変態

 安い居酒屋の喧騒に隠れて気になって気になってしかたがない同僚の一挙一等足を目で追う。そいつはさっきから酒が薄い、料理が来るのが遅い、料理がまずいと今回の幹事の山本に冗談まじりに絡んでいる。
 部署に関係なく同期入社だけを集めた飲み会は座敷を貸し切ってひらかれた。最初こそなんとなく部署ごとにわかれて座っていたが、いまではもう完全自由席。どさくさにまぎれて気になる同僚こと藤の隣に陣取った。向かいあって座る藤と山本の話に参加していますよというのを取り繕って、そらしてもそらしても横に引き寄せられていく視線をごまかすようにアルコールを胃に流しこむ。おかげでかなり酔っている。頭ががんがんぼやぼやする。これはこれでまずい気もする。

「おい、山本ー。いつまでも藤ちゃんかまってないで、こっちにも来いよ」
「山本さーん、お酒もってきてくださーい」

 近くにあったまだ栓のついた瓶をつかんで立ち上がった山本が藤に手刀をきって呼ばれた方へ歩いていく。幹事だから酒もセーブしているのかその歩みはしっかりしたものだった。

「んで、おまえはさっきから、ちらっちらこっちみてどうしたわけ」

 そこかしこから酔っぱらい特有の笑い声があがる。あがっている、はずなのに俺の耳には藤の声しかはいってこない。やばい緊張する。グラスから顔があげられない。なあなあ、とかすれた声が俺を呼ぶ。

「なあ、かじわらあ」

 はじけるように顔をあげた。藤が俺の名前の最後の母音をひきずってあくび、した。その伸ばされた母音にあまい艶が孕まれているようにきこえて体中がカッと熱くなった。
 俺の性急な動きに少しおどろいた顔をした藤と目があう。切れ長の涼しげな目元の上を繊細な線として走る眉、スッと通った鼻筋を持つ藤は俺の気になるひとで。ハスキーな声でうみだされる企画は独創性があり魅力的で、社内でもちょっとした有名人で。ひとあたりのいい性格もあり、それなりになかよくなれた藤は、はっきりいってしまえばあこがれの、同性の、同僚で。なのに、なのにさ、なんで勃ったよ。なにしてんの、俺のムスコよ。

「へーんたい」

 最低だ。
 違和感を感じて確認しようと顔を下げたら、それに藤の目線もついてきていた。あわてて、三角座りしたけどばっちりみられた。しかも、変態っていわれてちょっとおっきくなった。泣きそうだ。

「だれのことみて、なに想像しちゃったわけ」

 呆然と自分のことをみつめる俺を藤は嬉々としてちゃかしてくる。それもそうだ、まさか自分のことをみておっ勃てられたなんておもわないだろう。もうだめだ。一歩も動けない。藤から目をそらしたいけどそらせない。山本助けて。戻ってきて山本。

「あ、松崎さんか。確かに彼女だいぶ酔っぱらってて、みだらな格好になってっけど、ああいうのはみないふりして記憶から抹消してあげるってのが礼儀だろうよ、梶原」
「違っ」

 口をついてでたことばに絶望した、が後悔先にたたず。
 なんで否定するのよ、俺。松崎さんには悪いけどそういうことにしておけばよかったのになにやってんの。

「はあ。じゃあだれよ。おまえそんな想像力豊かなの。ちょっと女性陣に報告してくるわ。あぶないよーつて」

 しかもなんで立ち上がった藤のシャツの袖つかんだし。そのままいってもらえばいいじゃん。なんで動かないの俺の指。なんでおもいどうりに動かないの俺の頭よ。アルコールかアルコールのせいか。
 藤がふしぎそうにこちらをみた。
 みあげていた目線がやっと藤からはなれて、右に左にさまよう。そのままどんどん下がっていく。顔があつい。頭もあつい。体のあつい。もうなんか、全部どろどろになってぐっちゃぐちゃだ。やばい。泣きそう。いや、てかもう泣く。

「山本ー、こいつかなり酔ったみたいだからつれて帰るわ」
「おー、わかった。頼むわ」
「藤さん帰っちゃうんですか」
「なにやってんだよ、梶原」

 頭上をいろいろなところから飛んできたことばが行き来する。シャツをつかんでいた腕を藤にがっしりと握られ引きずり起こされた。慌ててはたに置いていた上着をあいていた手にひっかけて、倒れてしまわないようになんとか地面を踏む。冷や汗が滲む。一度だけこちらの様子を確認したあと、ずんずんと進みつづける藤にほとんど転びながらついていく。いや、引っぱられていく。革靴をなんとかつっかけて、店の外に出たところで不意に手を離されて、転んだ。
地面がつめたい。風もつめたい。変な汗をかいた体があっというまに冷えていく。ぼろっと目から涙がこぼれた。一粒だけ。
 肩にあたたかいものが触れたな、とおもったら。両肩をしっかりとつかまれ、ひっぱりあげられた。俺よりすこし低い位置に藤のきれいな顔があった。表情は読めない。心臓が跳ねる。つめたい風ですこし冷えた頭がまた沸騰する。もう、泣く。今度こそ完全にな泣く。

「梶原はおれのことをみてたんだろ。ずっと」

 ぞわり。

「へーんたい」

 にやりと笑った藤に太腿を撫であげられた。
 その瞬間なにかが煮立った頭の中で弾けた。

「タク呼んであっから、気つけて帰れよ」

 んじゃあな梶原、と足どり軽く闇にとけていく藤をみておもった。
 最低だ。
 ぼろっとまた涙がでた。

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