1 | ナノ





俺は人が好きだ。

彼ら(僕らと称してもかまわないが、一応。)はとても面白い存在だ。人は俺のことを嫌いだと、波江によく言われるが、俺はどれだけ嫌われていてもどれだけ憎まれても彼らを愛し続ける自信がある。むしろ俺こそが人を愛するべきなのだ。一種の病気とも言えるかもしれない。新羅には中二病なだけだと一蹴されるが。

そして俺が人と同じくらいに好きなのが、日常だ。だから正直に言うと帝人君のような人種の考えることはよくわからない。確かに何も刺激のない田舎に住んでいれば俺だってそういう思考になるかもしれないが、都会だって住んでいる人間にとってみれば毎日辺り一面には退屈しか転がっていないのだ。

そもそもこれは主観的問題だ。自分の感じる「日常」と他人の感じる「日常」の間にはとても深い歪みがある、とその事に気づいている者だけが始めて「非日常」の領域に踏み込めるのであって、その他の者にとってはすべてがただ「日常」なだけなのだ。

つまり俺は、何も特別な変化のない普通の日常(あくまで俺にとっての、だけどね。)の中で、愛する人間たちが右往左往する様を観察するのが好きなわけだ。だから例のデュラハンやら殀刀の存在なんかも、認めざるを得ないけれど本当ならばあまり関わりたくはない。もちろんそれらによって人間たちが面白おかしく行動してくれる場合は別だけど。ほとんどの場合、奴らは人間には受け入れられずただ社会の隙間に埋められていく運命だからあまり心配する必要はないけどね。




…と、長々と個人的な考察を語ったわけだけれども。


まあ、つまり、俺が言いたいのはこれ以上俺の生活圏内にファンタジー設定を投入するのはやめて下さい。ってことだ。ノー・モア・ファンタジー!いや、デュラハンから手を引けばおのずとそれらから離れることができるのはわかっているんだ。だけどもうそんなことやれるような時期はとっくのとうに過ぎている。だから、せめてこれ以上は、と願うのは俺に最後に残された手段と言ってもいいだろう。


しかし、人の夢と書いて儚いと読むとはよく言ったもので、起こらないで欲しいと思うこと程よく起きるものなのだ。






「…何なの、これ」


池袋から帰宅した俺が見つけたモノは、自宅のソファですやすやと寝転がる白いコートを着た「自分と同じ顔の誰か」だった。




賑やかなワルツ




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サイケたん登場!
サイケと津軽とシズイザな話
に、なる予定です。
暫しの間お付き合い下さいませ