14

その日の依は、小田原を訪れていた。
和菓子のメッカと言われる小田原の町にて幸村に甘味を、というのか主要な目的であった。のだが、

「ふむ・・・戦中でしたか」

豊臣に攻め入られ、城を落とされた北条の残党があちらこちらで相手方と剣を交えていた。これでは甘味どころではないなと踵を返そうとした彼女を、血の匂いを纏った風が足止めした。

「・・・忍ですか」
「……」
「・・・戦う気は、無いんですがねえ」

既に血だらけのその忍は満身創痍に見えるが、それでも尚、姿を見られたからか依を殺そうと殺気を放つ。向かってくる苦無に、仕方なしと鉄扇を取り出して応戦する。

ジャキンッ

「…!!」
「ふふ…そこらの町娘ではないもので」
「・・・」

相手も風の婆娑羅らしく、突風が依に向かう。しかし、その風は彼女の直前にて柔らかいものに変えられた。

「?!」
「ありがとう、」

風を撫でるように動く指先。細められた瞳は黄金を湛える。

「私に風は効きませんよ」

ヒュオッ

空気を切り裂くように操られた風の塊がその忍の胸を強かに打ち付けた。

「っ、」

その衝撃だけで崩れ落ちるくらい傷付いていたその忍を、彼女はポスリと受け止めた。

「・・・何処かに手当て出来そうな所はありますかねえ」

こっちだよ、と誘う風に手伝ってもらいつつ、依は彼の身体を運んだのだった。





「…っ、!!」
「…まだ、動いてはいけませんよ」
「(ここは何処だ?)」
「近くの空き小屋ですよ。農家の方の物のようですが」
「(何故、手当てを?)」
「貴方も風に愛されているようですので、つい」
「(何故、俺の言葉が分かるっ?!)」
「貴方の声は、風の声に似ています。だから聞こえるのでしょう」

目が覚めると、さっき戦った見知らぬ女に手当てをされていた。考えている事に言葉が返されて驚くと、彼女の方はそれが当たり前のようにしていて気が抜ける。よく見れば、常に彼女の周りには微かな風が吹いていて、ここまで風に愛されているのであれば自分の風は通用しないのも頷けて力を抜いた。

「大丈夫ですか?肩の傷が、毒が塗ってあったようなんです。在る程度は吸い出したのですが・・・」
「(・・・どれくらい、寝ていた?)」
「二刻くらい、でしょうかねえ」
「(では、たぶん酷くはならない。二、三日熱に魘されれば治るだろう)」

世話になった、と言えば彼女の表情は曇る。

「・・・そんなことを言われても、帰るわけないでしょう。貴方が動けるようになるまでここにいますからね」
「(・・・お節介だな)」
「何とでも言ってくださいな。・・・それから、貴方の名前は“コタロウ”でよいですか?」
「(っ!!何故、名を…)」
「風が、教えてくれましたので・・・すみません、氏までは分からず…」
「(いや、それでいい)」
「そうですか?・・・ではコタロウ、もう少しおやすみなさい」
「…」

変な女だ、と思う。
風と話す女。風に愛された女。そして、風の悪魔と謳われた己に手を差し伸べる女。
しかし、彼女の風は・・・酷く心地良かった。



それから、コタロウの言った通り、彼は発熱した。大量の汗をかき、辛そうに顔が歪む。依は彼の側で何度も汗を拭いてやりながら、硬く握り締められた手をひたすら握っていた。
熱は、三日どころか、五日も続いた。



長い夢を見ていた気がした。現に、水や柔らかく溶かした食べ物を与えられたり、汗を拭われたりしたような気がする。夢の中で影に追われてもがけば、どこからか優しい手が降りてきて、何度も己を引き上げてくれた。随分と世話になってしまったようだと、顔を上げれば、その彼女は己の傍らで丸くなって眠っていた。
これでは風邪を引くと、恐らく彼女に着替えさせられたのであろう、清潔な着物で布団に引き込む。暖かいのか、擦り寄ってくるその仕草にフッと息が漏れた。

「(・・・命を救われてしまったようだ)」

随分と長い間伏せっていた。きっと彼女の看病無しでは水も食事も満足に取れずに、体力の方が先に尽きてしまっていただろう。
スヤスヤと眠る穏やかな表情に、返しきれない恩が出来てしまったと口角が少しだけ持ち上がるのを感じていた。





「ん・・・」

眠ってしまっていたようだった。コタロウが布団に寝かせてくれたのだろうが、肝心の彼は一体どこに居るのだろう。動けるようになったのは良いことだけれど・・・と思っていると、ストッと音も無く、すぐ側に影が着地した。

「コタロウ、もう身体は大丈夫なのですか?」
「(はい、貴女のお陰で)」
「・・・?それは?」
「(…北条氏政は、討たれました)」
「そう、でしたか・・・それを確かめに?」
「(はい)」

少しだけ寂しそうに、手に持った鈴をリンと鳴らして、コタロウは俯いた。

「…これから、どうするのですか」
「(新たに雇われ先を探します。・・・出来ることならば、貴女の為に働きたいのですが)」
「・・・なっ!」
「(貴女がいなければ、この命はあそこで潰えていたでしょう。貴女に救われた命なのですから、貴女の為に使いたい)」
「そう、ですか・・・そんなつもりで、助けた訳ではないのですが…」
「(分かっております)」
「・・・・・ならばコタロウ。私のところへ来なさい。貴方を雇います。但し、幾つか条件がありますが」
「(…何なりと)」

ズイッと指し示された指を見やる。条件は3つあるようだ。

「一つ、戦で死なないこと。二つ、出来る限り己の命を護ること。三つ、私の話し相手になること」
「(・・・?)」

条件と言えないような条件。忍の己に命を捨てるなと問う彼女はニヤリと口の端を釣り上げた。

「ふふ、私の忍になるからには、その命、粗末に扱う事は許しませんよ。良いですね?」
「(・・・仰せのままに)」
「契約成立ですね、」

これからよろしくお願いしますね、小太郎。
そう言って微笑む彼女に、風の悪魔は忠誠を誓った。



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