嵐の前の静けさ

ライジェルは最近、外に出る機会が多い。今年、イギリスでは二つの大きなイベントが行われる。それの為の寄付金だとか、顔見せだとか、会食だとかで彼女はあっちへこっちへ大臣に呼び出されてはクタクタになって帰ってくる。普段、館に引きこもっている事の多い彼女には、正装をして出掛けていくという事がそもそも既に億劫なようだった。それは子供の頃と比べるととても考えられない事で、あの母親がそれを知ったなら発狂するのではないかというほどだ。

「おかえり、姉さん」
「・・・ただいまシリウス」

いま、この館のに閉じこもっているのはシリウスだけで、リーマスは新しい仕事を探しに毎日出掛けているし、姉は先の通り。去年まではこんな事も無かったのだと言うから、一時的なものなのかもしれないが―シリウスは誰かが帰ってくるのをいつも心待ちにしていた。人気の無い日中、この館はシリウスには大きすぎて落ち着かない。たくさんの部屋があって全体をまるで掴みきれないし、勝手にあれこれといじるわけにもいかない。探検するような気も全く起きず―まるで、ここに居ることすら夢か何かのように感じてしまうのだ。だから本当は―我儘を言えるなら―姉にはそばにいて欲しい。けれど、そんなこと言えるわけがない。だって彼女が出掛ける理由は"ブラック家の当主だから"で、それは嘗てシリウスが放棄した役割なのだ。それでも姉は、嫌だと嘆くこともなく、その勤めを果たしてくれている。

「また会食だったわ。あの人、そんなのばかりだからお腹が出るのよ・・・」

そう言って姉はふう、と疲れたように息を吐いてひと息ついた。労うことしか出来ないシリウスは、けれど待ち侘びた姉の帰宅に嬉々としながら世話を焼く。そしてそんな彼女のころころと変わるようになった表情を見て、今更ながらに思うのだ。過去、シリウスの知っている姉はこんなに感情の分かりやすい人物ではなかった。他人には無感情・無干渉・無表情の三拍子を揃えて対応し、その表情筋は家族の前でしか役割を果たせないというのがシリウスの知るライジェル・ブラックというひとで、その姉が、リーマスの前ではシリウスに見せるものよりもよほど華やかに微笑んでいる時もあるし、社交界に引っ張りだこの様子を鑑みると、外でもそれなりに愛想良くしているようだった。彼女は一体いつからこんなに表情豊かになったのだろうか―一瞬そう考えて、それから、すぐに考えるのをやめた。答えはもう分かりきっている―勿論、分かりたくなんてないが―シリウスは未だ親友に姉を取られたことに対して、それを祝福できていなかった。そもそも、姉を"取られた"などという例えすら可笑しいという自覚は一応持っている。でも、それはそれ、これはこれなのだ。

「姉さんは、リーマスのどこが好きなんだ?」
「・・・どうしたの、急に」

そんなシリウスの思考など知る由もない姉が、突然の思い付きのようなその一言に訝しげにこちらを見やった。けれどその頬は先ほどより色付いており、暖炉に火など入っていないこのような夏の日には質問に対して照れているのが丸分かりで、嗚呼、初めて見る表情だとシリウスは瞳を細めた。そんなシリウスの方を見て、彼女は観念したように肩を竦めて、そして指先をまごまごと遊ばせながらも口を開いた。

「貴方だって、分かるでしょう?彼は底抜けに優しくて・・・何でも出来るのにすごく自分に自信がなくて、いつも不安を抱えているところが放っておけなくて、他人の心の機敏に敏感で、傍にいてとても心地良いし、安心するわ。たまに意地悪く笑う時もクールで素敵だし、本当に幸せそうに笑った笑顔は、ずっと守っていきたいと思う」

聞き逃してしまいそうな小さな呟きから始まったので、聞き漏らさないようにと油断をしている隙にガッツリと惚けられてしまったシリウスは、後半のほとんどを意図的に聞き流しながら、姉をまじまじと見つめていた。瑞々しく、幸せそうにはにかみながら彼女はリーマスについて語っている。30を超えているようにはとても見えなかった。あれもこれも初めて見る姉の顔に、旧友は彼女の中から"これ"を引き出したのだと否応なく理解させられる。
その事実に対して、色々思うところはある―シリウスがあの暗く常闇のような牢獄の中で蹲っていたとき、彼らはゆっくりと絆を深めていたのだと思うと―嫉妬や憎しみに似たものが沸かない訳でもなかったし、けれど、そこには二人なりの葛藤があって、姉は姉で、リーマスはリーマスで、苦しい胸の内を抱えながら生きてきたであろう事を理解できないほど―シリウスはもう、子供でも無い。何よりも、二人はもう十年近く一緒に暮らしてきたというのに、この初々しいまでの手探りの関係にしか進展できていないのだと言う現実が―些かシリウスの荒んだ心を宥め、そして二人の想いを、悔しいけれど、認めてやらない訳にはいかないという気にさせた。それに、リーマスなら、シリウスにとってこの姉という存在がいかに大切で大きなものであるか、理解出来ているはずだ。

「・・・仕方がないな、姉さんはリーマスにやるか」
「ふふ、変なシリウスね」

態とらしく呆れたように言い放ったシリウスの言葉に、姉はクスクスと笑っていた。



穏やかな時間は、長くは続かなかった。
"クィディッチ・ワールドカップでの恐怖"
一面に堂々と写し出される闇の印が、日刊予言者新聞の一面を飾ったのだ。髑髏の口から蛇が吐き出されるようなその印を久しぶりに目にして、ライジェルが最初に感じたのは不快感であった。そして、その場に行っているはずのハリー達の身を案ずる。魔法省が十三年前に取り逃がした死喰い人達の暴動があったと、そこには記してあった。驚愕の表情を浮かべる彼女の両隣から、リーマスとシリウスが同じように新聞を覗き込む。素早く文字に視線を走らせ情報を得ようとするリーマスとは対照的に、シリウスは音を立てて立ち上がると声を荒げた。

「ハリーは無事なのか?!」
「落ち着いてシリウス、」

ライジェルは興奮する弟を無理矢理座らせる。魔法省の失態―犯人を取り逃がす―ずさんな警備体制―大袈裟に書かれた文章から必要な部分だけを読み取り、死傷者はいないようだとリーマスが新聞から顔を上げれば、シリウスは漸く大人しくする気になったらしく、怒りを紛らわすように髪を掻き上げていた。ハリーからは先日、おかしな夢を見た、額の傷が痛んだという旨の手紙を貰ったばかりだった。

「すまない、」
「良いのよ、私もハリーのことは心配だもの。でも、突然ウィーズリー家を訪問する訳にもいかないし・・・ホグワーツへ行く前に、一度顔を見るチャンスがあると良いのだけれど」

ライジェルとて、ハリーが無事であることを顔を見て確認したい。苛立つシリウスの気持ちも分かる。けれど、無実を知る由も無いウィーズリー家にシリウスが訪れるのなんて言わずもがな、ライジェルが突然現れてハリーに会う事だって不自然過ぎる。いくらアーサーと彼女とは親しい仲だとは言っても、ウィーズリー夫人とは殆ど面識が無いのだ。

「難しいわね。きっとダイアゴン横丁へも子供達だけで行かせることは無いでしょうし」
「そうだね。こんな事の後じゃ尚のことそうだろう」

取り敢えず、ハリーに心配しているという手紙を出すことにしたのだが、シリウスは最後までむっすりと気に入らないと言わんばかりの顔をしていた。ハリーが心配なのは分かるが、自分の状況をよくよく考えてほしい・・・しかし、そんな彼女達の心配の通り、嫌な予感ほどよく当たるとは一体誰が言ったものか―



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