弱味なら見せなければ良い

工藤邸には、もう一人住人がいるらしい。

勿論、工藤の縁者ではない。そうだとしたら、最初からその存在を知っていた。
宅配業者だと堂々とした嘘を吐いて真っ正面から浸入(許可を得て入っているのでこの言い方は正しくはないのだが)した降谷ですら、その事実を知るのがこんなにも後になってしまったくらい、隠された・・・というよりは閉じ込められた箱庭の住人。彼の存在を知っているのは彼を閉じ込めている張本人である赤井と、FBIの彼の上司、そして工藤一家、隣家の阿笠と哀だけであった。

「・・・諏訪部三春、について?」
「ああ、工藤邸に居るそうだけど、僕は会ったことが無いからね。この間お邪魔した時にも、気配なんて全く感じなかった。一体どんな人物なのか気になるじゃないか」

にこりと微笑みオレンジジュースを運んで来た安室の質問にコナンは口の端を引きつらせた。"彼"の情報を安室が何処で仕入れたのか知らないが・・・これはかなり不味いことになる予感がする。

「もう気がついているみたいだから言うけど・・・安室さんには、教えられないよ」

赤井秀一の、唯一。欠けてはならぬ最後の1ピース。それが無くなるだけで全てが崩壊してしまうような、張り詰めた命綱・・・コナンは彼のことを、そういう風に認識している。それくらい、こと彼の事に関すると赤井は危うい。あんなに頼もしく強く逞しくて勇ましい彼が、諏訪部三春の事となるとほんの些細な事でガラリと表情を変えるのだ。
初めてその赤井を目にした時、驚くのと同時にコナンはこのひとも人なのだと何故だか安心したのを覚えている。完璧で欠点など無く、失敗のあり得ない彼にも重大な弱味があったのだと。そしてそれが重大すぎる故に、赤井は彼を決して外へ出さなくしてしまい、それこそが、あの完璧とも言えるエージェントをつくりあげているのだと。

「そんなに、ですか」
「・・・うん、下手したら僕が危ないもの」

赤井がコナンに手をあげる・・・考えられないことだが、彼が関わった赤井は少しどころじゃなく普段の彼とは違うのだから、あながち間違った表現でも無い筈である。彼についてはFBIからも父からも、箝口令が敷かれているのだし。

「そうか・・・」

どうするかな、と顎に手を当てて考え込む安室にコナンは苦笑した。好奇心に火をつけてしまったかもしれないが、これ以上彼の情報を安室が掴むことは出来ないだろう。なんて言ったって、コナンが帰りに赤井にこの件を報告するのだから。





「秀くん」

沖矢から赤井に戻り、煙草を吸う彼の後ろ姿に声をかける。殆んど昼夜逆転してしまっている三春は窓辺の月明かりを頼りに彼に歩み寄った。その背にぺたりと張り付けば、ゆっくりと呼吸する音が聞こえた。吸って吐き出す、生命活動の可視化。煙草の煙というのは、どうしようもなく生きていることを主張する。

「今日、コナンくん来てたでしょ」
「・・・ああ」

夕方、微睡みの中で小さな名探偵の気配を感じた気がしていた。三春はそのまま二度寝に沈んでいったので、彼には会えなかったのだけれど。そのことを問えば言葉少なに言い澱み、きゅうと結ばれる赤井の口元を見ておやと瞳を見開いた。どうやら何か良くないことがあったらしい。彼と会った日には大体楽しそうな様子の赤井が珍しく表情を固くしているので、三春は彼の顔を覗き込むようにしてその視線を交えようと試みる。

「秀くん」

ゆらゆらと揺れる、エメラルド。不安をその瞳に如実に浮かばせて、初めて水の中に放り込まれた子どものようにもがき縋り付く。彼がこういう眸をする時は、いつも三春に関わる(赤井にとっての)厄介事があった時である。それくらい、もうずっと長く、誰よりも深い付き合いの中で知っている。

「みはる、」

本当は、泳ぎ方など疾うに知っているのに。ひとりで立つことなど造作もないのに。けれど、三春から離れられないと、盲目的にも頑なに、三春を確実に護ろうとする彼の愚かしさが愛おしい。

「秀く、…うわぁ、」

また口を開き掛けた三春の言葉を遮るように、細い体躯の腰が反るほど力を込めて、赤井は三春を抱き締めた。

「三春、」
「なあに秀くん」

三春の肩に顔を埋めて、苦しげに名を呼ぶ彼に苦笑する。少し癖のある髪に指を通して、大切な彼をふわりと抱きしめ返した。

「三春、三春、すまない・・・あいしている」
「うん・・・俺もだよ」

この奇妙な依存に気がついた時には、三春は取り返しのつかないほどの箱庭へ突き落とされていた。柔い布の敷かれた暖かな鳥籠。赤井の作り上げたそれは、決して開く事のない檻。首元につけられている機械しるしによって物理的に縛られている三春は、逃げ出す素ぶりなど見せずに赤井を安心させてやる代わりに、その彼の心を柔く甘く、けれど確実に縛ってやるのだ。三春なしでは生きられないように。始めたのは赤井だが、この環境を彼に作らせたのは三春だ。
これは小さな復讐であり、二人の確かな共同作業であり、そして確かな世界なのだった。

「ふふ、泣かないで秀くん」
「・・・みはる」
「ん、」

三春の頬に、赤井の唇が寄せられる。口の端から先、その柔らかい場所はだけは絶対に拒絶する三春は、身体は許しても決してその唇だけは赤井に赦していない。小さな抵抗は、この箱庭へと閉じ込められた三春の、唯一の反抗的なもの。けれどそれが辛うじて箱庭の外の常識へと赤井を送り出す鍵になっている。
この愛しい箱庭を護ってみせろと、赤井が挫けたら最期、三春の安全は泡と消える。まあ、赤井は自分のいない世界に三春が生きることは望まないだろうが―壊れた心を覆い隠して、弱味一つない完璧な赤井へと戻るには、三春のこの小さな拒絶が必要なのだ。
このおかしな儀式が、その無敵の人を作り上げている。

20180617修正



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