息るということ

 彼女を失くしてから五年、わたしたちの命はおそらく二十余年のものでしょうから、その四分の一をわたしはないてすごしてきたことになります。しかし、まだまだ、到底たりうるものではありません。わたしのみじかい命すべてを燃やしつくしたとしても、泪がわたしの鶸色の目からながれることはないのですから。

「いつまでないとるつもりや、マヒワ。もう、十二分にないたやろう」

 わたしはこの鶸色の目から、マヒワという名でよばれております。その名をくださった長老殿が白くながい眉をゆがめて、ちいさなため息をこぼされました。長老殿はわたしたちの寿命よりはるかにながくいきておられます。すこしまえから境界にある街に住まれていたはずですから、たれかがわたしのことを心配して、(わたしたちがあちらにむかうのはすこし難しいのですが)長老殿をたずねてくれたのでしょう。そして、長老殿はわざわざわたしのところまできてくださったのです。うれしいことです。

「いくらないたってたりません。彼女はもういないのですから」

 でも、こればかりは、いくらわたしよりながくいき、おおくの知識と経験をおもちである長老殿でもとめることはできません。長老殿には彼女を黄泉がえらせることはできません。わたしもそれをもとめている訳ではないのです。ただ、彼女をおもい、なげいていたいのです。彼女のためではありません。わたしのために。
 長老殿の縹色の目がかなしくゆがんだようにみえました。

「すきなだけかなしむとええ」

 ながい沈黙のあと、そうおっしゃった長老殿にあうことはそれきりありませんでした。


 あつくなり、さむくなり、季節がゆっくりとわたしの横をはしりぬけていきました。何度も何度も。あついなと彼女との日日をおもい、さむいなと彼女の体温をおもい、かなしかなしと息をしておりました。十をすぎたころから、歳を数えることはやめました。


 このごろは、いくつ目かの雨の季節やってきており、わたしの住む山はながらく低い雲にどろどろとおおわれております。きょうの雨はとくにひどく、庭で木のようにおおきく育ったあじさいのちいさな花をちらしています。花たちはいつのまにか幾分赤味をましたようにみえます。わたしはというと、濡れ縁にぽつねんとすわり、ぼさぼさになった茅からたれるしずくが踏石に穴を穿とうとあたっては、はじけるのをじっとみていました。じめじめとあつく、不快でねむくなるこの季節がわたしはきらいではありません。湿気はじっとりとわたしによりそいってくれます。
 一際おおきなしずくが踏石のうえではじけたとき、突然わたしのなかもはじけるようにあつくなり、心の臓がにぎりつぶされるような痛みがおそいました。なにごとかとつよく目蓋をとじましたら、頬のうえをなにかがころころところがるのを感じました。目をあけて、したをみてみれば、板張りの床がとことどころまるく色を濃くしています。眉をよせれば、またころりと頬をなにかが走り、床を黒く染めました。
 ああ、これが、


トンテンチリリ
チリトテシャン


 泪なのか。
 そうおもった瞬間、わたしのちいさな頭の中で、糸をはじく音がこだましました。さっきからなんなのだ。わたしは依然として泪をながしつづける目を力づくでぬぐい、その濡れた手で耳をふさぎました。音の正体はおそらくわたしのだいきらいな楽器です。さらに、その音はこの世のものとはおもえぬほどうつくしく、彼女の声に似ていました。わたしはそれを心から、ききたくありませんでした。しかし、いくら耳をつよくふさいでもそれはきこえてきます。どこからというわけでもなく、彼女のなき声に似た音が。ほそくもつよくはっきりとわたしの名をよぶ声が。
 わたしは駈けだしました、音によばれるままに。いままでのわたしではかんがえられないほどはやく、木木の間をぬけ、山をくだりました。わたしが一歩、脚を踏みだすたびにその音はおおきくなっていきます。降りつづける雨がわたしの体にへばりつき噴きだす熱をゆっくりとさましてくれました。

 そのひとはすこし前のわたしとおなじように濡縁にすわっていました。ちいさな膝のうえにわたしのだいきらいな楽器をのせて。地面や屋根、木木の葉を打つ雨音と呼応するようにしあわせそうに糸をはじいていました。

「あら、かわいらしいお客さま」

 ゆたかな濡烏の髪をゆるく結いあげたそのひとは、庭の片隅に立つわたしに気がつくと糸をはじくその手はとめず、うつくしい顔に幼い笑みをうかべそう言いました。歌うようでもあったし、その声がひとつの楽器の音色ののうでもあり、とても魅力的でした。白い太縞の走る利休鼠の単衣は涼しげで大人びていて、その幼い笑顔とあいまって、不思議な魅力をつくりだしていました。 楽器にふれるそのひとの手はやさしく、それにこたえるように張られた白い皮はうつくしい音色をひびかせています。

「あなたはこの子がきらいじゃないの」

 そのひとは丁寧に楽器をふき、布でつつみ、雨のはいりこまない障子のかげにおきました。そして、雨に濡れるのもいとわず、白足袋のままぬかるんだ地面にとびおりて、べちゃべちゃとあるき、わたしをそっとだきあげました。



 わたしはその楽器がだいきらいであり、同時にだいすきでした。
 それは彼女の命を奪ったもので、でもそれはたしかに彼女なのです。
 そのひとがあやつる楽器は彼女の皮をつかった三味線でした。

 彼女はうつくしい三毛猫で、あの日、人間に狩られました。彼女はきたない竹の籠にいれられ、真っ黒な体に傷の目立つわたしは川になげいれられました。気を失う寸前に奇特な人間に掬いあげられたわたしには彼女を追う、救う術はなにものこされておらず、河原沿いを毎日あてもなくあるきまわることしかできませんでした。猫に犬に牛、人間によって皮をはがれるおおくの命をみました。しかし、彼女をみつけることはついにできませんでした。

 そのひとは彼女の皮が張られた三味線を曾祖父から受けついだとはなしてくれました。三代にわたり、大切にひいてきたのよ、と。いわゆる最高級品になった彼女は、三味線の名手だったそのひとの曾祖父に売られていったのです。




 そしていましがた、わたしはそのひとがあちらの世界に逝くのをみおくりました。

 であったころは黒くゆたかだったっかみも、白く、一本一本がほそくなっています。しかし、あの幼い笑顔と三味線(彼女)をひくやさしくつよい手は最期までかわりませんでした。
 わたしはそのひとの広いりっぱな屋敷に三味線とふたりのこされました(そのひとの手をはなれてから、彼女はただの三味線になりました。わたしがどれだけやさしく糸にふれても、彼女は声をきかせてはくれません)。


 いまのわたしには、すきなだけかなしむ時間があります。涸らすまでながせる泪があります。しかし依然として、たりないのです。いくら泣いたって泣いたって、かなしみきれやしないのです。
 どうやらわたしはすでに百年以上いきてきて、これからもしばらくは息をしつづけるようです。床によこたわるそのひとと日日を暮らしているうちに体もいくぶんかおおきくなりました。三味線をかつげるくらいには。
 三味線をかつぎ、そのひとの手をなで、わたしはゆっくりと立ちあがりました。人間の里でくらしていくにはわたしは目立ちすぎます(猫にしてはおおきすぎ、熊にしてはちいさすぎるのです)。わたしのこれからもつづくかなしみを平穏なものにするために、境界にある街にでもむかおうかとおもいます。いき方などしりませんが、きっとたどりつけるでしょう。時間だけは売るほどあるのですから。

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