物心ついた頃の話

下校中、商店街の途中から横道に逸れて少し入り組んだ住宅街を抜ける帰路で、背後に自分以外の足音を感じる日が何日か続いていた。自分が止まると、足音も止まる。振り返ってみるけれど、誰もいなくて。そんな不安を抱えていても、両親は仕事が忙しそうであったし、自分の気のせいかもしれないからと、誰にも相談できなかった。だから勘違いだと言い聞かせてきたけれど、何日か続くその恐怖心を誤魔化しきれなくなってきて、昨日はとうとう最後はほとんど走るようにして帰ったのだ。
その恐怖が、今日も。怖い、怖い、怖い。ドクドクと鳴る心臓と、大きく近くなってくる自分以外の足音に、叫び出したいのをグッと堪えたその時、

「すみません、ちょっと道をお尋ねしたいんですが」

すぐ、後ろから聞こえた声に、思わず振り向いた。その声の主と、わたしとの間にはフードを目深く被った男。何が起こったのかわからず動けないわたしを他所に、後をつけていたらしい男は、自分以外の大人の登場に狼狽え、掴まれた肩を振りほどいて逃げていった。もう一人の、その不審な男に声をかけた彼は、男の走り去った方向を鋭く睨みつけるように見て、胸ポケットから取り出した携帯電話に早口に指示を出す。

――松田、そっちに行った
――嗚呼…頼んだぞ

その低い声は、冷静さの中に怒りのようなものを滲ませているように聞こえた。彼が一歩こちらに近づいたことに、一部始終を呆然と眺めているしかなかったわたしはびくりと身体を強張らせた。その様子に、彼はピタリと足を止める。

「もう大丈夫」

眉尻を下げて苦笑を浮かべながら、伸ばそうとした手を宙に彷徨わせてから所在なさげに下ろしたその様子に、先ほどとは違う、こちらを安心させるように吐き出された声色も相まって申し訳なくなってしまう。助けてもらったのに、気を使わせてしまったようだ。この人が怖いわけではないのに。

「ありがとう、お兄さん」

ごめんなさいと言うのは、きっとまたこのひとを遠慮させてしまうに違いないから。素直に感謝の意を言葉にすると、目の前の彼は瞳を細めるようにしてほろりと表情を緩めた。その柔らかさに、どこか既視感を感じてじっと見つめ返す。きらきらと輝くこの蜂蜜色を、わたしはどこかで見たことがある気がした。

「あの、どこかで…」
「すまない、電話だ」

その答えを捕まえる前に、震えた携帯を彼が取り上げたことでわたしの言葉は途切れてしまう。こくりと頷くだけして、代わりに頭の中をぐるぐると回ってこの色彩の記憶を辿る。いつだったっけ、たしか、これは――

「先ほどの男は無事に逮捕できたそうだよ」

安心すると良い、と彼はわたしの頭を撫でた。今度はその指先にびくりと固まる事もく、わたしもそれを受け入れることが出来た。この人は味方だと、思い出しきれない記憶がわたしの内側で叫んでいる。

そうして、念のためにと家まで送ってくれた彼に手を振って、玄関のドアを閉めたところで、その既視感の正体をふっと思い出したのだった。

「あ、・・・天使の人だ」

どうやら彼は本当に神の使いなんかではなく――そう、あれは――ピンチに駆けつけてくれるヒーロー。危ない時にどこからともなく現れる、正義の味方に違いない。



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