺する心を抑えて訊ねれば、なまえは更に爆弾を投下した。


「だっこ、して?」


顔だけこちらに向け、舌っ足らずな言葉と上目遣いの視線で甘える。
素面の彼女では到底考えられないことだ。
想定範囲をゆうに超える彼女の台詞に、数瞬の間思考回路が停止した。


「れんじ、くん……?」

名を呼ばれて意識を戻せば、酔いのせいで潤んだなまえの瞳と視線が絡む。

「だめ……?」

全くどうしてこちらが平静さを保てなくなるような行動ばかりするのか。
彼女が酔っ払った姿を見るのは初めてだが、こんなにも危険度の高いものだとは思わなかった。

「仕方ないな」

こんな状態の彼女を他人に見られるのも問題だ。
早くこの場を離れようと、彼女の肩と膝裏を支えて抱き上げると、彼女は力ない腕を俺の首に回した。

「れんじくん、いい匂い……。だいすき」

耳元で囁かれた台詞に柄にもなく体中が熱くなるのを感じた。

……アルコールというのはつくづく恐ろしい。
普段は滅多にそういう類の言葉を口にしないなまえに、衒いもなく言わせてしまうのだから。


「俺も、愛している」


彼女の耳元に囁いた台詞に返ってきたのは、小さな寝息。

これは安全運転で送り届けなければならないな。
腕の中で眠る愛しい彼女を起こさぬように。


酒は飲めども呑まれるな



(翌日)

(う゛、頭痛い……)
(お早う、なまえ)
(え、あれ、蓮二君っ!? なんで!?)
(何だ、昨夜のこと覚えていないのか?)
(昨夜……?そういえば記念パーティーがどうので……?)
(随分と可愛らしいことを言ってくれていたのだがな)
(へ!? 何を言った、私!)






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