「……38.7℃」
脇から抜いた体温計を見たら、ただでさえ重かった頭が一層重みを増した気がする。
今日は1ヶ月ぶりに蔵とデートする予定だったのに、最近職場で流行っている風邪を貰ってしまったらしい。
心は蔵に逢いたくて逢いたくて仕方ないのに、身体が動くことを拒否している。
というか、一歩でも動いたらそのまま倒れてしまいそうなくらい視界がふらふらしている。
ベッドから腕だけを出して枕元にあるケータイを手探りでとる。
蔵には悪いけれど、今日の映画はキャンセルするしかない。
『ごめん、風邪ひいた。今日いけない』
本当は電話で伝えたいのだけれど、喉が痛くて声が出せないのでメールを打つ。
けれど文字を打つのにも腕がだるくて思うままにいかない。
そのため、絵文字も顔文字もない淡白な文章になってしまった。
電報みたいだ、と思ってもそれを修正する余力はなく、仕方なしに送信ボタンを押す。
蔵、怒るかな……。
お互いが職に就いてからというもの、休みが思うようにとれなくて、ひと月、下手すればふた月くらいは逢えない時がある。
毎度の別れ文句に、次逢える時を楽しみに仕事頑張ろうね、と言ってしまうくらいお互いにとって貴重な時間。
それなのに。
ドタキャンしちゃって、蔵に嫌われたりしないかな……。
ていうか、朝ごはん食べて薬、飲まなくちゃ。
それよりも常備薬ってまだあったけ……?
独り暮らしって不便だな……。
体だるいよ、頭重いよ……。
寂しい、よ。
「逢いたいよ、蔵……」
色んな不安がごちゃまぜになったまま、私は眠りに落ちた。
***
「ん……」
人の気配を感じて、眠りの底から浮上する。
「目、覚めた?」
ぼんやりとした視界に映るのは見慣れたミルクティー色。
「くら……っ!?」
「せやで……って、起きたらあかんよ」
驚いて跳ね起きた私の肩をそっと押してもう一度ベッドに横たえさせる。
「声もだいぶ枯れとるなぁ。熱は?」
「38.7℃」
そっと額に触れた蔵の手が冷たくて気持ちいい。
「んー、まだ高そうやな……」
自分の額にも手を当てて比べている。
そんな彼を見つめながら、掠れた声で問いかける。
「蔵……どうして、」
「そんなん決まっとるやろ。なまえが心配やったからや」
どうしてここにいるの、という言葉の先を制して返された答えは、私に甘い蔵らしい。
怒っているんじゃないかと思っていたのに。
「ごめんね……」
デートキャンセルしてしまったことと、手を煩わせたこと、両方の意味を込めて謝れば、長い指で額を軽く弾かれた。
「んー、惜しいなぁ。ここはごめんやのうてありがとうって言うとこやで」
「……ありがと」
訂正すると蔵は「ようできました」とさっき弾いたところを撫でながら、いつも以上に優しい微笑みを向けてくれる。
「なまえはいつも頑張りすぎるからな。風邪ひいとる間くらいはゆっくり休み」
首を縦に振って答えると、蔵は「ええ子や」ともう1度私の頭を撫でた。
「ええ子なご褒美として、今日はなまえの言うことなんでもきいたるで」
「なんでも……?」
「あぁ。風邪悪化させてまうようなこと以外、やけどな」
茶目っ気のある笑顔で片目を瞑る蔵に、思わずどきっとしてしまう。
なんでも……か。
「じゃあ、ひとつお願いしてもいい?」
「なん?」
上目遣いに訊ねると、蔵はこてんと小首を傾げた。
「あ、のね……、」
今日だけでいいから、傍にいて。
私の願いが予想外だったのか、蔵は数回目を瞬かせた。
「……ほんま、なまえは欲がないなぁ」
そして、一拍置いて苦笑が返される。
「こういう時は治るまで傍にいてって言ってもええんやで?」
「でも、そしたら、蔵が大変、だし、風邪、移っちゃうよ……?」
治るまで傍にいてくれたら、勿論嬉しいんだけど、それでただでさえ仕事が大変な蔵に負担をかけてしまうのは嫌だし、何よりも蔵まで風邪をひいてしまったらもっと嫌だから。
そう思って、掠れた声で訴えるともう1度額を指弾される。
「そんなん気にせんでええの。なまえのためやったらなんだって平気や。それに俺、鍛えとるから風邪もひかへんよ」
利き腕をあげてガッツポーズをする蔵に、思わず笑いがこぼれる。
「……じゃあ、お言葉に、甘えても、いいですか?」
「勿論や」
暗に治るまで傍にいて欲しいと言うと蔵は笑みを深くして頷いてくれた。
普段は中々逢えない蔵が傍にいてくれるなら、風邪も悪くないな、なんて思ってしまったのは内緒の話。
後日。
(なまえ、頭痛い……)
(ほらぁ、やっぱり風邪移ったじゃない)
(俺が治るまで傍におって?)
(……いいよ)
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沙織様へ感謝を込めて捧げます。
いつもありがとうございます!
これからもよろしくお願いします!
titled by 恋したくなるお題様
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