感情コントロール

これの未来


Holaオーラ〜!!」

数度目となる及川家のチャイムを鳴らすと、ご機嫌な及川徹がわざわざ玄関まで出迎え、スペイン語の挨拶と共にハグされて右、左と頬に唇を当てられたので顎を鷲掴んで上へグイ、と押し除けた。

「こ こ は 日 本 だ ! ! !」
「ノリ悪いなあ千歳くんはー」
「お前のノリが軽過ぎるの」

ぐえ、と呻いたのは一瞬で、さっさと靴を脱いでお邪魔します、と入っていく千歳の後ろを及川が未だ機嫌の良い様子でついてくる。

「こんにちは、お邪魔しますー」
「千歳くんいらっしゃい!」
「これ近所のケーキ屋のお菓子です」
「あらやだ!いつも悪いわね」
「いえ、ついでなので気にしないでください」

及川の部屋に行く前にリビングへ顔を出し、及川母に紙袋を手渡す。初めて来た時に何やら凄い歓迎を受けたのを申し訳なく思い、2度目に来た際に近所にある有名なケーキ屋の焼き菓子を持参したところ、及川母が非常に気に入ったようで、店の場所や他のメニューなど興味津々に尋ねられたりした為、そんなに好きならと毎回持参するようになった手土産である。

「徹にこんな良いお友達ができるなんて…」
「あーもうお母ちゃん、俺たちもう行くから!!」
「ちょっと徹!千歳くんに失礼のないようにしなさいよ!!」
「はいはーい」

話が長くなりそうな気配を察知した及川にそそくさと連れ出され、千歳は背を押されながら階段を上る。

「別に手ぶらでいいんだよ?」
「んー、でも気に入ってるもので喜んでもらえるのは嬉しいから」
「・・・そう?」

母に気を使う必要などないと及川は言うが、千歳としては気を使ってるというよりは自分の分を買うついでであるし、むしろ気にしないで貰ってやってほしいというのが本音だったりする。まあ、こういうのは気持ちなのだから、何となくで良いのだ。

「そういえば今日、良いもの持って来たんだ」

受験が終わってから割と頻繁に訪れている及川の部屋で座卓の前にどさりと腰を下ろすと、千歳は荷物の中からDVDを取り出した。ラベルなどはなく、焼いてきた様子の白いディスクには、何も記載されてはいない。

「なに?」
「見てのお楽しみ〜」

及川が卒業後、アルゼンチンリーグへ行くという話を聞いた時、千歳はとても驚いたのと同時に、どこか納得に似た気持ちになった。単身、日本での実績も背負わずに海外のリーグへ挑戦するなど、かなり難しい事であると思う。けれど、なるほど及川ならやりそうだ、と妙に腑に落ちてしまうのだから及川徹とは全く破天荒な男であった。
一方及川も、千歳が春高後に国立難関大の受験を控えている事を聞いた時には、全く無茶苦茶をするものだと思ったので2人は変なところでおあいこではあるのだが。

「エッ!!これ、アルゼンチンリーグじゃん!!」

千歳から受け取ったDVDをデッキに流した及川は、彼の横に座って画面を眺めながら、始まった映像に瞳を大きく見開いた。最近、千歳と共にこうしてDVDを見るのはよくある事であったが、日本語字幕付きのスペイン語の映画ばかりだったのだ。それが今日は、まさかバレーの試合を見られるとは。

「字幕付きを見つけたらこれはもうさ、徹に見せなきゃなーと思って」

千歳は春から東京の外国語大学で西南ヨーロッパについて勉強するらしい。主にポルトガル語、スペイン語について。及川がなぜそれを選んだのかと聞けば、答えはあっけらかんとしたものだった。

『ブラジルがいま、男子で一番バレー強いから』

という、ただそれだけである。本人的にはどの言語でも良かったのかもしれない。
千歳は、高校3年の夏頃から、Vリーグのベンチスタッフになる事を考えていたという。トレーナーになる事も視野に検討したが、どうせなら自分の得意な事でと、通訳としてベンチに入るのはどうかと思いつき、それで進学先を決めた。大学で本格的に第三外国語として習得する予定なのはポルトガル語であるが、選択したコースではスペイン語についても勉強することになっている。そのため、及川からアルゼンチンへ行くと聞いた際、語学の勉強に付き合うことを申し出たのであった。
それから教材にとスペイン語の映画を一緒に見るようになり、英語やスペイン語の会話の練習などをする中で名前で呼び合うようになった。卒業を間近に控えて、最近では菅原を除いた烏野の面々よりも及川との方が頻繁に会っている。千歳がそうして及川の語学勉強に付き合っているのを知っているので、及川母もあのように千歳に殊更友好的であるのだった。

「ホント、千歳ってすぐ嬉しいことする・・・」

隣にある肩に及川がすり、と頭を寄せると、ぽん、と頭に手が乗った。

「こらなら流石の及川クンでもやる気が出るかなあと思って?」

撫でられるのかと思えば頭を鷲掴まれて力を込められた。痛い痛い!と抗議の声を上げても、ちゃんと見ろ、と言われれば泣く泣く従うしかない。
勉強はそんなに得意ではない、と自覚のある及川は、いくら必要になるとはいえ、進んでスペイン語の勉強をやっているかと言われれば答えはNOであった。辛うじて話せるようになったのはやっぱり千歳のおかげで、こうして何かと手を尽くしてくれるので、じわじわと身体に染み込ませることが出来ているのである。

「…千歳が一緒の時はいつもちゃんとやってるデショ」
「まあそうだな。俺が置いていった宿題はやってこないけどな?」
「う"っ」

傾けていた身体を起こして、試合を眺める千歳の横顔を盗み見る。こんな話をしながら、その視線は真っ直ぐ画面へ向いていて、言葉やらボールやら試合やらを熱心に追っている。
その視線が、ちらとでもこちらを見ないだろうかと、そんなふうに思うようになったのは、一体いつからの事だったろうか。

「千歳」
「ん、どーした?」

その名を呼べば、こちらへ柔らかな視線が向く事に、いつの間にか、それだけでは満足ができなくなってしまった。
仲良くなりたい、友達になりたい、もっと一緒にいたい。他の人よりも自分を優先させてほしい、自分だけを見てほしい、その先は、触れたい、抱きしめたい、ずっと一緒にいたい  そこまで来てしまえば、抱えてしまった想いが、友人へ感じるもののそれを超えている事に気付くのは、すぐだった。

「背中痛くない?及川さんが背もたれになってあげようか!」

ここにおいで、と自分の足の間を叩くと、慣れたようにそこに収まる千歳の背中を後ろから抱え込んで、きゅ、と腕を回して。

「重くないの?」
「うん、顎を置くのに丁度いいよ」
「ふーん」

どこまでなら大丈夫なのか、なんて。見えない線を手探りで探しながら、自分の中の想いやら欲望やらを押さえつける。あとどれくらい耐えられるのかなんて、恐ろしくて考えたくもない。

「大学1年の夏さ、」
「うん」

試合を眺めながら、千歳がそう呟く。

「アルゼンチン行って、徹の試合見るから」

嗚呼ほら、

「・・・まだ試合なんか出してもらえてないかもよ?」

もうダメだ。なんでそうやって、

「それはないだろ」

未来を信じる、というよりも、それがさも当然のように言うのか。

「徹の実力なら、すぐ試合に引っ張られるに決まってる」

フッと笑う、その笑顔に誑かされて、一喜一憂させられる、自分があまりにも単純で、簡単で、滑稽で  なのに、嫌いじゃないなんて、酷い重症を負わせられている。

「…まあね!及川サンほどの実力なら、すーぐ正セッターになっちゃうだろうけど!」
「楽しみだな」

そう言う背中をぎゅ、と先ほどよりも強く抱き締めて、間違っても顔なんか見れないように抱き竦めて、溢れそうな感情を押さえつけた。



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