愛しき軍師殿

羽柴の軍には、黒田官兵衛と共にその智略を競い、併せ、主君である秀吉を天下まで導いた軍師がもう一人いたことをご存知だろうか。今孔明と謳われ、次々と素晴らしい策を打ち出した彼の軍師、名を竹中半兵衛という。黒田と合わせて両兵衛と呼ばれ、互いに理解し合う間柄であったのだとか。



「ねーねー、官兵衛殿かんべーどのー」
「・・・」

その語られる言葉面からすると、頭の切れる荘厳で厳格さを持った者を想像するかもしれないが、実際はこれである。

「卿はもう少し働くべきではないか」
「俺は寝るのが仕事なの!」

呆れたように官兵衛に視線を向けられるも、どこ吹く風のこの小さな御仁(小さなは余計!)こそ、竹中半兵衛である。背丈は女子供ほどでその身は酷く華奢、そして年齢不詳の童顔は向かい合った敵にこれが真逆あの今孔明なのかと驚愕せしめる事も屡々で、本人曰くその隙を突いて先手を打てるのだから悪くはないとのことである。まあそうは言っても、やはり小さいと言われるのを好んではいないようだが。

「官兵衛、入るぞ」
「あ、秀吉様」

己が室にてごろごろと転がる同朋を一体どうしたものかと頭を悩ませていた官兵衛は、入ってきた主君を見上げて溜息を吐いた。コレをどうにかしてくれと、言外に伝えると彼女は苦笑する。

「ここにいたか半兵衛。お前の小姓が困っていたよ」
「げぇっ、俺のこと探しに来たの」
「ちょうど官兵衛にも用事があったからな」

そう言って主君は官兵衛には紙の束を渡し、床に転がる半兵衛はその首根っこを捕まえる。

「すまないな官兵衛、世話をかけた」
「いえ、悪いのは秀吉様ではありますまい」
「ちょっ!秀吉様これ酷い!」
「じゃあ大人しくついて来るのか?」
「えー・・・」

そう言ってズルズルと引き摺られながら去って行く姿は言葉に似合わずどこか楽しげであって、

「お前は全く、手のかかる」
「なあに、秀吉様。俺に近くに居て欲しかったんならそう言ってくれれば、」
「嗚呼、そうだよ」
「っ、アンタって人はっ!」

半兵衛へ向けた彼女の細められた視線が、何か特別なものを見るような、そんなものであるように、官兵衛には見えていた。





「…でよし、さま?」
「なんだ、半兵衛。私は此処に居るよ」

半兵衛には持病があった。
それは彼の生命を喰らうもので、足掻いても足掻いても、着々とその残り時間を削っていく。中国攻めの際、とうとう戦場に立てなくなった彼に、大坂へ戻り療養するように勧めたのは官兵衛だった。その方が彼の生命を少しでも長らえさせることが出来る。嫌だと、最後まで戦場に立たせてくれと、半兵衛はごねた。官兵衛は怒った。そんな事を言っているから余計に生命を短くするのだと。けれどそんなすったもんだもあったのを知っていながら、結局、官兵衛の提案を蹴って戦の本拠地にしていた城にて床を構えさせるのを決めたのは秀吉だった。それからというもの、彼女は執務まで持ち込んで、時間が出来れば常に此処に居る。

「起きたなら此方へ来てくれないか」
「ん・・・なあに」

もはや半兵衛の体調は良い時など無かった。それを分かっていながら彼女は半兵衛に戦の意見を聞いたし、策を練らせた。当初、官兵衛はその意図が分からず彼女のその行動に眉根を寄せていた。一体どういうつもりなのかと、確かに信を置かれてはいないかもしれないが、己だけでは役不足なのかと憤りもした。けれど、違ったのだ。半兵衛を見れば分かった。これは他でもない、半兵衛の最後の望みであるのだと。彼女はそれを聞かずとも汲み取って、痛む心に蓋をして、そしてその最後の我儘を叶えてやっているのだと。

「っ、」

思わず、顔を背けた。

「半兵衛」

彼女の視線が、手付きが、声が、酷く甘く、愛しげで、そして同時に哀しみに満ちていた。それを、半兵衛は分かっているのだろうか、分かっていてそれでも、いや、分かっているからこそ、最後の最期まで、彼女の傍に居たいと思っているのかも、しれない。



「ねえ、官兵衛殿」

これは、半兵衛が本当に動けなくなる、少し前の話だ。
己らが主君と仰ぐ彼女こそが、これからの泰平の世を築いて行くのだと確信しているのは何も官兵衛だけでは無い。羽柴についているほぼ全ての者達が、主君こそが天下を治めることを望んでいるだろう。けれどその確信と理想は同時に、彼の人へ多大なる責務を負わせる事となる。それを憂いている者達が、家臣の中にどれほどいる事か。多くの者は、彼女が治めるのであればきっと平らかな世になると喜んでいるだけであろう。

「官兵衛殿は、優しすぎるよね」
「何だ、藪から棒に」

官兵衛は、天下泰平の為ならば如何なる手段も厭わぬという信念を持っている。その為ならば幾ら主君秀吉と言えども踏み石のひとつに過ぎず、そしてその身が天下を脅かすと判断しようものなら即座に切り捨てる心算でいるのだ。けれどそんな官兵衛を、どういう訳かこの男はいつもそんなふうに表した。

「俺って厳しいから好きな人にも平気な顔して天下の重責を背負わせられるけど・・・官兵衛殿は優しいから、それに罪悪感を持っちゃうでしょう」
「・・・優しいなどと戯言を抜かすのは半兵衛、お前くらいだろう」

冷たい、非道、軍師としてそんな言葉で罵られたことはあれど、優し過ぎると顔を顰めたのは後にも先にも半兵衛だけだった。

「官兵衛殿になら、秀吉様を任せられるなあ」
「・・・なにを、まだ太閤はお前を必要としているだろう」
「そうだね」

己のどこをどういう風に見れば、優しいなどと捉えられるのか官兵衛は未だに甚だ疑問だと感じているが。この男の側は、居心地が良かったという事だけは素直に白状しておこう。



「半兵衛」

最期、その時まで共に居た彼女は、いつかのように半兵衛の頭を膝にのせて、その髪を優しく優しく梳いてやりながら、いつもは執務に落としている視線を寄りかかっている窓の外、どこか遠くに向けていた。

「私はお前を誇りに思う。戦を早く終わらせる為、時として苦渋の決断をも厭わないその精神も、私を導いてくれたその手腕も。己を責めるその優しき心根も、私は端から端までお前を大事に、愛しく思う」

静かに語りかける言の葉は、ぽつりぽつりと落とされて。彼女は静かに、唇を噛み締めて、ひとつ、瞬いた。そうしてそれはそれは優しく甘やかな瞳で、膝の上の男を見つめると。

「ゆっくりおやすみ、半兵衛」

そう言って、その頬をそっと撫でた。
瞼を下ろしたままの男に、どこまで意識があったのか、それは定かではないが。そのまま、眠るようにその男は息を引き取った。中国攻めの最中の事であったという。



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