■ 神さまふたり

歴史を支配していた標がなくなり、人間を始めとする多くの生命が、自分達の意志で星と生きるようになった。
これからどのような未来を迎え、歴史を築くか。それは人間にも仙人にも、神々にも分からない。
ともあれ、仙人と人間を巻き込んだ大戦は終わり、仙人界と人間界は再び世界を隔てた。
これから先、人間界の諍いに手を貸すのは神界に住まう神々の役目だ。

人々の手で歴史を築く事を願い、その為に助力する事を使命とした神々は、今日も今日とて人間界の営みを見守り、姿なくともその傍らに居続けた。



人間界は秋を迎え、暖かな日差しと冷たさを孕んだ風との寒暖の差が日に日に増していく。
思い思いに色を変えた豊かな葉は、風に晒され少しずつ姿を消していくのだろう。
もうすぐ冬がやって来るのだ。
髪を弄ぶこの風もいつか木枯らしに変わり、木々の実りは地中に隠れ、獣たちも身を丸くする。


「こんなところで昼寝かい」


天化は日なたで力なく寝そべる伏羲を上から見下ろしながら尋ねた。
真正面から遠慮なく落ちてくる視線を煩わしく感じたか、伏羲は天化の問いに答えず身を捩った。
それはまるで無言の内に返答を拒否しているかのようだったが、天化は意に介さず伏羲の隣に腰掛ける。
伏羲の剥き出しになった二の腕はこの時期には寒そうに見えたが、実際はそんな事はないのだろう。伏羲以上に寒々しい格好をしている天化とて同じだ。

人間とは世を画す人ならざる者。
神と始祖はただ静かに陽を浴びていた。


「神界はよほど暇を持て余しているのだな」
「別にそういうわけじゃないさ」
「おぬしは油を売ってるだろう」


寝転がったまま伏羲は胡乱げな視線を天化に向けたが、天化は全く気に留めなかった。
風に揺れる伏羲の前髪をそっと撫でる。
冷たくも温かくもない手の平の温度が、彼が魂魄体である事を証明していた。


「俺っちはちゃんと仕事してるって。スースがまた人知れずどっかに行かないよう見張っとけって、楊ゼンさんからお目付け役を頼まれたんさ」


天化の言い分はいつもこうだ。
人間達にそっと助力するのが神の役目だというのに、楊ゼンも何を考えてこんな任を与えたのか、天化はまるで付き人のように伏羲の傍にいる。
神界に戻るのか仙人界に行くのか定かでないが、時折ふらりと姿を消す事はあっても、数日と置かずに伏羲の元へとやって来る。
その時に決まって「ただいま」と言ってのけるのだから、天化にとっての拠点は伏羲の方なのだろう。


「おぬしは神でありながら人間達を蔑ろにしている事を何とも思わんのか」
「蔑ろになんかしてないさ」
「現にこうして人々を放っておいているだろう」
「俺っちは俺っちの役割を果たしてるだけさ」


天化は平然と答えてみせたが、伏羲にはそれが理解し難かった。
標をなくし時として途方に暮れる人間達に神が手を貸すよう、今の世界を構成したのは伏羲の中の太公望だ。
それは決して人間達の為だけではない。標なき世界は、封神され神となった者達のものでもある。だから神となった者達にも、標のない世界に居場所を作ったのだ。

それに伏羲は関与しない。
伏羲は神界の者ではなく、神々とも一線を画す異端の存在だ。
この星の事は任せたと、人間界や仙人界、神界とも袂を別ち、ただ世界が移ろうのを見守るだけだ。始祖として、これ以上世界へ干渉する事は伏羲自身が許さない。

そうして孤独である事を知れず心に決めた伏羲の元へ、天化は変わらず笑みを湛えてやってくる。
伏羲が困惑した様子で視線を向けても、天化は笑って隣に座ったままだ。


「スースは俺っちが傍にいるのは嫌さ?」
「嫌、というわけでは……」
「じゃあ傍に居させて欲しいさ」


天化はそう言って、伏羲に倣い寝転がった。
暖かい日差しを受け、何もない草原に二人が寝転がったまま向かい合う。
真っ向から見据えてくる天化の碧い目に迷いの色がないのを見て取り、伏羲は無性に悲しくなった。


「好きにすればいいとは思うが、おぬしはそれで良いのか?」
「それで良いのか、って言うと?」
「……わしはおぬしの慕った太公望ではない。わしはおぬしの知らない人間だ」


人間、と自分を言い表すのは間違っている気がしたが、言わんとする事は天化に伝わったらしい。
天化は目元を緩め、まるで愛しむように伏羲の頬に触れた。
相変わらず温度を感じない余所余所しい手だったが、それは伏羲も同じだ。
伏羲も天化の頬に手を伸ばしそっと触れてみた。手袋越しに触れた感触に覚えがあるのか、伏羲の中の太公望が小さな声を上げた。


「何もかも知らないわけじゃない。あーたの中のスースを含めて、あーたは俺っちにとって大事な人なんさ」
「どうしてそう言い切るのだ? おぬしが憎く思う仇もまた、わしの中にいる」


その言葉を聞き、伏羲の姿から王天君を探したのだろう。天化は一瞬目を細めて鋭い気を欹てた。
けれどそれは一瞬で霧散し、柔い空気が音もなく戻ってくる。


「しょーがないさ。それもひっくるめて、それでも俺っちはあーたと一緒にいたい」


伏羲の中の太公望が顔を覆った。堪らない、と泣いている。王天君は泣きはしなかったが、言い知れぬ激情に唇を噛んでいる。伏羲も顔を覆って泣きたい気分だった。


「わしもおぬしも、これから先、途方もないほどの時間を生きる」
「まぁ、俺っちもあーたも神さまだし、それは分かりきってる事さ」
「終わりのない時間の果てまで、わしと共にいるつもりか?」


朽ちる身体も磨耗する精神もない。この存在は命という概念から逸脱している。
星空のように果てなく、海原のように膨大な時間が二人には約束されていて、それこそこの星が終わる時まで二人はこの世界に存在するだろう。
終わりのない時間軸にいる以上、気安い約束は交わしたくなかった。
それを糧にするには、伏羲の存在はこの先で空恐ろしくなるほどに長く続く。
この世を移ろうのならば一人でいる方が何よりも楽で、心が軽い。

けれどその一方で、天化と共に在る事を望む自分がいた。


「一人きりじゃきっと寂しくなるさ」


頬に触れていた手が離れ、天化の頬に触れている伏羲の手の上に重ねられた。ぎゅう、と手を力強く握られる。
彼の確固たる意思がそこにあるような気がして、太公望は嬉しそうに顔を綻ばせた。王天君は呆れたように肩を竦めていたが、その口元は弧を描いていた。
二人の声なき歓喜を全身で感じ、対して伏羲は力なく笑みを浮かべながら「ならば約束してくれ」と天化に言った。


「わしの事は伏羲と呼べ」
「ああ」
「寒い時には手を握ってくれ」
「ああ」
「それだけだ」
「そっか」


天化はそれに柔い笑みで返し、また伏羲の頬に触れた。
その手を温かく感じたのは、恐らく伏羲の錯覚だろう。

温かくも冷たくもない手の平を頬に押し付けあう。人ならざる二人はただ互いを見据えていた。






神さまふたり






異心同体な伏羲さんと生涯本命一筋な天化さん。
太公望と王天君が合体した伏羲さんは素晴らしく強メンタルですが、王奕として抱えていた女禍と同様の孤独感もあるんじゃないかなって思いました。




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