すごもりのむし、とをひらく

燭台切光忠にとって、大倶利伽羅と鶴丸国永は特別な存在だった。己の号を名付けた元主の家系に居た時は僅かなれど、その気持ちの良い気質や家臣思いの優しさなど惹かれて止まないその姿は伊達家を離れて尚、燭台切の記憶に深く刻まれている。こうして人の身を得て再び彼らと見えた事は、きっと燭台切光忠の刃生において輝かしい僥倖であった筈だった。

たかだか数十年しか生きていない人の子に、それを逆手に取られて質にされるとは、まさか思いも寄らなかったのだ。
ここに太鼓鐘貞宗が居て、他の短刀達のように虐げられていたとしたら、燭台切はあの審神者をとうに手にかけてしまっていただろう。そうしてあの一期一振どころではないくらいに堕ちて、本霊に還れないほど穢れて、人を、世を、深く、深く、呪っていただろうに違いない。



久方ぶりの眠りは、清々しい朝を連れてきた。
まさかこんな心地をまた味わうことがあろうとはと思わせるほど、靄が晴れたように頭は冴え、重石を外したかのように身体は軽く、きらきらと輝く朝日に、どこかから聞こえる鳥の声に、風に葉の揺れる囁きに、もう辛いものなんてやって来ないのでないかと夢見てしまうほど。

鶴丸も大倶利伽羅も未だ眠ったままではあったが傷ひとつない様子で顔色も良く、暫くすれば目を覚ましそうだった。
彼女の、からっとしたあたたかな霊気を、この部屋の中に、二人の身体に、そしてこの身の内に感じる。心地良い陽だまりのようなそれに、あんなに警戒していたのにも関わらず顔が緩みそうになるのをそっと押さえ込むと、どこかから漂ってくる甘く膨よかな匂いに、腹がきゅるると音を立てた。

トントントン、

包丁がまな板を叩く音に、米の炊ける匂い。
それらに釣られるようにして厨へ足を向けると、あの紅の着物を襷掛けにして、昨日の彼女が、こちらへ背を向けてそこへ立っていた。

「嗚呼、おはよう」

気配に気がついたのか、彼女はくるりとこちらへ顔を向けて、柔らかな眼差しを目だけで笑むようにして、そうしてまた顔を戻す。止まっていた包丁の音がまた聞こえ出し、吸い寄せられるようにその背に近付く。まな板の上を覗き込むと、萎びた大根と、伸び過ぎた葉が刻まれているところだった。

「そんなものあったんだ」
「ああ。殆ど雑草みたいに生い茂っているのを見つけてね」
「へえ、よく分かったね」
「幼い頃は畑仕事ばかりしてたからね」

そう言いながら手を動かす彼女は、大根は湯を張った鍋に放り込んで汁物に、葉は薄手の鍋で軽く炒るようにしてから味噌と酒で味付けをして皿に取り出して冷ましている。尋ねれば、葉の方は握り飯の具にするという。炊けた米を覗き込むと中々の量で、せっせとそれを握り出した彼女を見兼ねて手袋を外して手を洗い、手伝う。もはや身体に染み付いた癖のようなものなのに、ありがとう、と言う声が耳を掠めて、その瞬間、いろんなものが胸を湧き上がるように暴れ回って、言葉を無くして押し黙る。彼女は手を止めてしまった燭台切に何も言わずに、ただ黙々と、穏やかな顔をして握り飯の山を拵えていた。

一人と一振りで並んで米を握りながら、彼女はゆったりと時折口を開いた。

「私が此処とは違う世の者だという話は誰かに聞いたか?」

その言葉にうん、と小さく返す。彼女は三日月宗近が夢伝いに引き寄せた、どこかの世の魂だという。祀り上げられた神様のたまご。人の想いを受けてその存在の形を変容させる彼女は、元々は人間なのだけれど、その在り方は自分達付喪神と近しいのかもしれないと、彼女のあたたかな霊力に触れて落ち着いている今の燭台切は思う。彼女は燭台切をちらりと見上げて、それから緩く微笑みながら、また握り飯を作る。

「此処へ来る前  見送られる前の知己に、独眼竜と呼ばれる男がいた」

思わず、燭台切の手が止まる。前の主の、己の名を付けた男の異名だった。
彼女はそれに気づいていながらそのまま続ける。

燭台切のものと同じように、右目に眼帯を付けていたこと。情に厚く、仲間想いで、少し子供っぽくて、血の気が多く、よく虎若子と戯れあっては右目と呼ばれる右腕の男に怒鳴られていたこと。けれど一度領地で問題が起これば、途端に領主の顔をして冷静に的確に対処する、頭と勘の良さは随一だったこと。それから。

「新しいものに敏感で、私の知らないものを、よく、教えてくれた」

彼女の語り口には、隠しきれない好意と敬愛が詰まっていて、独眼竜その人がただの知人などではなく、彼女にとって大切な、近しい存在だった事を話を聞きながら理解した。彼女の語る独眼竜は、彼女の世の独眼竜であり、燭台切の元の主と全く同じ人物ではない。それでも、その語られる為人は、燭台切が好ましく思う元の主と通ずるもので、胸の内があたたかくなる。そう、彼はすごく洒落たカッコいい男で、伊達男なんて言葉が後世に残るくらいで、そんな彼に号を与えられた事を誇りに思っていて  その号が格好つかないのは、ちょっとだけコンプレックスなのだけれど。語らいたくて、聞いてほしくて、うずうずとする。そんな燭台切を横目に見上げて、彼女はふふ、と声を出して笑った。

「お前が伊達に縁のある刀剣だと聞いたよ。こちらの伊達の話を、お前の話を、私に教えてくれないか?」

そんなふうに言われて、今の燭台切に断る理由なんて一つもなくて。堰を切ったように、口から言葉が溢れ出す。伊達政宗公が、いかにカッコよかったか。肉の身を得た事で、彼の得意だった料理を作れるようになってどんなに嬉しかったか。彼のようにカッコよく在りたいと思っていること。彼女は楽しそうに、それから時折懐かしそうに、燭台切の話を聞いていた。いつの間にか釜は空になっていて、山のように積み上がったおにぎりに、彼女がふんわりと濡れ布巾をかけていて。夢中で話していたことに気付かされたのは、目の前にコトリと置かれた、一人分のおにぎりの乗った皿と、汁物の碗、それから箸を手渡された時だった。

「、え?」
「話の続きはこれを食べたらにしよう」

いつの間にか椅子を持って来ていたようで、彼女は燭台切の隣に腰を下ろしていた。彼女の目の前には、燭台切に差し出されたのと同じ分のおにぎりと汁物。固まった燭台切を見て不思議そうに首を傾けた彼女に目で促されて、半分呆けながら箸を受け取り腰を下ろす。

「いただきます」
「いた、だきます」

彼女に倣って、手を合わせる。何で自分が彼女と並んで食事を摂ることになったのか理解ができなくて、けれどそれを求められているのは分かるから、混乱しながらも先程拵えたおにぎりを口に運ぶ。久方ぶりに口にした食べ物は、何の工夫もない単純な作りだったのに、酷く美味しくて、気がつけばあっという間に食べ切っていた。

「おかわりしていいよ」
「え、」

まともな言葉も返せないほどの当惑は、あの山のような食事を、それを彼女が全部食べるはずは無いと分かっていながら、人間が、刀剣の分の食事を手ずから用意するなんて事が、理解できなかったからだった。
だって、ここの審神者は、燭台切を飯炊き係のように使いはしたものの、刀剣達には必要無いからと食事を与えることなどしなかった。付喪神に食事は必要無い。けれど肉の身を得て、腹の内側が切なくなるような、きりりと搾られるような心地を味わうことはある。それを空腹と呼ぶのだと、食事をその肉の身が必要としての事だと、審神者の食事を作る際に味見などをしなければならない燭台切だけは、知っていた。

当然のように今までになく与えられる、それを正面から受け入れる事が難しい事を、彼女はきっと分かっている。
分かっていて、やっている。

「此処は作物の育ちが異様な程早いのだってね。もう少し食材が整ったら、私に料理を教えてくれないか。簡単なものならいくらか作れるけれど、手の込んだものは作ったことが無いんだ」

そうして、自分の使った分の食器を片付けて、それから残りのおにぎりや汁物は食べられるもので分けて欲しいと言い置いて、彼女は厨を出て行った。離れていく足音を、茫然と見送る。
少し遠くから、握り飯を作ったから食べなよ、というあの朗らかな声の後に、低い低音が、それなら兄弟達にも食べさせてぇな、と答える声が聞こえた。あの警戒心の強い彼までもう彼女とあんなに和やかに会話できているのかと顔を上げて、なんだか置いてきぼりにされた気になる。
己自身を見返してみると、あんなに傍にいて、優しい声をかけてくれた彼女には何も返せていなくて  その様に、これはかっこ良くないと思いつつも。
確かに疼く胸に合わせて、遅れてふわりと舞った薄桃色は、誰に見られるでもなく解けて消えた。



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