「お風邪を召されますよ」
荷車のかげで寒さに震えていたシエルに、セバスチャンはバスタオルをかぶせる。
「こちらにお召しかえを」
「…くさんだ」
「はい?」
「もう沢山だ。こんな生活続いたら気がおかしくなる!!」
「おやおや…もう降参ですか?随分堪え性がありませんね」
困ったようにため息を吐いていたセバスチャンは口元を微かに歪ませた。
「この程度で気がおかしくなるだなんて、坊ちゃんらしくもない」
ゾクッ、とあの頃の記憶が全身を駆け巡った。
「らしくない…か…」
息を吐いたシエル。
「確かにそうだな」
ぎゅ…と焼き印された場所を触ると、次にはいつもの調子のシエルに。
「ファントムハイヴ家当主であるこの僕が、こんな生活をしているなど、らしいはずがない」
ばさ、とシエルは立ち上がりバスタオルを取る。
「さっさと終わらせて切り上げるぞ」
「ーーーー御意」
それからセバスチャンはシエルの着替えを始める。
「ともかく、あとは一軍のテントさえ調べれば帰れるんだ。大人しく一軍昇格を目指そうと思っていたが…この環境でそんな悠長なことは言ってられん。我慢の限界だ」
「私としては夜は死神が邪魔で出歩けませんし」
新しいシャツを着せながらセバスチャンは何気なく言った。
「強行突破が一番楽なんですが」
ピク、と反応したシエル。
「死神がいるとはいえ、まだ奴らが犯人と決まったわけじゃない。大人しくしていろ」
「は」
「狙うなら、一軍が全員部屋を出る公演中だな。まずはあのベッタリはりついたソバカスを撒く方法を考えないと。僕やダリアが動けなければ、意味がないんでな」
「それと」と言ってきたシエルを、セバスチャンはシエルの足を拭きながら見上げる。
「ダリアにはこの事は言うな」
「?御意、ご主人様」
何故わざわざそう言うのか、と不思議そうにしながらも従ったセバスチャン。ふー…と細く長くシエルが息を吐いた。
「…早く帰って、暖かい紅茶を飲みながら甘いものが食べたい」
「お屋敷に戻ったらご用意致しますよ」
それから夜になり公演間近なったステージ裏は慌ただしかった。
「あたしの髪飾り知らないかい?」
「こちらに」
「皆はーん、もうすぐ開演どすから急いでー」
「ナイフの数が足んねーぞ!予備は!?」
「はいっ」
セバスチャンは余裕そうだが、シエルとダリアはあっちへ行ったりこっちへ来たりとてんてこ舞いだった。
「ーーーーハァ…」
『(テントを調べるが早いか、私が過労で倒れるが早いかね)』
二人そろって疲れきって椅子に座る。
「あの…公演中は何をすれば」
と、見上げればソバカスの姿はない。
「ん?」
右を見ても。
「ん?」
左を見ても、いない。そのことに二人はガタッと立ち上がった。
「セバスチャン!あいつのマークが外れた!」
大急ぎでセバスチャンに駆け寄る。
「次のチャンスはいつ来るかわからん。今のうちにテントの調査を済ませよう」
三人はすぐさま駆けだした。
「10分で終わらせるぞ!」
「御意、ご主人様」
「ブラック!」
ピタッ、と三人は固まったように足を止め振り向く。
「ウェンディ姉さんが足ひねってしもて、公演出れなくなってしもた」
そう言うジョーカーの背中には、ウェンディが申し訳無さそうにこちらを見ながら背負われていた。
「さかいにブラック、代わりに出とくれやす」
まさかの事にシエルとダリアは眉根を寄せる。
「ブラックやったらもうショーに出ても大丈夫やし、よろしゅう頼んます」
「『…っ』」
「あとチョイで出番さかいに、急いで準備しとくれやす!」
そう言って去っていったジョーカーを見送って、セバスチャンはため息混じりに二人を見下ろした。
「坊ちゃん、お嬢様。残念ですが又の機会に」
「『…………』」
「?坊ちゃん?お嬢様?」
考え込んでいた二人はふいと踵を返す。
「こんな所に長々と潜入していられない。それに奴がいないのは今だけかもしれない」
『私達には時間があるわ。面倒なのは毒蛇くらいよ』
「プログラムによるとお前の出番が終わるのが19時50分。アンコールが20時00分」
ジャラッ、とセバスチャンの懐中時計を見る。
「これから5分以内に蛇を全て捕獲し、お前はショーに出る。19時50分に出番を終え一旦裏に戻り、蛇を全て解放し、お前はアンコールに戻る」
『後は私達が調べるわ』
「行くぞ!」
「御意」
*
ーーーーキュッ.
「これで全部ですね」
全ての蛇を結んでしまったセバスチャン。
「よし、お前はすぐ公演テントに行け。遅いと怪しまれる」
「かしこまりました」
テントから出る間際にセバスチャンは二人に振り向く。
「すぐに戻ります」
と、言ったがペアがウィリアムだったことにそれは無理かもしれなかった。
「このテントは随分殺風景だな」
そんな事知らない二人はさっさと調べ始めていた。
『あら?』
カバンの上に立て掛けられていた写真立てに気づいたダリア。手に取ると、横からシエルもそれを見る。
「子供の写真?一軍の奴らか」
『ねぇシエル、この人』
「こいつは…?」
二人の視線の先には、子供達に囲まれるように微笑みながら初老の男が写っていた。それから特にこれといったものがなかったので、二人は別のテントへと向かった。
「ここにも」
そしてそこにも写真が飾られており、写真は違ったが先程の男が一緒に写っていた。
「やっぱりこの男が一緒に写ってる」
『…なんか、見たことある様な』
「…ん?」
『どうしたの?』
「後ろの看板…貧救院(ワークハウス)?」
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