ディア

 人間嫌いの博士がいる。
 その人はロボットの研究で有名だったが、いまでは暗い森の奥に建つ屋敷にたったひとりで住んでいる。十年ほど前に息子を事故で亡くしてから、ただ悲しみに暮れて、屋敷から一歩もでることなく、ただただひとりで息をしている。博士の屋敷を訪れるのは週に一度やってくる郵便屋だけだった。そのたったひとりの訪問者も屋敷の不気味さに荷物を扉の前に置くと声もかけずに逃げるように去っていく。
 そんな日常の中、博士にふと思いつくものがあった。人間にそっくりなロボットをつくってみようと。なぜそんなことを考えついたのか、そんなものつくってどうするのか、それは博士自身にもわからなかった。その日から、博士は暗い森の中の堅牢な門に囲まれた不気味な屋敷の小さな部屋にこもりきりになった。


 青い瞳のロボットがいる。
 瞼をゆっくりと持ちあげたソレから博士は目が離せなくなった。博士より少し背の高いソレが作業台に座っている。ぐるりと首を回すと蜘蛛の糸のような髪が揺れ、静かに瞬きをすると青い瞳がきらりと光って博士のこころを揺らした。なぜ、青い目にしたのだろうか。博士は自らに問うた。特に理由はなかったはずだ。ほんとうにそうだったか。そういえば、最愛の息子は青い目をしていた。無意識のことだったのだ。それに気づいたときにはもう遅かった。溢れでる涙をとめるすべを博士は持たなかった。
 博士はソレのほそい手首を掴み、引きずるように広く吹き抜けた暗い玄関に連れてきた。重い扉を開けると、真っ白な光がさしこんでくる。博士はその光が心底嫌いだとでもいうように顔を歪めた。そして、おどろいたような表情をつくったソレを力ずくで光の中に押しだした。白いニセモノの肌が光の中に溶けていく。
「どこか遠くへ行け」
 しぼりだすようにいって、博士は扉を閉めた。そのまま崩れるように座りこむ。その口から、ことばにならない声がぼろぼろとこぼれた。


◇◇◇


「人間嫌いの博士だよ」
 先輩は面倒臭そうにそういった。
 新しく担当することになった森の奥のお屋敷。週に一度、おおきな段ボール箱と発泡スチロールでできた箱を数個届けている。豪華な門を開けて、玄関の扉の前まで持っていくのだけれど、まったく人の気配がしない。しかも、広い庭は荒れ放題。ほんとうにあそこには人が住んで住んでいるのだろうか、そんな私の疑問に対する答えがそれだった。
「もう十年もあの家からでてないらしいぜ」
 俺も会ったことないからホントかどうかわからないけどな、そういたずらっぽく笑った先輩に軽く頭を叩かれた。
「ほら時間だ行ってこいよ」
 幽霊屋敷ではないらしいから安心しろ、そういった先輩を恨めしく睨みつけてポケットに入れておいたトラックの鍵を手にとった。


「こんにちは。お届けものです」
 いつものように立派な扉の前で声をかける。相変わらず返事はない。額にうっすらと浮かんだ汗をシャツの袖でぬぐう。鬱陶しいくらいに蛇行する森の中、車を延々走らせ、たどり着いた門の前からそれなりに重量のある箱をここまで運ぶ。なかなかの重労働だ。
「お届けものです」
 労いの言葉でもかけてもらいたいな、なんて考えながら、いつもよりすこし大きな声で叫ぶようにもう一度いってみた。相変わらず返事はない。自然と寄った眉間の皺を指でぐっとのばす。そんなことをしていたら、風がやわらかく頬をなでた。きもちいい。目を細めると、ぱさりとなにかが落ちるかるい音がきこえた。ふと視線を落とすとそこには綺麗な街並みが広がっていた。夕日に焼かれた街の景色が刷られたハガキだった。どこかに挟まっていたものがさっきの風で落ちてきたらしい。しゃがんで手にとる。その写真自体が熱をもっているかのようなあたたかな色合いにこころから綺麗だと思った。ひっくりかえして宛先をみると、この屋敷の『博士』宛になっていた。その横にはタイプライターで打ちだしたような几帳面な文字が所狭しとならんでいた。この屋敷に箱以外のものが送られてきたのはわたしの知っているなかでも、先輩にきいた話のなかでもはじめてのことだった。
「お手紙ですよ」
 扉についている郵便受けにハガキを入れていう。なぜだかとてもうれしいきもちになった私の髪をあたたかな風がゆらした。


◇◇◇


 たくさんのハガキがある。
 ある日、突然押しこまれた絵ハガキはその日からどんどん増えていった。毎週のようにそれは送られてきた。差出人はいつも同じ青い瞳をしたロボットだった。たくさんのハガキはロボットが生まれた作業台の上に置いてある。
 あの日、騒がしい郵便屋が去り、太陽が姿を消したころ、博士はいつものように箱を屋敷の中に運びいれた。それから耳を疑った郵便屋の言葉の真偽を確かめるために、郵便受けをゆっくりと開いた。信じられなかった。自分にそんなものを送ってよこす変わり者などいるわけがないと思っていた。しかし、開いた郵便受けのなかには一枚のハガキ。博士はおそるおそるそれを手にとった。「愛する博士へ」そう書きだされていた。
「お手紙ですよ」
 もうすぐ郵便屋のくる時間だ。今日も大きな声でハガキの到着を告げる。博士は扉の前でそれを聞く。いつからかこの声が博士が唯一たのしみにするものになっていた。


◇◇◇


 扉の向こうに感じる人の気配に自然と口元が緩む。いつからかそこにあったこの屋敷の主の気配はどうやらハガキを待っているらしかった。わたしがハガキを郵便受けに入れると、すぐになかからそれを開ける音がきこえてくる。それがなんだかとてもうれしい。今日は箱の積み下ろしに手間どってしまったから、きっとうずうずしてまっているのだろうな、と思ったら申し訳ない気持ちが湧くのと同時に顔がにやけた。
「今日は、ハガキはないんでしょうか」
 そんなことを考えながら荷物の確認をしていると扉の向こうからところどころ裏返った素頓狂な声がきこえてきた。
「ありますよ」
 思わずもれそうになった笑いを口をきつく結ぶことで閉じこめた。


◇◇◇


 もうすぐ郵便屋のくる時間だ。今日も大きな声がハガキの到着を告げる。
「お手紙です」
 博士はそれを扉の前できく。そして、それを押し開く。真っ白な光が流れこんできた。目を細めて、驚きで反対に目をまるくした郵便屋にいう。
「いつもありがとうございます」
 あたたかくてやわらかい風が博士の頬をなでた。
「これを届けてもらえませんか」

 ――愛する息子へ

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