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第一話



首都・ロンドンから少し離れ、霧けぶる森を抜けると、手入れの行き届いた屋敷があらわれる。

その屋敷に住まう名門貴族、ファントムハイヴ家当主とご令嬢の朝は、一杯の紅茶(アーリーモーニングティー)から始まる。



「お嬢様、お目覚めの時間ですよ」



広々とした部屋に、男の声が響いた。その声にカーテンに仕切られたベットの中で、毛布からひょっこりと出ている影が、もぞりと動いた。そんな様子を見ながら声をかけた男は、カップに慣れた手付きで紅茶を注ぐ。



「本日の朝食は、ポーチドサーモンとミントサラダをご用意致しました。付け合わせはトースト、スコーンとカンパーニュが焼けておりますが、どれになさいますか?」

『…トースト』



ベッドから眠たそうな掠れた少女の声がした。



「お嬢様、早くお目覚めになられて下さい。坊ちゃんもお待ちですよ」

『…うん』



一向に起きる気配のなかった少女に呆れたように溜め息を吐きながら男が言えば、仕切ったカーテンの向こうで影がゆっくりと起き上がった。



『この香り…今日はセイロン?』

「ええ。本日はロイヤル・ドルトンのものを」



仕切ったカーテンの向こうから男が手渡した衣装に着替えながら少女が問うと、男は頷いた。



「ティーセットは先日ご購入なされた、ウェッジウッドの蒼白でご用意致しました」



そう男が言った時カーテンは開けられ、中からは十代半ば程の少女が現れた。男はボタンやリボンを結び終えると、用意していたブラシやくしを手に取り、ベットに腰掛けた少女の髪をとかし始めた。



『今日の予定は?』

「本日は朝食後、ラリマナ家庭教師(マダム)によるピアノの稽古があります」



話しながらも手の動きは見事なもので、あっという間に髪は男によって整えられた。男は棚に置いていた真っ赤なリボンを手に取り髪に結び始めた。



『今日はそれだけ?』

「いえ。そしてご昼食後はーーーー」



ーーーージョワ〜〜ッン!!

屋敷玄関前で、銅鑼の音が外にもかかわらず大きく響いた。集まる五人の前に対峙するは、一人の中国系の男と燕尾服を着た先程の男だった。



「くらえ!!奥義!!花鳥風月百花繚乱拳ーーーーッッ!!!」



男が気合い充分に奇声をあげながら男に突進していく。しかし男は、燕尾服の男の一撃を喰らってしまい、血を吐いてその場に膝を突いた。



「こ…この技は、我が流派秘伝の奥義…!!猛虎龍胞万華散裂拳…きさま、一体何者だ!!!」



男の問いに、燕尾服の男は余裕そうに手を叩きながら振り向いた。



「ファントムハイヴ家の執事たるもの、この程度の技が使えなくてどうします」



ーーーーファントムハイヴ家執事、セバスチャン・ミカエリス。



「…という訳で坊ちゃん、お嬢様。私が勝ちましたので、お約束通りこれから晩餐まで、本日の復習と明日の予習をなさって下さいね」

「チッ」



ーーーーファントムハイヴ家当主、シエル・ファントムハイヴ。



『ふんっ…』



ーーーーファントムハイヴ家令嬢、ダリア・ファントムハイヴ。



「すごいですセバスチャンさん!!今日で連続50勝です!!」



ーーーー庭師、フィニアン。



「さ…さすがワタ…セバスチャンさんネ…」



ーーーー家女中、メイリン。



「スゲーなウチの執事は」



ーーーー料理長、バルド。

それぞれが思い思いに感想をのべると、椅子に腰掛けていたシエルとダリアはつまらなそうな顔をした。



「わざわざ秘境まで行って連れて来た拳法の達人…今日こそ地に膝をつくお前が、見れると思ったんだがな」

『とんだ無駄足に終わったわね…』

「それは残念でございました」



明らかにそう思っていないだろう笑顔でセバスチャンは主人達に言った。



「まっ、ご苦労だったなセバスチャン。まぁ飲め」

『遠慮せずにイッキにね』

「恐れ入ります」



シエルはテーブルにあったレモネードをセバスチャンに渡し、セバスチャンもお言葉に甘え一気に飲んだ。



「ーーーーところで」



トン、とグラスをテーブルへと置くと、隣にいた使用人達を見る。



「貴方達はどうしてここにいるんです?」



ギクッ、と三人は固まった。



「フィニ。中庭の草むしりは終わったんですか?」

「あっ」

「メイリン。シーツの洗濯はどうしました?」

「え…ええっと…」

「バルド。貴方は晩餐の仕込みをしていたハズでは?」

「ちえーーーー…」

「こんな所で油を売っている暇があるなら仕事なさい!」



鬼の形相で言ったセバスチャンに、ひえーっと慌てて自分の持ち場へと走り出した三人。



「仕事といえばセバスチャン、イタリアのクラウスから電話があった」

「クラウス様から?」

「それについて少し話がある。来い」

「かしこまりました」











「ーーーーでは、クラウス様が直々に本国へ?」

「ああ。例の品が手に入ったと連絡があった」

『今回は少し遅かったわね』

「大分手こずったようだな。6時にはこちらに着くそうだ。商談は我が家で行う。どういうことかわかるな?セバスチャン」

「心得ております。必ずやクラウス様に、ご満足頂ける最高のおもてなしをーーーー」



笑みを浮かべ言ったシエルに、胸に手を当て返事をしたセバスチャンだったが、我慢ならず問いかけた。



「ーーーーときに坊ちゃん、お嬢様。先程のレモネードには一体何が?ムネヤケが止まらないんですが…」



青い顔で胸を押さえるセバスチャンに、シエルとダリアはさらりと言った。



「『タナカ特製味○素%りレモネード』」

「僕らは一口でやめたがな」

『砂糖と間違えたのねきっと。白いし』

「ーーーー〜っ」



うっすら殺意を覚えたセバスチャンだったが、ゴホンと咳払いをすると一礼した。



「では、私は準備を致しますのでこれで」

「ああ、頼んだぞ」

「お二人とも、約束通り予習復習をなさっていて下さいね」

「わかっている」

「では」



そしてパタン、と扉を閉めセバスチャンが部屋を去った。数秒の沈黙の後、机の上にはチェス盤が。



『今日は私が勝つわ』

「今日こそはの間違いだろ。お姉様?」

『…ズルいわよ。いつもそこで姉呼ばわりなんて』



予習復習をする気はさらさらなかった二人だった。




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