一夜の過ちでドラゴンストームと番ってしまいましたが、彼には他に好きな人がいるので番契約は破棄になる






「フライゴンのドラゴンクローが決まったー!!ガラルスタートーナメントの優勝者はキバナ選手、ユウリ選手ペア!!」

優勝した両選手は笑顔でハイタッチ。あまりに映えるワンシーンにその瞬間、上がる歓声は一際大きくなる。

前チャンピオンのダンデ選手の声かけで集まったダブルバトルの大会も今回でもう10回目だけど、現チャンピオンのユウリ選手がトップジムリーダー・キバナをペアに選ぶのは5回目。たまには違う人を、と言う声はもちろんあるけれど、どうもキバナ選手が自分と組めと熱烈にアピールしてそれをユウリ選手が受けているというのが本当の話らしい。

キバナ選手はナックルシティのジムリーダーになる前からその甘いマスクとワイルドな戦いぶりで世の女性を虜にしてきた超人気選手。もちろんガラルだけでなく世界中にいる彼のファン、特にガチ恋勢はそんな状況に泣いたけれど、相手は彼が生涯のライバルと認めていたダンデ選手をも破ってチャンピオンになった女の子。しかも可愛い。さらに性格もいい。そんな女の子相手に勝てるわけないし、そもそも本人が夢中なのだからリアコ勢がどんなに頑張ったってそれは無意味。だから最近の二人のダブルバトルでの息の合った戦いぶりに「もういっそ早く交際宣言して」という声が上がり始めているらしい。もちろん涙を流しながらだけれども。

確かに優勝して下したライバルたちと握手をした後、二人とそのエースポケモンのフォーショットを撮るシーンは見ていて微笑ましいし、実際にSNSに上げられた写真を見ればどこからどう見てもお似合い。ポケモンバトルが強い二人のことだからもし付き合って、それからもし結婚して子供が産まれたらきっとその子は将来のチャンピオンになるだろう。そして世界はそれを望んでる。

じゃあわたしはどうしたらいいんだろう。間違いでキバナさんと番ってしまった仮初の番は。

そんなの答えは決まってる。





わたしがキバナさんと出会ったのは半年前、エンジンシティの駅でのことだった。

その日わたしはエンジンシティでの仕事を済ませたあと、鉄道でナックルシティへと向かう予定だったのだけど

「え、止まってる!?」
「あー、止まっちまったか」

何やらトラブルがあったらしく次に電車が来るのはいつになるかわからないとアナウンスが入った。この後ナックルシティで用事があったのにどうしようと頭を抱えていたら、隣でわたしと同じように困っている人がいた。

言葉が被ったのと、どこかで聞いたことのあるその声にふとそちらに目を向けると向こうも同じようにこちらを見ていてぱちりと視線が合う。

あ、と思った。

褐色の健康的な肌にタレ目、それからなかなかお目にかかれないくらいの高身長。特徴的なオレンジのバンダナを巻いていないから一瞬「ん?」と思ったけど、こんなに端正な顔立ちで上背のある人はそうそういない。ポケモンリーグに身を置く人間の端くれだからすぐにわかった。というか、テレビでもSNSでも見ない日はないナックルシティのジムリーダー、キバナを知らない人はこのガラルにはいない。

勝手ながら困っているのはごくごく普通の一般人だと思い込んでいたから「困りましたね」なんて世間話をするつもりだったけど、相手が有名人なら話は変わる。わたしは目立ちたくないし、有名人だからって話しかけるミーハーだと思われるのも嫌だ。それでスッと視線を前に戻したのだけど、「あんたもこれ乗ろうと思ってたのか?」というまさかの問いに再び彼の方に目を向けた。

……もしかしてわたしに話しかけてる?

きょろきょろと周りを見渡してみたけれど、どう考えたって彼が話しかける距離にいる人間はわたししかいないし、なんならばっちりと目が合ってるからどうやら相手はわたしで間違いないらしい。

「…ええ、まぁ」
「お互いツイてねぇな」
「ですね」

ジムリーダーなのだからそらとぶタクシーに乗ったらいいんじゃないでしょうか。

たしかジムリーダーは移動が多いからリーグからアーマーガアタクシーの乗り放題券をもらっていた気がする。だから、なんで鉄道なんだろう…って感じ。わたしみたいな一介の事務員は安く上げるのが鉄則だから鉄道使うけど…。

「どこまで行く予定だったんだ?」
「ナックルシティです。あの、えっと、わたし急いでるのでこれで」

少しそっけなすぎる対応しちゃったかな。でも服装が違ったとしてもこの高身長は嫌でも目を引く。それに顔を見れば一瞬で誰かわかってしまうから、彼が他の人に見つかる前にさっさと退散しようと世間話もそこそこにその場を去ることにした。

次のナックルジムの事務員さんとの待ち合わせまであと二時間。とにかく今は時間がない。自転車、は絶対に間に合わないから、これはそらとぶタクシーに乗るしかないのかもしれない。今回は事情が事情だし上司も多少交通費が高くなっても許してくれるだろうけど、高いところ苦手なんだよな。

でも背に腹は変えられなくて「Hey、ロトム。そらとぶタクシーを呼んでくれる?」とスマホロトムにお願いをしていたら、後ろから手をぐいっと引っ張られた。

「わっ」
「オレもナックルシティに帰るんだが、乗ってくか?」
「………はい?」

ジムリーダーが?わたしをタクシー相乗りに誘ってる?ひょっとしたら夢でも見てるのかな。もしそうだったとしてなんで相手がドラゴンストームなんだろう。わからない。

熱愛報道なんかが出てるのを見たことがあるけど、その相手にわたしが選ばれるはずないし、だとしたらファンサ?そういえば手厚いっていうのも聞いたことがある。だとしたらこの人はどれだけいい人なんだろう。顔良くて背高くてポケモンバトル強くて、それにファンを大切にできるって。絶対女の子ホイホイじゃん。

…そんなことを考えていても結局どうしたらいいのかわからないわたしは口をパクパクさせることしかできない。そんなわたしに向かってキバナさんは「多分鉄道の影響で全然捕まんねぇから急いでるなら乗ってけよ」と続けた。

「捕まらない?」
『そらとぶタクシーは今二時間待ちだロト
「えっ!?うそ!?」

最初キバナさんの言ってることがわからなかったけど、ロトムの言葉にようやくそらとぶタクシーじゃ用事に間に合わないことを理解した。

「あの、それじゃあ乗るって何に乗るんですか…?」

わたしが首を傾げるとキバナさんは少し得意げに口元を歪めて、そして腰にくくりつけられたハイパーボールを投げた。

「ふりゃあ」と元気な鳴き声をあげて中から出てきたのは彼が使用するポケモンとしてここ最近人気の高まっているせいれいポケモン、フライゴン。フライゴンは可愛らしいつぶらな瞳にドラゴンとも蜻蛉ともとれる大きな翼をはためかせてキバナさんの隣に寄り添うように降り立った。

「こいつに乗ればひとっ飛びだぜ?」

そう言ってフライゴンの背をなぜるキバナさんの細められた碧色の瞳はあまりに優しい。

きっとこういうところが人気なんだろうな。かっこいいのに誰にでも優しくて、それにポケモンに愛情深い。メディアで嫌と言うほど見ていたはずなのにこうして実際に対面したら彼の顔立ちや雰囲気は画面越しとは比べ物にならないくらい好ましいからファンが後をたたないのも頷ける。

「お声がけしてくださってありがとうございます。でも、大丈夫です」

でも相手がどれだけカッコよくたってやっぱりその申し出は受けるわけにはいかない。もちろんこの人が有名人だからっていうのが大きいけど、でもそれ以外にも理由がある。


それは、彼がアルファだから。


子供たちが大人になる少し前。わたしたちはバース性検査というものを受けることを義務付けられている。バース性というのは男女以外に人間を分ける第二の性別。絶対的支配層にある優秀なアルファ、一般的で一番数の多いベータ、そしてごくごく少数しか存在しないオメガの三つに分かれるバース性は、その後の人生を大きく左右する重要になるファクターになる。優秀でどこに行っても優遇されるアルファであれば勝ち組、ベータならそれまでとなんら変わりのない普通の暮らしが送れる。でももしオメガだったら…。

オメガは生殖に特化した種だと言われている。男性でもオメガと診断されれば妊娠することができるし、女性もアルファやベータの女性に比べて肉付きがよく子供を産むのに適した体つきをしてる。そして三ヶ月に一度、一週間ほど続くヒートという発情期の間はアルファを誘惑するフェロモンを振り撒いて、それこそそのことしか考えられなくなる獣のような存在になる。

そんな体質のせいでオメガはアルファにもベータにも疎まれることが多いし、社会に出て働くことも難しい。

だからオメガに生まれることは“ハズレ”だと言われている。

もちろん最近はそういった症状を落ち着かせる抑制剤が出ていてオメガもだいぶ普通の暮らしが送れるようになっているし、それを理解してオメガを普通の人間として扱ってくれる人もいるけど、でも人間自分と違うマイノリティを排除したがる生き物だから、どうしたってこの世の中はオメガにとって生きづらい。

そしてわたしはそのハズレのオメガに生まれてしまった。言われている通り割と辛い学生生活を送ってきたわたしは一生オメガであることを隠し通すと決めて、このガラルの地へと引越してきた。だからここでオメガのフェロモンを感知できるアルファと関わって、自分がオメガだと知られるわけにはいかない。

それにこの人だってわたしがオメガだって知ってたら声はかけなかっただろうし。だから関わらないことが一番。

それでその申し出を断るとキバナさんは断られると思ってなかったのか一瞬きょとんとした顔をして、それから少しはにかんだように歯を見せて笑った。

「あー、悪い。これじゃタチの悪いナンパだよな?」
「え!?いや、そんな風には思ってないですけど…」
「ん、ならいいけどよ。急いでんならこいつが一番だと思ったんだがな」

キバナさんが気まずそうに眉を下げながらフライゴンをもう一度撫でると、フライゴンは寂しそうに「ふりゃあ…」と鳴く。しゅんとしたフライゴンを見るとなんだかものすごく罪悪感を感じてしまって、それでわたしはついいらない言い訳を始めた。

「いや、その、わたしなんかと一緒にいるところ見られない方がいいんじゃないかと思って…」
「は?なんで」
「え、だって、ナックルジムリーダーのキバナさんですよね?写真とか撮られたらまずいですしファンの方に申し訳ないですし…」
「そんなの気にしてんなら問題ねぇぜ?嘘のニュースならすぐに消える。それより旅は道連れ世はなんとかって言うし、それに」

そこで一旦言葉を切って、そしてわたしを目を見てキザったらしくニッと笑う。

「困ってる女ほっとくのは男の名が廃る。困ってるあんたを置いてオレさま一人じゃナックルに帰れねぇよ」

そう言われてまたわたしが黙ってしまったのは多分距離が近くなったせいで感じる彼のいい香りのせいだと思う。それは間違いなくアルファのフェロモン。ジムリーダーをするような人はアルファに決まってるからもちろんそうだと思っていたけど、この惹きつけられる香りは彼が間違いなくアルファである証拠。それも抑制剤を飲んでるのにそれでも感じるくらいの強いフェロモンを出すんだからめちゃくちゃ強いアルファ。そんな彼にわたしがオメガの本能で従ってしまうのは当然。だからこれは初対面の彼に簡単にときめいてるとかじゃない。多分、おそらく、きっと。

「あの、その」となんとか言葉を捻り出そうとするわたしに彼はふわりとフライゴンに跨るとわたしに「ほら」と手を差し伸べてきた。

気がついたらキバナさんのペースにハマってて、わたしの手はまるで操られたマリオネットみたいに意思に反してそちらに伸びていく。キバナさんはその手を強く握って、そして自分の前にわたしを乗せる。

「わっ」
「大丈夫か?」
「は、はい…。いや、あの、でも」
「しっかり捕まっとけよ」

なんでこうなっちゃったんだろう。
だけどもうフライゴンはふわりと地面から浮いていて今更降りるなんてできない。それでわたしはキバナさんのジャケットをぎゅっと握った。

「よろしく、お願いします」
「おう」

人を乗せなれているのかフライゴンの背中の乗り心地は良かったけど、ふわりと浮いた瞬間後悔した。高いところ苦手なんだからそれで断ればよかったんじゃない?でもやっぱりキバナさんの言うことに逆らおうって思えない。だからアルファはよくないんだって。

近づいてさらに香るキバナさんのフェロモンを吸わないようなるべく身体が触れないようにしていたけど、一回り以上体躯の大きいキバナさんはわたしをすっぽりと抱え込む。

あー、もう、どうしよう。わたしのフェロモン、バレてないよね…?高いとこも怖すぎるし…。

そう色んな意味で震えていたらキバナさんがわたしの顔を覗き込んでくる。

「高いところ苦手か?オレの手掴んどけ。そっちのが怖くねぇからな」
「いえ、大丈夫です!怖くないです!平気です!」

耳元で話さないで!近づかないで!そう思って即答すればキバナさんは「へぇ?」と意地悪そうに口角をあげる。

「フライゴン」

それでキバナさんがフライゴンに声をかけるとこれまた意地悪そうに鳴いたフライゴンが急降下した。

「っっっっっ!?!?」

体がふわりと浮いてわたしは声にならない叫び声をあげながら必死にキバナさんの腕にしがみつくと彼はフライゴンと一緒に八重歯を見せてくつくつと笑う。

「にっ、苦手ってわかっててやってますよね!?」

意地悪な二人(正確には一人と1匹)にたまらずわたしが声を荒げるとキバナさんはもっと笑った。

「ンなガチガチに緊張されたらこっちも緊張しちまうだろ?せっかくのフライゴンのフライトなんだから楽しもうぜ」
「…高いとこ怖いから楽しむ余裕ないです」
「お、もうハシノマまで来たな。ほら、あそこ見えるか?あの一番高い木の下」
「え?」

いつのまにか眼前に広がるのはワイルドエリアのハシノマのはらっぱ。フライゴンが高度を下げたから木のすぐ近くにいるヨクバリスがよく見える。どうやらキバナさんはそのヨクバリスを指差しているようだけど、ややぽっちゃりしてるくらいで特に普通と変わらない気がする。

「ヨクバリスがどうかしました?」
「見てろよ」

言われた通りしばらく見ているとヨクバリスがこちらに気がついてぴょんぴょんと跳ねる。するとキバナさんは腰のバッグからマゴのみを取り出して、そしてそのヨクバリスに投げた。

ヨクバリスはそのみを上手に受け取って、それを上に掲げるとクルクルと回りだす。機嫌良く「きゅきゅ♪」って鳴いてるんだろうなっていうのは聞こえなくたってわかる。

「か、かわいい…」
「あいつよくワイルドエリアで会うんだが、前に怪我してたときに回復してやろうとしたら勝手にオレからマゴのみ奪ってよ」
「ふふっヨクバリスらしいですね」
「だよな?で、勝手にとってったくせに懐いてきて、それからオレを見るたびあんな感じ」
「それは…あげちゃいますね」
「だろ」

それからキバナさんはワイルドエリアでの楽しい話を聞かせてくれた。昔修行が思い通りに行かなくて石を蹴り上げたらそれがジュラルドンとタイプ相性最悪のドリュウズに当たってしまってボコられたから、後日万全の準備をしてリベンジしに行った話とか、巨人の鏡池でビブラーバのレベル上げをしてたら天候がひどい霧に変わって前が見えなくなってたところ、ネマシュが光って助けてくれたとか。

話を聞いてたらいつの間にか高いところにいることを忘れてて、すっかり話に夢中になるわたしにキバナさんは「ポケモンのこと考えてると自分がどこにいるか忘れるだろ?」と笑った。

「素敵ですね。なんか、楽しそう」
「ワイルドエリアは一度ハマると抜け出せねぇからな。あんたはあんまり行かねぇか?」
「まだ数回くらいしか。たまにはミミッキュを里帰りさせてあげたいんですけど」
「へぇ。どこで捕まえたんだ?」
「巨人の鏡池です」
「そこでミミッキュに会うなんて運がいいな。しかしあんたの相棒はミミッキュか、オレさまとは相性悪い」
「うちの子はドレパン覚えてるのでジュラルドンにだって負けませんよ」
「オレのパートナーは強いぜ?タイプ一致じゃない技じゃやられない」

普通を装っているけど心臓が高鳴りすぎてやばい。これ、フェロモンのせいだよね?朝飲んだ抑制剤が強いものだからこれで済んだけど、もし普通の薬だったら絶対ヤバかった。

やっぱり一刻も早く早く離れた方がいい、そう思ってちょうどワイルドエリアとナックルシティを繋ぐ門が見えてきたから「すみません、あそこで降ろしてもらってもいいですか?」とその手前のあまり人気のないところを指差した。

「間に合うか?」
「フライゴンのおかげで早く着いたので。それに街中でキバナさんと降りる勇気は流石にないです」

それに用事があるのはナックルジムだから、このままキバナさんと降りたらキバナさんを追いかけるストーカーみたいになっちゃうし。

「ん、りょーかい」

その一言で察したフライゴンはさっきの急降下と違ってゆっくりと高度を下げると、1分もたたないうちにわたしたちはワイルドエリアに降り立った。

「ありがとうございました。どうお礼をしたらいいのか…」

フライゴンもありがとう、と最後の挨拶に躊躇いがちに手を伸ばせばフライゴンの方から頭を寄せてくれる。とんでもなく可愛い。自分から早く離れることを決めたのになんだか離れ難い。フライゴンとも、それからキバナさんとも。いや、だからダメだってば。

「気にすんな。ついでだし。また次あったらどっかで茶でもしてくれたらそれでいい」
「キバナさんもそんな冗談言うんですね。今度こそナンパみたい」

さっきされた意地悪のおかえしのつもりだったのにキバナさんは全く意に介さずニコッと笑う。

「わかってんならなによりだ」

キバナさんはそのままわたしの頭をぽんぽんと撫でて、そしてナックルシティへと繋がる門に歩いて行った。



「………は?」



最後の最後、落とされた爆弾のせいでわたしはキバナさんにお別れの挨拶をしそびれた。

「え?え?」

いや、だって仕方ないよね?わたし、聞き間違いした?ていうか頭ポンポン…???え、なんなの、今の………。

アルファで人気者の彼とはもう二度と会えないし、会っちゃいけない。この気持ちはオメガが本能でアルファを求めてるだけ。
そう言い聞かせて明日には今日のことを忘れるつもりでいたのに、キバナさんの一言でそんなのは全てどこかに吹っ飛んでいってしまった。

思春期からオメガとして生きてきたわたしにまともな恋愛経験はない。そんなわたしに今の出来事が消化できるわけもなく心配したミミッキュがボールから出てきてわたしを急かすまでその場から動けなくて、結局わたしは走ってナックルジムに書類を届けることになったし、なんならその後ナックルシティで予約を入れていた病院の診察には遅刻してちょっと怒られた。

こんな自分に驚いたけど、もっと驚いたのはキバナさんとの『次』がまさかのその日の夜にやってきたからだった。




◇◇◇




「お疲れ様です。エンジンジムとナックルジムに無事書類度届け終わりました」
『病院には無事行けましたか?鉄道が止まったとニュースで見ましたが』
「あ、はい。親切な方が送ってくださいまして…。診察も終わったので今からラテラルタウンに帰ろうと思います」
『もう遅いので明日にしてはどうですか?ちょうどもう一件ナックルシティで頼みたいことができたので明日それをお願いします。休みは三日後からでしたよね?今ジムも落ち着いてるのでそれが終わったら休暇に入ってください』
「…いつもすみません」
『謝ることじゃないですよ。それでは』
「はい」

上司との電話を終えて、今度はロトムに「今日のごはんはどこがいいかなぁ?」って聞くと、「そうロトね」と一緒に考えてくれる。

わたしが働くラテラルジムのジムリーダー、オニオンさんと事務のトップの上司だけはわたしがオメガのことを知っている。働き始めてこの三年間、それを隠してこられたのは間違いなくオメガ用の強い抑制剤とその抑制剤を貰うためにナックルシティの病院まで通うのから他の人に怪しまれずに休むためのケアまでしてくれる二人のおかげだ。

特に昔事故にあった時に助けてくれたのがオメガだったらしくオメガに友好的なオニオンさんはそれ以外にもいつもわたしを気にかけてくれている。例えばわたしがラテラルジムで働き始めた年のこと。ファイナルトーナメントを見てみたくてチケットをとったけどその頃はまだ人前に出るのが怖くてやっぱり無理だと諦めてジムでお留守番をする予定だったのだけど、それを知ったオニオンさんが声をかけてくれた。

「い、いつも飲んでる薬を飲めば大丈夫です。僕にもわからないので。もしそれでもまだ不安ならぼくの仮面を貸してあげます…。これがあると安心します…」
「え、でも。大切な仮面なのにいいんですか?」
「…はい。たくさんありますし、それに今年はきっと面白いです!」

その年は現チャンピオンのユウリさんがファイナルトーナメントに進んだ年だったから、オニオンさんももう一度戦えるのを楽しみにしていたんだと思う。実のところ一度見たユウリさんのバトルが忘れられなくてチケットを取ってたから、そう言われるともっと見たくなる。

オニオンさんの仮面はファンに人気のアイテムでよくグッズのお面を付けたファンが応援に来ているからその人たちに紛れれば試合を見られるかもしれない。もちろんお面でオメガだと言うことを隠すことはできないけど、オニオンさんの気持ちが嬉しくてわたしは勇気を出して観戦に行くことに決めた。

結局最後はチャンピオン戦前にあんなことになってスタジアムは騒然。わたしは人酔いして帰ることになったんだけど、大きなスタジアムでオニオンさんとユウリさんの白熱したバトルが見れたし、何よりこの日がきっかけで今みたいに人前に出る勇気が持てるようになったから、あの日のことはわたしにとってはすごくいい思い出になっている。

オメガの身でありながらポケモンリーグで働くことができて、しかもこんなにいい上司がいて、わたしは本当に恵まれてるなって思う。だからこの日々を無くしたくない。そしてそれには波風立てずにこのまま静かに暮らしてるのが一番。

なのに頭に浮かぶのはわたしの頭を撫でたキバナさんの顔で。だけどそれはもう忘れなきゃいけないことだと頭を振って、そして夕飯を食べられる店を探すことにした。


のだけど…。


「………」
「お、よお。さっきぶりだな」

ナックルシティの表通りから一本入ったところ。ロトムに相談して見つけたこじんまりとした雰囲気のいいお店でローストビーフを食べることにした。ヒートが近くなるとしばらくご飯どころじゃなくなるから基本的にわたしは人が引くくらいたくさん食べる。少し待って出てきた三人前くらいあるそれにナイフを入れたらスッと通って、ああ、ここはいい店だなって。それで大きな口でそれを頬張っていたら。

カランと音を立てて入ってきた人とドアすぐ近くのカウンター席でもぐもぐヨクバリスをしてたわたしの目が合う。

そういえばファイナルトーナメントの時キバナさんの試合見たんだよななんて彼のことを思い出していたから最初は幻覚かと思ったけど、声が聞こえるからどうやら見間違いじゃないらしい。

「………」
「もしかしてもう忘れたとかじゃねぇよな?」
「い、いえ。こんな偶然あるんだなって思って…」

神様は意地悪だと思う。

ほんと、なんで今また会うの?わたしが今までナックルシティに来ても一度も見かけなかったのに。まだ気持ち整理できてないんですけど。

その通りわたしの心臓は彼を見かけた瞬間からバグったみたいにドキドキしていて、ほんと、これじゃまるで恋したみたい。


「用事には間に合ったか?」
「あ、はい、間に合いました」
「ならよかった。しかしほんと偶然だな。ここのローストビーフうまいよな」
「はい、美味しいです…」

もうどうしたらいいかわからなくて「はい」しか言えないわたしをよそに「お、キバナくん、いらっしゃい」「邪魔するぜ」と店長さんと常連っぽいやりとりを終えたあと、キバナさんはわたしの隣の席の椅子を引く。

「え」
「ん?」
「席、いっぱい空いてます、けど」
「ああ、ダメか?」
「ダメじゃないですけど…」

これ以上一緒にいると色々まずいから、ダメです。でも言えなくてしどろもどろで逃げ腰だったけど「じゃあいいだろ?茶がメシになっただけだ」って言われたらこれはお礼ってことになるんだから断れるはずない。でもさっき病院で薬もらってまた飲んだところだし、さっきみたいにアルファのフェロモンを感じないし大丈夫、だよね?

それからキバナさんはわたしと同じメニューを頼んで、「ワインでも飲むか?ここの酒は安い割にうまい」って誘ってくれて。わたしもローストビーフにワイン合うだろうなって思ってたところだったし、なにより心臓バクバクでまだ「はい」しかいえなかったから気がついたら目の前にはグラスが置かれてる。

だけど一緒にグラスを傾けている間のキバナさんの話はずっと楽しくて、それにつられて酒のペースが早くなって、いつのまにかわたしは酔っ払っていた。

やばい、そろそろ帰らなきゃ。そう思ってキバナさんに目を向けるとポケモンの話をしていたさっきまでとは違う、色っぽいよりももっと獰猛な視線がわたしを射抜く。そうするとわたしの心臓はそれまでだってひどくなっていたのにもっともっと、バカみたいに鼓動を打ち始めた。

「わ、たし、そろそろ」

頭に危険信号が鳴る。なけなしの理性でその言葉を捻り出して椅子から立ち上がったけど、その瞬間キバナさんから信じられないくらい濃い花の香りが漂ってきて、するとガクッとわたしの膝が抜けて椅子に逆戻りした。

「ふぇ…?」

自分の呼吸が浅くなっていることに気がつくと、それとともにお腹の奥の方があついし、物足りないのを感じる。

あ、やばい。これ、ヒートだ。なんで?ついさっき抑制剤を飲んだばっかりなのに。

霞んでいく頭で必死に考えたけど、隣に座るキバナさんにももちろんわたしのフェロモンは届いてしまっていて、彼の呼吸も浅くなっている。

キバナさんをヒートに巻き込んでる。早くここから出なきゃ。

そう思うのにわたしの体は動かないどころかすぐ隣にいるアルファが欲しくてたまらなくなっていく。お互いに手を伸ばしあって指先が触れると体がビリビリと痺れる。それでもう一度視線を合わせるとキバナさんは性急に、でも優しくわたしを抱き上げた。

店長さんと何か話していたのは分かったけどもう思考することを放棄したわたしはただただキバナさんに自分のフェロモンをぶつけることしかできなかった。




◇◇◇




あったかい。

いつもわたしのそばにいてくれる可愛いパートナー。ばけのかわごしでもわかる彼のあたたかさはわたしを安心させてくれる。ゴーストタイプだけどちゃんと実体があるんだな。もう3年も一緒にいるけれどときおきピカチュウ似のその被り物の奥から光るその瞳と目が合えばくるりと反対を向く。いじっぱりな性格で出会った頃はわたしが手を伸ばしたらふいっと顔を向こうに向けて触らせてなんてくれなかったけど、今ではこうして隣で寝てくれるんだからもう可愛くてたまらない。

けれど。

………なんかいつもと触り心地が違う。

「ん……?」

なんか、硬い。それに大きい。え、どうしちゃったの、わたしのミミッキュ!!?

そう思って目を開けるとそこにはミミッキュの少しくすんだ黄色とは似ても似つかない褐色。しかもその褐色の面積がエグい。

「………」

それでゆっくりと視線を上に上げるとそこには。

「ッッッ!?」

叫び出しそうになったのをなんとか口を手で塞いで抑えたのを褒めてほしい。


だってそこにはドラゴンストームがいたんだから。


え、ええ、えええ!?!?


もう一回叫び出しそうになったけど、すぐに昨日のあの出来事を思い出して手で顔を覆った。

待って、いや、待って。昨日わたし、ヒート、したんだっけ…?

なんかやたら体があつかったことは覚えてる。で、今はヒートが近いはずなのにいやにすっきりしてるし、その割に色んなところが痛い。腰とか、脚とか、………うなじとか。

恐る恐るうなじに手をそわせればそこはヒリっと痛んで頭からサーっと血の気が引いていくのを感じた。

うそ、だよね?誰か嘘だと言って!!

でもだんだんと蘇る記憶の中にキバナさんがわたしの首筋に歯を立てて「噛んでいいか」って聞いて、それに「噛んで」って答えたっていうものがあって……。

ってことは。もしかしてわたしとキバナさんって番になったってこと、だよね…?

隣で眠るキバナさんを見つめると信じられないくらいの愛しさを感じるし、彼から香るフェロモンを吸い込めば安心感と多幸感がすごい。今までどんなアルファと会ってもそんなこと思ったことなかったのに。

ってことは。きっとそれが番になったってことなんだよね…。

どうしよう。こんなゆきずりの、有名人と番ってしまって。しかもわたしが強いアルファのキバナさんのフェロモンに反応してヒートしちゃって、で、キバナさんはそれにつられてラットして、お互い理性ないまま番っちゃったってことでしょ?最悪すぎる……。

後悔に押しつぶされるわたしはしばらく死んだ顔でキバナさんを見続けた。褐色の肌に少し軋んだ黒髪。男らしい体躯なのに眠っていてもわかる整った顔立ちはみんな好きに決まってる。ゆっくりひらく深い海の色の瞳も綺麗で見つめられると愛しさが…。

…って、ん?瞳…?

「オレさまの顔になんかついてるか?」
「……!?ひぇっ、あ、ひゃい」
「はは、ンだそれ。さっきから顔赤くなったり青くなったり忙しいな」
「お、起き、起き」
「お前が起きる前から起きてたぜ?起きた時どんな反応するかと思って見てた」
「ッ!?な、な、な、」

まさか起きてると思わないじゃん!?それになんでこんなに普通なの!?

わたしがやっぱり顔を赤くしたり青くしたりしてるとキバナさんはプハッと笑ってわたしの頭をわしゃわしゃと撫でてくる。

「わっ、えっ!?」
「想像以上でなにより。体キツイだろ?飲みモン持ってくるからまだ寝とけ」
「は、はい…」

ゆっくりとベッドから起き上がって、そして冷蔵庫へと向かった後渡してくれたのはおいしいみず。それを見ると急に喉の渇きを感じて、急いでごくごく喉をならして飲むと口の端から水がこぼれる。慌ててそれを拭おうとしたら、わたしよりも先にキバナさんが指でそれを拭った。その時の目があまりに優しくて、なんだか居心地が悪い。

「ゆっくり飲めよ?」
「すみません。あ、あの…」
「ん?」
「わたしたちって、えっと」
「ああ、番になった」
「!………す、すみません」
「お前が謝る必要ねぇだろ?噛んだのは俺だしな。むしろお前がトんでる時に噛んじまって悪かった」

わたしがヒートしてキバナさんを誘ってしまったんだろうに、キバナさんは怒ってないらしい。それにひとまず安心したけど。

「……オメガだって黙っててすみませんでした。言ってたらこんなことにはならなかったのに」
「バース性を初対面の人間に言わねぇのは普通だしな」
「でもキバナさんがアルファなのはみんな知ってることですし、わたしが近づいちゃいけなかったです…」
「だからお前は悪くねぇよ。そもそもオレが声かけたんだからお前が気にするのおかしいだろ」
「そういうわけには。あの、番契約はアルファ側から破棄できるって聞いたことがあります。だから、破棄してもらっても…」
「オメガは一度番ができたら他のアルファは受け入れられなくなる。そうしたら辛いのはお前だろ?噛んでおいてお前にだけ負担を強いるなんてさせねぇよ」
「でも…」

最後にヒートして誘惑しちゃったのはわたしだし…。

申し訳なさすぎて「でも」を繰り返すわたしにキバナさんは何故かふはっと笑い出す。

「え?」
「お前って見た目によらず頑固だな」
「がんこ…」
「そういう簡単に流されねぇとこ好きだぜ?」
「え、え、と」

他意はないって分かってるのに「好き」って言われるのはやっぱりドキドキする。それなのにキバナさんは

「オレは噛んだ責任をとらねぇような人でなしじゃねぇつもりだ。会ったばっかだけど相性いいのは分かってるし、お前となら今後も楽しくやっていけると思う。だからもしオレのことが嫌じゃないならちゃんと番になってくんねぇか?」

だなんてとんでもないセリフを言ってきて。

番になって欲しいなんて、人生で言われる日が来るなんて思いもしなかった。しかも相手はとびきりのアルファで、わたしの番。もうオメガとしてのわたしは完全にキバナさんのものだから、そう言われるだけで喜びで鼻の奥がツンとする。

「ひょっとして他に将来を約束してたパートナーでもいたか?お前からは他のアルファの匂いはしてなかったが」
「そんな人はいないですけど」
「なら今日からオレたちは番ってことでいいか?」
「本当にいいんですか?」
「ああ」
「……他に、好きな人とかできたら言ってくださいね?」
「そりゃいらねぇ心配だ。ドラゴンは生涯一筋だからな。一度手に入れたものは手放さねぇよ」

そう言うとキバナさんはわたしの頬に手を沿わせて、そして親指でわたしの唇をなぞるとそのまま口付けをする。わたしの心臓はもう爆発するくらいバクバクして、キスが終わったあとまたキバナさんに笑われた。


どうしよう。会ってまだ二日目だって言うのに。



◇◇◇



普通のオメガだったらこんな人と番になれて嬉しいって思うはずなのに、それを喜べないのはわたしが彼のことをアルファとか関係なく好きになっちゃったからなんだろうな。

キバナさんがバース性に抗えずにわたしと番になったことはわかってる。今となったらもう他のアルファのフェロモンを感知することはないから比べようもないけど、わたしとしては今まであったどのアルファよりも心地いいフェロモンだったし。キバナさんにとってもわたしは相性のいい相手だったのかもしれない。

オメガにとって相性のいいアルファと番えることはすっごく幸せなことなんだと思う。それに番になってからのキバナさんは優しい。

番になって以降、マメに連絡をくれるし、どんなに忙しくても一週間に一度は顔を見に来てくれる。ワイルドエリアでキャンプをするって言って巨人の鏡池に連れていってくれたこともある。その時のミミッキュのはしゃぎ様はついカメラに収めたくなるくらいかわいかったし、キバナさんの作ってくれたカレーは驚くほど美味しかった。そのお礼にキバナさんの好物を作ってみたらすっごく喜んでくれて、それでわたしも嬉しくなるってもうどうしたらいいのかわからない。

そんな生活が四ヶ月ほど続いた頃のことだった。

「そういやそろそろ一緒に暮らすとかも考えた方がいいかもな」
「………えええ!?」
「嫌か?番なんだしなるべく一緒にいた方がいいだろ。ヒートの時期がズレても問題ねぇし、なにより番のフェロモンを摂取するのは精神を安定をさせるからな」
「…そうなんですか?」
「まぁまだ会って四ヶ月だし、お前のタイミングでいいぜ」

自分が番を作る日なんて想像もしたことがなかったからそういうアルファとオメガのあれこれをわたしは何も知らないけど、いつもそれを怒ることなく頭を撫でて笑ってくれる。そういう優しさに触れるたびにわたしはどんどんキバナさんのことを好きになっていって、するとそれと共にどんどん欲深くなっていく。

キバナさんもわたしのことを好きになってくれないかなって。

だけどそれは望んじゃいけないことだった。キバナさんは優しいから勘違いしそうになったことは何度もあったけど、初対面のわたしにあれだけ優しくしてくれた彼のことだし、そもそもわたしはキバナさんに釣り合うような人間じゃない。だから責任感から番でいてくれてるだけ。

だってキバナさんには好きな人がいるから。


わたしがそれを知ったのはキバナさんと知り合うずっと前。初めて見た時から憧れていた、っていうのは年下の女の子に使う言葉として正しいのかわからないけど、やっぱり憧れてたユウリさんの名前がニュースの一覧にあってふとそれを見ていた時。それはユウリさんがチャンピオン三連覇というニュースだったんだけど、その関連ニュースとして出てきたのが「ドラゴンストームが片思い中。相手は現チャンピオンユウリ選手か」と言うものだった。

どうもキバナさんに好きな人がいると言い始めた時期とユウリさんが優勝して彼と関わりが増えた時期が一致するらしくファンの間で言われ始めたことだったのだけど、ここ最近キバナさんがガラルスタートーナメントのペア相手にユウリさんを誘い続けてることで一気にその話が拡散されたらしい。

ユウリさんはかわいらしくて、でもまっすぐな瞳が印象的で、わたしが男だったらきっとこういう子を好きになってた思うような人。

だからみんなと同じようにわたしも自分とは関わりのない、話すこともないとても遠い人たちの恋愛事情に、「へー、素敵な二人。お似合いじゃん」って思ってた。

でも今はそれがわたしの胸をモヤモヤさせる。

キバナさんに好きな人がいるのを知ってるのに番でい続けるわたしにキバナさんと一緒に住む権利があるのかわからなくて結局わたしは曖昧に笑うことしかできなかった。もうその頃すっかりキバナさんに溺れてたわたしはとても自分から「好きな人のところに行ってください」なんて言えそうになかったし。


だから、いつこの関係に綻びが生じても仕方のないことだった。


「お、きたか」
「なんですか?」
「ガラルスタートーナメント」
「それってダブルバトルの大会ですよね?」
「ああ。ダブルバトル自体はよくするけど別のトレーナーとタッグ組むのはあんまやんねぇから結構面白いんだよな。今回もダンデに勝って次こそタイマンでダンデに勝ってやるぜ」

そう言ってギラリとした負けず嫌いのトレーナーの顔に変わるとキバナさんはいつものあのスタイルに着替え始める。

「ワイルドエリア行ってくる」
「トレーニングですか?」
「ああ。いつまでも負けっぱなしじゃかっこ悪いからな」

キバナさんがカッコ悪かったことなんて一度もないけど。

「はい、行ってらっしゃい」
「一週間くらいは会えねえかもしんねぇけど一人で大丈夫か?戸締りして寝ろよ?知らない人間が来たら出なくていい」
「……」

ずっと一人で暮らしてるんだから今更なのに。キバナさんは思ったよりも心配性だし、多分わたしを抜けてる人間だと思ってる。でも最近は前みたいに気を張らなくなったのは確かなんだよね。もうキバナさんだけのオメガになったから外に気にせず出られるし、うなじの噛み跡を見られなかったらオメガだってバレることはない。それにやっぱりキバナさんに優しくされることが嬉しくて。だから多分人生で一番浮かれてたのは間違いない。

「もし大丈夫に見えないならそれはキバナさんのせいだと思います」

全部キバナさんのせい。そう口を尖らせてみたらキバナさんは少し深刻な顔でわたしを見つめたあと小さく「ハァ」とため息をついた。

「お前ってほんと」
「はい…?」
「……なんでもねぇよ。トレーニング中は連絡も少なくなると思う。でも気にはしとくからなんかあったら連絡しろよ」
「あ、はい」
「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい…」

キバナさんは先を急いでるみたいにこちらを振り替えずに出ていく。

なんか最後怒ってた?事故で番になっちゃっただけなのに好きだとかそんな気持ちはきっと重たいだろうからこの気持ちは隠すつもりでいたけど浮かれてたせいでバレちゃったのかな。いや、でもキバナさんはそんなことで怒らないよね…?

だとしても気を引き締めなきゃ。自分からは言えなくてもキバナさんに好きな人がいるって言われたらちゃんと身を引くって決めてるんだから。


そう思ってたくせにしばらくしてキバナさんとユウリさんがワイルドエリアでトレーニングという名のデートをしてたというニュースを見てしまうと心臓がぎゅうって握りつぶされたみたいに辛くて、自分で本当にバカだと思った。

トーナメント前に会いにきてくれたキバナさんはいたって普通だったけど、わたしはそのニュースを見てからなんか胸がぽっかり空いたような気持ちになってしまって。なんとか笑顔を取り繕ってトーナメントに向かうキバナさんを見送ったけど、テレビで息の合った二人を見たらああもうダメだなってわかった。


次のヒートはもうすぐだった。多分、あと数日後。キバナさんはトーナメントが終わったらしばらくわたしの家で過ごすと言ってくれていたけど、キバナさんが他の人を思ってわたしを抱いてるんだと思うと辛くて死にそうだった。

多分これからきっとこの日々は変わらないんだろうな。わたしはキバナさんが好きだけどでも責任感から番をしてくれてる彼には一生好きだって言えないし、それにキバナさんはわたしを好きにならない。

そんなのわたしには耐えられそうにない。

オメガは一人のアルファと番ってしまえばもう二度と他のアルファを受け入れられないと言う。番の契約が破棄されたとしてもそれは変わらなくて、だけどやってくるヒートは自分のアルファをひどく求める。

実際キバナさんと番ってからのヒートはすっごく辛い。キバナさんが欲しくて欲しくてたまらなくて、作ったことのない巣なんてのをキバナさんの服を引っ張り出して作って「下手くそだな」って笑われて、それも怒れないくらいキバナさんを求めてしまう。

でももう何をしたってわたしのフェロモンを感知できるのはキバナさんだけなら、他の誰かに迷惑をかけることもない。ヒートはきっと死ぬほど辛いんだろうけど、それなら、いい。多分この一方通行の想いを続けてるよりきっとわたしの心は楽。

だからわたしはキバナさんとの番の契約を破棄しようと思う。




◆◆◆



「キバナくん、またニュースになってるよ。熱愛報道後即別れたって。今度はモデルさんだって?」
「誰とも付き合ってねぇっつーの。なのにルリナから怒られるしマジで散々だわ」
「え、ルリナちゃんに怒られたのかい?」
「毎回モデル仲間慰めるの大変だからさっさと誰かとくっつけってよ」
「あー、そういう」
「オレさまだって付き合いてぇよ」
「ユウリちゃんがチャンピオンになった頃からだから、もう二年か。オメガのフェロモン苦手だから絶対抑制剤欠かさなかった男がその子を見つけるために飲むのやめたってのになかなか会わないね。オメガに当てられてここに逃げ込んできたの何回だっけ?」
「…3回」
「5回だね」
「……覚えてんなら聞くなよ」
「ははっ。いや、でもそれって運命の番ってやつなのかな?ベータの僕にはわからないけど」
「さあな。でも会った瞬間に欲しいって思っちまった」
「顔覚えてないんだっけ」
「オニオンの仮面付けててあんま見えなかったからな」
「ってことはオニオンくんのファンか。向こうに認知されてないし別の男の子のファンとかなかなか厳しい戦いだね」
「あー!もう、わかってるからそれ以上言うな!」
「イケメンだのスパダリだのドラゴンストームだの言われてるけど、こういうところ見るとキバナくんも普通の男の子なんだなぁって思うよ」

だから、生暖かい目で見るなって。つーか三つ目はただの2つ名だし。

ここのレストランの親父はオレがジムリーダーを始める前、なんならジムチャレンジをしてた頃から世話になってる馴染みで、メシはうまいし、割と安いし、ファンに場所バレしてねぇし、それに口が硬い。ジムリーダーの集まりをナックルシティでやる時は大抵この店だから他のジムリーダーたちとも仲よくて話が通じるのはありがたいが、親父のおせっかいはなんとかしてほしい。いや、オレさまだってこのままは嫌だけどな?



オレが一人のオメガを探すようになったのは、三年前のファイナルトーナメントの日から。ダンデとユウリの決勝戦の前、ローズ委員長によるあのブラックナイトが始まると会場は騒然となった。実際にことが起きてるのはナックルシティだとしても異変が起きてるとわかれば人間は動揺する。だから観客が安全にスタジアムから出られるようオレたちジムリーダーが誘導に当たったが、その時一人の女に目がいった。

白い仮面をつけた数いるオニオンのファンのはずがなぜか目が離せなくなっていたら、そいつのすぐそばで泣きながら走る子供が転んだ。どうやら親と逸れたらしいその子供にオレが声をかけようとしたらそいつが先に子供に手を差し伸べて一緒に親を探し始める。親も子供を探していてわりと近くにいたから結局オレが声をかける前には親がみつかって、そいつもまた出口へと向かっていく。

そいつがオレの隣を通り過ぎていったその瞬間、そいつとオレの間に何かがつながった気がした。それで気がついたらオレは声をかけていた。

「おい、大丈夫か?」

体をびくつかせてこちらを向いたけど、大半は仮面に覆われていて顔はよく見えなかった。ただ顔色が悪いことだけはわかってもう一度「大丈夫か?顔色が悪い」と聞けばそいつは俯いて「大丈夫です。人酔いしただけなので」と走り去っていった。あの様子じゃ多分声をかけたのがオレだってことも認識してなかったと思う。

初めはなんでそいつがこんなにも気になるのかわからなかったが、横を通り過ぎていった後にほんの少しだけ香った甘い香りを嗅いだ瞬間、身体がカッとあつくなった。

は?なんだこれ…?

トップジムリーダーのオレがアルファなことは公言していなくてもみんな察していて、たまにファンだと名乗るオメガにフェロモンをぶつけられることがある。でも好きでもなんでもないオメガと番う気なんてさらさらないから普段からアルファ用の抑制剤を飲んでオメガのフェロモンを感知できないようにしていた。だから最初はそれがオメガのフェロモンだと気が付かなかった。向こうも抑制剤を飲んでいただろうから漏れていたフェロモンがごく少量だったせいもあると思う。

そんな状況なのにそれでも目について、残り香で身体があつくなって、全てを放り投げてそいつのところに行きたいって思うくらいなんだから多分運命の相手だったんだろう。

でもオレさまはトップジムリーダーで、職務を放棄するわけにはいかない。走り出したくなる本能をグッと抑えて残りの客の誘導に当たった。運命なんだからひょっとして向こうもそれに気がついてオレを待っててくれてるんじゃないかなんて淡い期待を抱いていたが、観客全員が捌けた頃に外に出てみてももちろんそいつはいなかった。


オレがそれまで女遊びを全くしてなかったと言われれば嘘になる。オレの中心はポケモンで、ダンデに勝って優勝することしか頭になかったけど、年相応に女に興味はある。だから彼女がいたこともあればその場限りの付き合いってのもしたことがある。

だけどあれ以降は気がつけばそいつのことを考えていて、他の女と付き合うだのなんだのってのは全く考えられなくなった。だから女避けのためにメディアに「好きなやつがいる」とはっきり言ったし、時間があれば街を歩いてそいつがいないか探すようになった。あのフェロモンを感じたらすぐにわかるように抑制剤を飲むのをやめて。

だけどこれが全く見つからねぇ。運命なんだから運命らしくさっさと見つかれと思っても、全く見つからない。それで気がつけばもう二年の月日が流れていた。


その頃ガラルスタートーナメントというダブルバトルのトーナメントが不定期に開催されていて、オレはダブルバトルだとしてもダンデに絶対に勝つという信条と最後まで残って少しでも人目についてそいつにオレという存在を認識させて、そしていつかそいつがオレが運命だと気づくよう優勝を目指した。

初めてユウリと組んだのは第6回目のトーナメントのとき。その前の回でダンデ・マスタードペアにボコボコにされたらしく「キバナさん!一緒に優勝目指しましょう!?ダンデさんもマスタード師匠も絶対に倒しますよ!!」とオレに声をかけてきたのが始まり。ユウリは最近ガブリアスを育成中でオレのフライゴンと相性がいいから一度は組んでみたいと思ってたが、やってみたらやっぱり相性がよくてそれからはペアを組むようになった。血気盛んな新チャンピオンはどれだけ強くてもチャンピオンとしては新米だからトップジムリーダーのオレが色々教えてたっていうのも相まって知らない間にオレの好きなやつ=ユウリってことになってたけど、ユウリはオレにとっちゃ妹で、それから次は負かすライバルの一人。(ユウリのこと好きだって騒いでおきながら熱愛報道が出る意味はマジでわかんねぇけど。まあモデル側のでっち上げかオレのファンサを誤解したのかのどっちかなんだろうが。ホント、人気者は困る。)ユウリもオレのことは頼れる兄貴として見てるし、それに同年代のやつとなんかいい感じらしいし兄貴としてそっちでも負けてられねぇなって思ってた。

そしてオレがそのオメガに会えたのは結局それから一年後だった。



それは第9回ガラルスタートーナメントが終わった頃のこと。カブさんに用があってエンジンスタジアムへと向かったその帰り。

すれ違った瞬間にわかった。薬を飲んでいないから感じたあの日とは違う強烈な甘い香り。アルファを誘うオメガのフェロモン。だけど向こうは抑制剤を飲んでるらしくその時オレと一緒にいたアルファのカブさんは彼女には一切反応を示さない。だとしたらこれはやっぱり運命なんだろう。

カブさんに別れを告げてオレは急いで彼女を追いかけて、そして駅で立ち止まった彼女に話しかけた。

体の中から湧き上がるのはアルファとして番を見つけられた喜びか、それとも一人の女に恋焦がれてた男の安堵か。そんなのわかんねぇけど、三年ぶりの彼女に全身の細胞が歓喜に震えるくらい昂っていた。

だけどあいつはオレが運命だって全く気がつかない。こっちは運命ってだけじゃなくて顔も声もドストライクで好きだし、ひかえめかと思ったら意外とオレさま相手にバトルで勝つ気でいる強気なとこも、それからあの日自分の体調を顧みず子供を助けに行った優しいとこもすっげぇ好きだってなってんのに。

それで普段の自分じゃ考えられないくらい必死にカッコつけて、絶対に惚れさせてやるって紳士ヅラかましたけど、結局最後は我慢できなくなって酔った勢いで噛むっていうダセェオチ。

いやでもあいつが悪い。酔ったせいか、それとも流石にもう感じてるであろう運命のフェロモンのせいか、とけた瞳でオレを見つめてきて、ふと我に帰るとダメだって目を伏せる。そんな態度取られて我慢できる男いるか?いるわけねぇ。つーかいくらオレがギリギリ気付けるくらい強い抑制剤を飲んでるっつってもオメガなのにそんな無防備でいたら他のアルファに噛まれるだろうが。首輪もしてねぇし。そう思うとふつふつと怒りが湧いてきて、さっさと番って自分だけのものにしたいという利己的な欲が止められなくなって気がついたらフェロモンをぶつけてた。

もちろん最初はちゃんと惚れさせてからって思ってた。でも運命のヒートは思った以上にすごくて、その場でその細い首筋に噛みつきたくなるのを必死に抑えてフライゴンに乗せて家まで持ち帰った。


だから確かに順番を間違えたのは認める。でもあいつももうオレのこと好きなんだろうっていうのは正直態度でわかってたし、なんならオレに無意識に好意の混じったフェロモンをぶつけてきてたんだから間違いない。でも素直に求められたいのが男ってもんだし、ちゃんとあいつがオレのことを好きだって認めるまではヒート以外で抱くのも、正式な結婚も待つつもりだった。けど向こうは無意識に煽ってきて正直我慢は限界。番になって半年たつし、もうそろそろいいかと思っていた。

なのに。






「んだこれ」







トーナメントが終わってその足であいつの家に行く予定だったのに

『すみません。やっぱりわたしはキバナさんと番にはなれません。契約は破棄して下さい。この半年、楽しかったです。直接お礼をする勇気がなくてすみません』

なんてメールが来てる。電話しても繋がらないし、家に押しかけても誰もいない。オニオンに連絡をすれば溜まってる休暇で実家に帰ってると言われた。

次のヒートはもうすぐそこに迫ってるのにオレがいなくて大丈夫だってことか?つーかなんで契約破棄するのか全く意味がわかんねぇ。だってあいつがオレのことを好きなのは間違いねぇし。

だとしたらオレがあいつのことを好きだってわかってなかったってことか?三年も探し続けてようやく見つけて、それで恥も外聞もなく必死に落とそうとしたオレの気持ちなんて疑いようがねぇだろうが。結構わかりやすく好意を伝えてたはずだし。つーかナンパしてる時点でオレが好きなことぐらいわかるよな?

いや、理由はなんであってもオレと別れても大丈夫だって思ってるってことがそもそも間違ってる。



あいつがこっそりオレのSNSをフォローしてたのは知ってる。それにそのフォローがまだ外れてないのも。だからSNSで動画を配信してそしてオレは飛行機に飛び乗った。

実家はカントーのマサラタウンなことは知ってる。マサラタウンは小さい町だしアルファで有名人の兄と比べられて苦労したって話を聞いてるからあいつの家の見当もついてる。

多分画面の向こうでひぇって声をあげてんだろうな。たまにするそのヘンなリアクションがツボだとか、三年も追いかけてたとか、この後言わなきゃいけねぇダセェ話はたくさんあるし、聞かなきゃいけねぇこともいっぱいある。

でもその前にオレがいなくても生きていけるって思ったことが許せねぇからマジで覚悟しとけよ。


「見てるか?オレの番。ようやく手に入ったと思ったのにまさかいなくなるなんてな?このキバナ様の心臓を奪ってまた逃げるなんてんなのはぜってぇ許さねぇからな。次会ったらもう逃げようなんて思わねぇようお前を丸ごと喰らい尽くしてやるよ」




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