なにはづに
冷たい風の中、微かに薫る花の香り。
その花の異名のひとつに、春告草とあるように、新しい季節の到来はもう目の前まで迫っている。
「長いようで意外と短かったな、3年間」
「そうだね」
私と並んで歩くのは、3年間同じクラスだった白石蔵ノ介。
彼の手にも私が持っているのと同じ黒い筒。
その中身は卒業証書。
「菅野は高校、四天宝寺やないんやっけ?」
「うん……」
多くの生徒が、エスカレーター式で高等部に進む中、私は外部の女子高への進学が決まっている。
「ほんなら、こうして菅野と一緒に帰れるんも今日が最後か」
「そうだね」
白石と私にはクラス以外にも幾つか共通点があった。
例えば部活。
同じテニス部で、どちらも部長。掛け持ちの文化部だってどちらも同じ新聞部。
違うのは白石が2年でテニス部長に就任したのと、彼が率いる男子部が全国区なのに対し、私はフツーに上級生が引退してから部長になって、地区大会で敗退したことくらい。
そんな風に私達はよく似てたから、自然と息も合って。
3年間で共有した時間は他の誰よりも多い。
「菅野、何処行くん?」
「ちょっと寄り道」
いつもは直進する十字路で不意に右に折れれば、白石が少し驚いたように声をあげた。
「何や、どっか行きたいとこあるん?」
「まぁ、そんなトコ」
嘘。
ホントは行きたいとこなんてない。
ただ、このまま真っ直ぐ進めば、すぐにいつも白石と別れる交差点についてしまうから。
少しでも“さよなら”までの時間を延ばしたくて。
適当な交差点で適当な方向に曲がって、アテのない遠回り。
***
「菅野、」
1番最初の十字路から3回め。
さすがに不審に思ったのか、白石の腕が、角を曲がろうとした私を引き止めた。
「何処行くん?」
「えっと……、」
切れ長の瞳が真っ直ぐに私を捕らえる。
ごまかせない。
「行くアテ、ないんやろ。アホやってんと帰るで」
「っ、ヤダっ!」
少しむっとした表情で踵を返した白石の学ランの裾を引っ張って引き止める。
「菅野、」
諭すように私の名を呼ぶ声に滲む、困ったような色。
「ヤダヤダっ!もう少し一緒にいたいっ!まださよならなんてしたく、ないよぉっ!」
卒業式の最中でさえも流れなかった涙が、堰を切ったかのように溢れ出す。
ずっと隣にいてくれた白石。
そんな彼をいつの間にか好きになっていて。
だからこうして2人で帰るだけで幸せで。
この時間を終わらせたくないのは、私の我儘だって解ってる。
けれど、白石の裾を掴んだ手を離すことはできなかった。
「はぁ〜……」
「!」
頭上で、深い溜息。
「そういうことされると困るんやけど」
「ご、ごめ……っ」
白石を怒らせてしまったのかと、慌てて彼の服から手を離した。
けれど。
「勘違い、してまうやん」
白石自身にその手を引かれ、そのまま彼の腕の中におさめられる。
え?
え!?
「今の関係壊したなくてずっと言えへんかったけど、」
戸惑う私にそう前置きして、白石が続けた言葉は。
「俺、菅野のこと好きや」
私が彼に伝えたくても伝えられなかったものとおんなじで。
「せやから、例え高校が別々になっても、一緒におりたい」
困惑で止まっていた涙が、先程までとは別の意味で零れてく。
「……嫌か?」
沈んだ声音に、首をぶんぶんと横に振って違うと伝える。
「わた、しも、す、き……。白石が、好き……っ!」
しゃくりあげながら、自分の想いを口にすれば、潤んだ視界の向こうで、白石が大きく目を見開いて。
「おおきに……詩歌」
次の瞬間には、温かな彼のぬくもりが私の全身を包み込んだ。
なにはづに
さくやこのはな ふゆごもり
いまをはるべと さくやこのはな
(長い長い冬を越え)
(今咲き誇る恋の花)
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