浮上

レギュラスの眠っていた部屋に直接姿を現わすと、ライジェルの目に映ったのは信じられない光景だった。

「・・・レギュラス、?」
「ぁねっ、うぇ?」

そこには、ずっと眠り続けていた、ずっと開くことのなかった瞼が開いて、身体を起こした弟が、こちらを茫然と見つめている姿があった。
ずっとずっと声を発していなかった喉からは引き攣れたような音しか出ず、すぐに咳き込んでしまう彼に、何も考えずに駆け寄る。空かさずクリーチャーが用意してくれる水を、ゆっくりと飲むように促して。

「レギュ・・・嗚呼、レギュラス・・・」

支えた身体を抱き締めると、震えて力も入らないながらに、そっと抱き返されて。その感触に確かに彼が目を覚ました事を実感して、溢れる感情が止まらずに、ライジェルはそのまま暫く涙を流し続けた。

こんな日が来るはずだと信じていたのと同時に、きっと諦めてすらいた。
この子をこのまま延命し続ける事は、ライジェルのエゴでしか無いのではないかと、かけている魔法の数々を、何度解いてしまおうと思ったことか。もう自由にしてあげるべきではないかと、何度となく脳裏をよぎる中、それでも僅かな希望を捨て切れずに、今まで過ごしてきた。

レギュラスは、覚醒したということに対して、一体どう思っているのだろう。余計な事をしてくれたと、ライジェルを罵るだろうか。彼の死への覚悟を踏みにじったのは紛れもなくライジェル自身で、それに対して恨まれようとも、それでも、ライジェルにはレギュラスという存在を手放すことが出来なかった。それは、これほど大切なものの増えた今になっても同じこと。彼女にとって家族という括りは、やはり他とは一線を画しているのかもしれない。

―――どうして突然、目を覚ましたのだろうか。

その訳を、ライジェルはその身に受けた衝撃と共に、直感で理解していた。レギュラスの左腕にもある、忌々しいこの印が、卿が蘇ったのだと知らせたあの衝撃が、皮肉にもレギュラスを深い眠りから呼び起こす起因となったのだろう。それしか考えられないタイミングだった。人の形を保っていられなかったはずの卿が、蘇った。おそらくハリーが連れ去られたというその事実から、古の忌々しい闇の魔術を見つけたのだろうと予想する。卿が身体を取り戻すための手立てを、ダンブルドアも既にいくつか見つけ出していた。
昨年、ダンブルドアが保護している予言者が告げたとされる予言について、ライジェルはダンブルドアから話を聞いていた。

事は今夜起こるぞ―闇の帝王は友もなく孤独に朋輩に打ち棄てられて横たわっている―その召使は12年間鎖に繋がれていた。今夜、真夜中になる前、その召使は自由の身となり、ご主人様のもとに馳せ参ずるであろう。
闇の帝王は召使いの手を借り再び立ち上がるであろう―以前よりさらに偉大により恐ろしく。
今夜だ―真夜中前―召使いが―そのご主人様の下に馳せ参ずるであろう


予言は道標と同じ。ダンブルドアはこの予言を聞いて、卿が蘇る――以前よりさらに力を持って――道が示されたことを理解したはずだった。そのダンブルドアは、予言で取り上げられている"今夜"に当たるあの満月の晩、ハリー達に逆転時計を使ってシリウスのことを救わせたが、ピーター・ペティグリューのことは捕らえさせなかった。それが何を示すのか――ダンブルドアは、卿を永遠に葬る為に、卿の復活が必要な事だと、そう考えている。そうでなければ、こんなに危険が分かっている状態でハリーの行方が掴めなくなることなど、あの人がそんな失態を起こすはずがない。これは、今回の出来事は、きっと確かに、あの人の道筋の中では必要なことだったのだろう。

―――ハリーは大丈夫だろうか。

そう考えて、ライジェルは内心で首を横に振った。リーマスが、任せろと言ってくれた。こちらにはライジェル以外に駆けつけられないが、あちらには沢山の頼れる人間がいる。ダンブルドアが一体何を考えているのか全てはわからないが、彼がハリーをみすみす見殺すとも思えない。
それに――自分の手に抱えられるものが僅かだと分かっているからこそ、誰かに頼るということを、誰かに任せるということを忘れてはならないと、リーマスは共に過ごす中で、ライジェルに教えてくれた。それに、応えたい。
だから、今はあちらのことは考えずに。こちらに集中することこそ、ライジェルのすべき事だろう。

「・・・レギュラス、よく聞いて欲しいの。貴方があの場所で、湖に呑み込まれてからのこと―」

目覚めたばかりの彼には酷かもしれない。
けれど、いま話しておかなければならない。明日になれば、ここへはきっとリーマスやシリウスが戻って来る。そうなっては、レギュラスと落ち着いて話をすることも出来ないかもしれない。それよりはと、今のこの、まともに話を出来ない彼に、独り言を押し付ける。彼の指先を両手で握り締めるようにして、久方ぶりに見るその灰色の瞳と向き合った。

「レギュラスよりも前に、私がブラック家の当主としてクリーチャーに命じていた事があった。家族の命に危険が迫った際には、私に伝えること――だからクリーチャーは、貴方との約束を破って、私のところへ来た。この事は、彼を怒らないであげてね――屋敷しもべ妖精への命令は契約。クリーチャーは当主より他の家族を優先させることなど出来ないのだから」

言葉を発することが難しいから、こくり、とひとつ頷き返すレギュラスに、ライジェルは僅かに微笑みを浮かべた。

「私はすぐに貴方の後を追った。あの場所へ着いた時、貴方はどこにも見当たらなくて――水の底から引き上げた時には、息を、していなくて――その後、蘇生の呪文で、持ち直しはしたけれど、目を覚まさなくて――私は頼る先として、ダンブルドアの元へ行った」

ライジェルがダンブルドアの名前を出すと、レギュラスの指先がぴくりと動いた。

「貴方がクリーチャーに預けたロケットを、ダンブルドアは興味深そうに見ていた。そして助けを乞うた私に、この場所を用意して守りを与え、貴方へその時できた最大限の事をしてくれた」

けほっ、げほ、とレギュラスが咳込み、水を口に含む。あー、あー、と声を出せるか確認して、掠れたようだけれど、言葉として聞き取れる声を出せると分かると、彼は口を開いた。

「あねうえ、・・・僕のことが、弱味に?」

どういう意味かと考えて、すぐに理由に思い至った。あの何をどこまで見通しているのかわからない人に、レギュラスの事で弱味を作ってしまったのなら、これまで無理難題を突きつけられてきたのではないかと、レギュラスの問いはきっとそういうことだろう。自分のせいで私が窮屈な思いをしたのではないかと心配している。

「大丈夫よ、レギュラス、あのね――ダンブルドアと私は、その後協力関係になった。私はレギュラスが闇の陣営を離れてしまえば、あちらには何も思うところはなかったから――シリウスの為にも、ダンブルドアに情報を流すことは吝かではなかったし、クリーチャーを傷つけ、レギュラスが目を覚まさない原因である卿を、許せはしなかったから」

どこまでも優しい、ライジェルを責めることをしないレギュラスに、安心させるように語りかけると、握ったままの指先をそっと撫でた。

「予言があったの――"七月の末、闇の帝王を倒す力を持つ者が、闇の帝王に三度抗ったことのある両親のもとに生まれる"この予言を聞いて、卿はすぐに該当する子供を調べた。"三度抗った事のある両親"に当てはまる夫婦は二組あって、そのうち一方が、ポッター夫妻だった」
「、な・・・グリフィンドールの、?」
「そうよ。ジェームズ・ポッターとリリー・ポッター。ダンブルドアから予言の事を聞き、危険を察知した彼らは秘密の守人を使って自分達の居場所を隠すことにした。けれど、その守人が、忠誠の術を使った頃には既に、闇に魅入られていた。あっさりと秘密は卿へ伝わり、彼らは卿に襲われた――」
「まってください、ポッターの秘密の守人は、だれが?まさか、兄さん、ではないですよね、?けれど、彼らが兄さん以外を…えらんだ?、げほっ」

興奮したのか、話しすぎて噎せるレギュラスの背を撫でる。心配した様子のクリーチャーが、また新しい水を用意してくれた。

「その事は、つい最近まで真相を誰も知らなかったの。結論として言うならば――シリウスは、秘密の守人ではなかった。シリウス本人が、別の人間を勧めた。裏をかこうと思ったそうよ――絶対にシリウスを秘密の守人にしたと、誰もが思うはずなのだからと」

その時のシリウスとしては、とても良い思いつきだったのだろう。確かに、思ってもみない人物が秘密を持ったことになる。それこそが、彼の大切な友人の命を奪ってしまった要因となってしまうともしれずに――

「ところが、ポッター夫妻を襲ったはずの卿は、姿を消したの。襲われたポッター家に駆け付けたダンブルドアが見たのは、ポッター夫妻の亡骸と、額に傷を負った小さな男の子だけ。卿に襲われて初めて生き残ったその男の子の名は、それから魔法界中に知れ渡る事になった」

そこで、ライジェルは一度言葉を区切った。

「・・・ねえ、レギュラス。それからね・・・もう13年、経ってしまったの、」

瞳を伏せたまま、ライジェルはその、レギュラスにとってはあまりにも膨大であろう過ぎ去ってしまった時間の長さを告げた。彼はどう思うだろうかと、顔を上げられないでいるライジェルの手を、レギュラスは僅かな力で握り返した。

「姉上、泣かないでください」

掠れた声が、たしかに彼女にそう伝えた。

「僕は大丈夫だから、姉上は自分を責めないで」

そう言って僅かに口角を上げて、レギュラスはライジェルの濡れた頬へ手を伸ばした。合わせるように、そちらへ顔を寄せる。

「笑ってください、」

そう言って瞳を細めたレギュラスに、ライジェルは涙を止めることもできないままに微笑んだ。



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