満月の後の独白

目が覚めると、自室のベッドに寝かされていた。久しぶりの凶暴化に身体はクタクタに疲れ果てていて、傷ついているはずなのに、けれど痛いところは何処にもなかった。
不思議に思って、動かそうとした右手に重みがあることに気がつく。ふっ、とそちらに視線を向けると、エヴァーニアが伏せて眠っているのが目に入った。酷く驚いて、目を見開く。すんでのところで口から漏れそうだった声は左手で押し込めた。

「何故、」

零れた言葉に、理由など本当はもう解っていた。
狼になっている時の記憶は酷く曖昧だが、朝日と一緒にすぐ横を駆けていた狐が大きくなり、グレーの瞳がこちらを見つめるのを見た気がしていた。あれは気のせいなんかではなく、昨晩、私の側に居てくれた狐は正しく彼女だったのだろう。そしてここに運び込み、傷を癒してくれた。

何も告げずに拒絶だけしたはずだったのに、彼女は私の秘密を知っていた。
あの狐は、まだ学生だった頃に狼化した私と動物に変身したジェームズ達が森に出る時、森の入り口あたりにいつもそっと座っている狐だった。彼女は屹度、あの時から、知っていたのだ。知っていて、受け入れてくれてさえ、いたのだ。私はそれを何も知らずに拒絶したのに。

胸が、張り裂けそうだった。

何も知らない、わかるはずないと君を傷つけて、受け入れられる筈が無いと、恐れに負けて彼女を拒絶したのは私の方で。

―私のことなど、放っておいて欲しかった。
―側にいて欲しい。
―これ以上、私の心を掻き乱さないでくれ。
―君を愛している。

相反する気持ちを持て余す。
いま、この手の届くところにいる彼女に、想いは溢れる一方で。纏まらない思考とは裏腹に、私の身体は酷く正直に、震える指先を彼女の頬にそっと伸ばした。久しぶりに触れる彼女の肌に、心の底から溢れるのは歓喜だった。

「ん・・・」

彼女が小さく身動ぎをして、緩々と覚醒しはじめたことにハッと気がついて、慌てて伸ばしていた左手を素早く布団の中に仕舞い込んで、目を瞑った。彼女の前で、どういう顔をすれば良いのか分からなかったのだ。持ち前の臆病さはそう簡単に変えられるような代物ではなかった。



寝たふりがバレないようにと息を殺しながら、彼女の一挙一動を敏感に感じ取る。右手の方にあった重みが軽くなり、彼女が身体を起こしたのが分かると少しだけ切なくなった。もっと傍にいたいなんて、勇気など欠片も持っていない心が我儘にもそんなことを思うのだ。

握られた右手から彼女の手が離れてゆく。嗚呼、行ってしまうのかと、思った直後にそれはもう一度優しく握られて、驚いた拍子に指先が動いてしまわないようにと全神経を注いでいると、彼女の指先が前髪に触れた。そっと顔にかかる髪をどけてくれるその酷く優しい手付きに鼻の奥がつん、とする。彼女の優しさが当たり前のように与えられる、あの頃に戻ったような錯覚を覚える。
一番幸せだった頃の記憶。素晴らしい友人達と、大切な彼女と共に過ごした日々。瞼の裏で滲む涙に自嘲する。そんな訳無いのに。もう、何もかも変わってしまったのに。

(ああ、でも昨晩、かつての親友がひとり戻ってきたけれど)
(彼はあの後どうなったのだろう?)

そういえばシリウスはどうなったのかと、ついさっきまでとは全く違った事でまたドキドキし始めた私を他所に、彼女は告げた。

「リーマス、私ね・・・諦めることにしたの」

唐突なその呟きに、どんな意味が込められているのか。
胸がきゅう、と締まる。

「"貴方の事を諦める事"を、諦める事にしたのよ」

そう言った彼女の言葉は、明るく力強いものだった。寝たふりをしたままの唇に柔らかな何かが触れる。甘い香りは、彼女のものだろうか。そっと離れていく気配に、静かに扉の閉まる音。
彼女の足音が小さくなって、そして完璧に聞こえなくなる。私はガバリと身体を起こした。膝を立て、両手で熱くなった顔を抱える。

「・・・嘘だろう」

呆然としながらも、口の端がむずむずとするのを止められないのは、途轍も無い歓びを身体の内では抑えきれなかったからだ。本当は今にも走り出したかった。叫び出したかった。それこそ狼になって、気の済むまで森の中を只管に。それくらいの衝撃だったのだ。だって、どうして、本当に?けれど、今のは、やっぱり。彼女はあの頃から、ずっと私を想っていてくれたというのか。そして、諦める事を諦めるとは・・・、

(彼女に、この手を伸ばしてもいいのだろうか)

あの時、思い切り彼女を振り払って、君に解るわけがないと声を荒げて、酷い言葉で傷付けて、そうして離れてから。この想いを捨てることも、忘れることもできなかった。
遠ざけて、私の事など嫌いになって、それで別の誰かと幸せになってくれれば、それで良かった。

(―嘘だ)

本当は私が幸せにしたかった。ずっと側に居たかった。彼女の笑顔をずっと傍で、見ていたかった。その隣に立つのは、いつだって私じゃなければ嫌だと、

(ーずっと、愛していた)

この気持ちを諦めることを、諦める。

僕は、君を幸せにする事を諦めて、君の側に居ることを諦めて、君と幸せになる事を諦めた。

"それ"を、諦めても、いいだろうか。

君に触れても、いいだろうか。
君を抱き締めても、いいのだろうか。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -