さわさわと風が音を立てる。いくぶんか涼しくなったそれは長くなった髪を揺らす。それに、(そろそろ切らなアカンかな…)やなんて思って、そないな自分に苦笑する。こないなことをのんびりと考える余裕が出来るやなんて、な…。
(それも、これも、あの子のおかげやな)
クスリと小さく笑みが漏れる。パラリと音を立ててページを捲り、本を読み進める。それでも、その本の内容は何1つ頭ん中に入ってきてへん。待ち遠しくて、無意識にウズウズとしとる俺がおるせいやろ。こないな気持ちになるんは初めてやから、何とも言えへんし、どないして抑えればえぇんかも分からへんから、浮かぶんは苦笑ばかりや。
パタパタと軽い足音が聞こえてくる。それは次第に大きくなって、こっちに向かって来よる。(あぁ、来たんやな…)て自然に顔が綻ぶ。傍から見たら変人かもしれへんけど、嬉しさは隠せへん。愛おしい、鈴のような声が耳に届く。本を閉じて、顔を上げれば微笑みを浮かべて走ってきとる大好きな子が見えた。
「なまえ」
「蔵っ。もう来てたんだ」
「たまたま講義が早よ終わってな」
「あ、待たせちゃった?」
「大して待ってへん。ほな、行こうや」
「うんっ!!」
ニッコリと笑って服の裾を握ってくるなまえに、慌てて顔を逸らさなアカンくなる。顔がむっちゃ熱い。あー、もう、アカンッ。突然そない可愛いことせんとって!! 俺の心臓がもたへん…。
「蔵? どうかした?」
「あぁ、いや…」
「?」
きょとんと見上げてくるなまえは、なんで俺が慌てとったんか全然分かってへんみたいで苦笑する。計算でこないなこと出来る子やないから分かっててんけど、天然さんやからこそ余計にっちゅうんがあるわ。
せやけど、ここでいつまでもボーっとしとる訳にもいかへんから、服の裾を握っとるなまえの手を取って歩き始める。手を取った瞬間になまえの顔が真っ赤になっとってちょぉ笑ってしもた。裾握る大胆さがあるんに、手を繋ぐんは恥ずかしいんやな…。
「今度から、掴むんはこっちにしてな」
さっきの仕返しにそう言うたったら、真っ赤な顔を余計に赤くして俯いてしもた。そないな初々しい反応に、微笑む。まぁ、余裕ぶっとるけど、(そないなことされたら俺の方がヤバいわ…)やなんて思っとるから世話ない。弱く握り返された手に、言いようのない喜びを感じる。つい数か月前まで手に入らないと諦めていたモノがこの手にある。それがどうしようもなく嬉しい。
(これが運命なんか、な…)
らしくもなくそう思って、俺は目を細めた。
***
「わぁ…すごい…」
「大したもんやないで」
机の上に並べられた料理を見て、キラキラと目を輝かせるなまえ。ホンマに大したもん作った訳ないんやけど、いつも以上に力は入れとったからなまえの素直な反応に頬が緩む。普段は食にあんまし関心を抱かへんなまえがこないな反応してくれるんは、ごっつ嬉しい。これで少しは食に気を遣ってほしいんやけど…。そこは、まぁ、おいおいやな。
「ほな、食べよか」
「うん!! いただきますっ」
「いただきます」
なまえは「おいしいっ」て食べてすぐに言うてくる。1つ1つ丁寧に味わって、感心したり、驚いたり、くるくると表情が変わっていくなまえを見ながら俺も箸を進める。料理作ったらよく美味しいて言うてもらえるけど、やっぱし好きな女ん子にまっすぐに褒められると、何や照れるモンがあるわ。
なまえは食べながらも、「これ何使ったの?」とか「味付けどうしてる?」とか訊いてくる。なまえ元々お菓子作りが好きやから、普通の料理を作るのも嫌いやないらしく、どうしてもそう言うことが気になるらしい。俺が答えるたびに、頭ん中にメモするようにゆっくりと味わう。その姿は、なんやろ、小動物っちゅうかリスっぽく俺には見えてしもて、(可愛ぇな〜)って思う。変態みたいやなんて言うんやないで?
「はぁ…。やっぱり蔵はすごいなぁ」
「そないに美味かったん?」
「うん。なんか、負けた気分だ」
「なんの勝負にやねん」
ちょぉ悔しげな顔するなまえを見てクスクス笑うたら、「こういうのって普通彼女の方だし…」とムスッとされた。この時代、女が家事全般するやなんてのは古い考えや。主夫って言葉もあるしな。まぁ、せやけど、なまえが言いたいことも分からんではないから、そないに可愛ぇ反応されると困る。具体的に言えば、抱き締めて離したなくなる。わー…。俺、ホンマ、変態みたいやないか。
「なまえはお菓子作りが上手いやないか」
「お菓子は実生活で役に立たないじゃない」
「そないなことないと思うで? 料理、上手になりたいん?」
「そりゃ…」
「なんで、て訊いたら教えてくれるか?」
ニッコリて自分でも胡散臭い思う笑顔で問えば、なまえは「分かってるクセに…」てほんのり顔赤くする。そないな顔が余計におちょくりたくなるんやけど…。あんましやるとホンマに拗ねられてまうから、今日はやめとく。久々の2人っきりなんやし。
なまえの頭を一回撫でて、「今度一緒に作ろうか」て言うたら、パッと笑顔になってコクコクと頷く。「絶対、蔵を追い越してみせる」って勝気な笑顔で言われるから、「そら楽しみやな」って俺も好戦的な笑顔で答える。せやけど、そないな顔は長くは続かへんくて、2人同時に吹き出す。クスクスとお互いに笑い合う。
この緩やかな時間がどうしようもなく愛おしく思う。
***
「お風呂もらいました」
「おん」
上気した頬でふわっと笑うなまえに目を細める。幼げな表情も、歳に似合わない凛とした表情も、年相応の可愛らしい表情も見てきたけど、今の表情はそんなんやない。ほんのり色香を漂わせとる。正直、心臓に悪いわ…。
せやけど、欲には勝てへん…。ドアのところに立っとるなまえに、『おいでおいで』て手を動かせば、なまえは不思議そうな顔をしとるけど、素直に傍に寄ってきた。無防備ななまえの手を引っ張れば、簡単になまえの体が傾ぎ、俺の腕の中にすっぽりと納まる。急なことで焦ったようにバタバタと動くなまえの背を撫でながら、「安心しぃ」て声を掛ければ大人しゅうなる。
「えぇ匂いがするな」
「髪? 蔵のお家のシャンプーだよ?」
「せやな」
なまえの髪に顔を埋める。風呂から上がったばっかりやから、シトラスの香りが強く香ってくる。俺がいつも使っとるヤツやけど、なまえから香ってくるんは俺とはちゃうどこか甘い香りもする。落ち着かへんのか、なまえが腕の中でもぞもぞと動く。そんななまえに小さく笑って、覗き込めば顔を赤くして俯いてまう。あー、もう、ホンマに可愛ぇ。
「く、蔵?」
「ホンマ可愛ぇな、なまえは」
「もぉ…」
「ククク」
「蔵って意外と意地悪だな」
「分かっとったやろ?」
「うぅ…」
赤かった顔をますます赤くしとるなまえの頭を撫でる。そのことにちょい安心しとる自分がおる。そら男やし。いつまでも妖艶な顔されとったら抑えが利かへんようになるしな…。
そっとこめかみに口付ける。くすぐったそうに身をよじるなまえ。この手で抱き締めとる。目の前におる。そんなことに喜びを、愛しさを感じる。なまえの手に自分の指を絡めて、口元に持って行けば、ほんの少し目を見張って俺を見る。なまえの瞳を捕らえるように見る。そのまま俺を、俺だけを映しとって。
(我儘になったもんやな…)
苦笑すれば、なまえが首を傾げた。気にせんとってと首を横に振って、もう一度しっかりと抱き締める。ゆっくりと息を吸って、吐き出す。
「なぁ、なまえ…」
「ん?」
「俺な、運命やないんかな、てらしくもなく思うとる」
「運命?」
「俺と自分が出会って、好きになったんは」
「……」
「笑えるやろ? そないなこと今までいっこも思ったことあらへんかったんに」
「そんなこと…」
「いっぺん離れたから、もう二度と会えへんと思たから、ホンマに強くそう思うんや」
「うん…」
「せやから、な。こうやって自分を抱き締めとるだけで…」
「幸せや」
体を離して、なまえの顔をしっかりと見つめて紡いだ言葉。それは紛れもない本音で、掛け値なしの真剣な想い。
じっと見つめてくるなまえの顔に両手を添える。
「なまえと一緒に居るだけで」
「なまえの声を聴くだけで」
「なまえが笑顔になるだけで」
「どうしようもなく幸せなんや」
「せやからなまえは俺の運命の人や」
ゆっくりと紡ぐ言葉。
1つ1つ。
伝わるように。
伝えるように。
この、溢れんばかりの愛おしさが。
優しく両手が包み込まれる。それと同時か、すぐ後。温かいモンが俺の手を濡らした。
「なまえ…」
「私も、幸せ…」
一筋の涙がなまえの瞳からつたっとって…。せやけど、なまえは優しく笑っとって…。そのことに俺も泣きそうになる。情けないけど、な。
「私もすごく幸せだよ」
「あぁ」
「蔵と出会えて、蔵と今一緒に居られて」
「俺も」
脅かさないように、怯えさせないようになまえの顎を持ち上げる。
「蔵。ありがとう」
「俺の方が、や」
顔を近づけながら、ふっと笑う。
なまえがそっと目を閉じる。
「俺を幸せにしてくれてありがとう」
優しく触れた唇が実感させる。
狂おしいほどの愛おしさと、恐れるぐらいの幸せを。
この日々が続くことを祈るように…。
もう一度優しく唇を重ねた…。
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お世話になっています蘇芳様のサイト『Lapis*Lasuri』の1周年記念リクエストで頂きました。
私が惚れ込んだ蘇芳様の短編小説『優しい人』と『儚い子』の続編です。
こんなふうに愛して貰えたらすごく幸せですよね。
もう、甘党な私のツボにクリーンヒットです^^
蘇芳様、素敵な作品をどうもありがとうございました!
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