思い出話

"生き残った男の子がホグワーツへ入学"

そんな見出しが新聞の一面を彩り、魔法界が賑わったのはそれからまた数年経った頃の事だった。

「リーマスはハリーに会ったことがあるの?」

その頃の二人は、もう一緒に暮らしはじめてから長い長い時が経っていて、家族と言って差し支えないほどに共に居るのが当たり前になっていた。互いをとても大切に思っていたし、互いの居ない日常などもう想像も出来ないほどだった。けれど、こんなに一緒にいてもまだまだ、知らないことは存在するらしい。リーマスは食後の紅茶に角砂糖を落とす手を止めて、彼女をまじまじと凝視した。彼女が他人の話を自分からするなんて、これだけ一緒にいても初めてのことだったのだ。

「・・・珍しいね、君が誰かの話をするなんて」
「あら、私だって人並みに世間の事に興味くらいあります」

呆けたようにそう言ったリーマスに、彼女は心外だと言わんばかりに顔を背けた。その素振りはまるで少女のようで、とても三十を超えた女性の仕草とは思えずにリーマスの頬も緩む  こんなことを言うと彼女に怒られてしまうかもしれないが。

「おや、それは知らなかったな・・・ハリーには会ったことがあるよ。といっても、彼が一歳にも満たなかった頃のことだけれどね」
「どちらに似ているの?彼?それとも彼女?」

好奇心からか、ずい、とこちらに寄せられた彼女の瞳がきらきらと輝く。

「顔はジェームズに似ているんじゃないかな。まだ赤ん坊だったからわからないけれど・・・瞳はリリーの緑を受け継いでいたよ」
「そう・・・」

彼女は満足そうに息を吐いて、ソファの背もたれに身体を埋める。なんだか彼女の様子がとても無邪気なので、リーマスはその幸福だった時間だけを思い起こすようにハリーの顔を思い浮かべた。あの子はあれから、叔父と叔母のもとでどういう風に成長したのだろうか。彼女の方へ視線を向けると、彼女もハリーのことを考えているのか、瞳が優しく細められて、何か懐かしいものでも見ているみたいだった。その様子に目を瞠ると、彼女がまた口を開く。

「私と彼に面識があった事は知っているんでしょう?」
「え・・・なんで、」
「ふふ、彼ならダンブルドアに何か残すだろうし、ダンブルドアなら貴方にそれを見せるんじゃないかと思っただけ」

彼女は驚くリーマスを見てくすくすと喉を震わせた。言われたことが図星で、誤魔化す暇もなかったリーマスが言い訳を探して口をもごもごとさせていると彼女はそのまま話を続けた。

「彼とはとても気が合ったの。勿論、穏やかな時の彼とだけね。それと、彼女とも僅かに面識があるわ  勿論、向こうは覚えていないかもしれないけれど」

彼女のその言葉に、リーマスは更に瞳を丸めた。今日は一体、何度驚かされるのだろう。ジェームスだけなら確かに、彼女とのその仲の一部を知っているけれど  まさか、リリーとまでも、ライジェルが面識があったなんて驚きである。だって、こんな事は言いたくないが  どうしたってライジェルはスリザリン生で、リリーはマグル生まれであったのに。

「彼女は、私から見ても、とても勇敢な女性だった」

リーマスの驚きを理解しながら、彼女は昔の事を話して聞かせてくれた。
シリウスが二年生に上がる少し前の頃、ライジェルの歩いていた階段の少し下で、彼の傍若無人な振る舞いについて話しているスリザリン生がいたのだという。御家に護られているから好き勝手できるのだと、しているのだと、そんなシリウスの傲慢さを疎み、そして純血主義を理解しようとしない落ちこぼれの長男だと、彼を侮辱していた。それはライジェルにとってとても不快なことだったけれど、他人にとやかく言われることに慣れていた彼女は、いつものようにそれを聞き流そうとした。何も言わずにそこから立ち去ろうとした。けれど、それを偶然近くで聞いたらしい赤毛の少女が、スリザリン生の前にその身一つで躍り出て、こう言い放ったのだという。

『あの男の傲慢さは、貴方達の陰湿で下劣な行いとは比べものにもならないわ。彼は自分の傲慢さを理解して、そしてそれと戦ってすらいるのに』

それを耳にしたライジェルは驚き、そして慌てて階下へ降りた。リリーの言葉にスリザリン生達は逆上し、低劣な言葉を彼女に浴びせ始めたのだ。口論がエスカレートし、魔法が飛びそうになったところに漸くその場に追いついて止めに入る。スリザリン生達はライジェルが一言声をかけただけで慌ててその場から逃げていった。
リリーはその時の出来事をきっと覚えていないだろう。けれど、自分より年上のスリザリン生にたった一人で言い返すその気の強さも、シリウスの傲慢さに隠れた部分を見つけてくれていた聡明さも、ライジェルにはとても眩しく見えた。そして芯の通ったその意志の強さの現れた緑色の瞳に、惹きつけられたのだと。

「結局、あれから彼女と話す機会は訪れなかったけれどね」

そう言って笑った彼女の、学生時代のことをリーマスは人伝てにしか知らないけれど。氷の女王などと謳われたその内側は、最初からこのいま見せているような優しいもので出来ていたのだろうと、その柔らかな横顔を見ながら、そう思った。

嗚呼本当に、あの頃、何か一つでも違っていれば  全くその通りだよ、ジェームズ。
内心そう独り言ちて、リーマスは新聞に再び目を落とした。

一面にはホグワーツ急行と学生達を送り出す親達の姿が映し出されていた。ハリーらしき人物は見当たらない。まだ幼い彼の顔を出すのは憚られたのかもしれなかった。堂々と写っていた煙を吐き出しながら今にも発車しそうな列車を見て、そのあまりの懐かしさにリーマスは口を閉ざす。素晴らしい、日々だった。今までの人生の中で最も幸福な時間だった。勿論、今が不幸だと言うつもりは決して無いが。

「ジェームズは君の事を居心地が良いと書き残していたよ」
「そう・・・彼は本当にしつこい子だったわ。私も色んな場所に行っていたのに、あの子、どこにだってやって来た。それまで私しか知らなかったはずのところが一つもなくなってしまった時には本当に驚いた」
「僕等は学校の中に知らないところは無かったからね」
「そうね。あまり言葉を交わした事は無かったけれど・・・あの頃の私は、そちら側の人達と親しくする訳にはいかなかったから。けれど、もっと話してみれば良かったと、今なら思うわ」

顔を上げた彼女は、そう言った後、こちらを見て、苦笑する。どうしたんだろうと首を傾けると、ゆっくりと背に腕が回り、彼女に抱き寄せられていた。

「・・・ライジェル、」
「なあに、リーマス」

温かな体温、柔らかな身体、甘いにおい。幸せな部分から始まった彼等との記憶も、最終的には結局いま、誰も居なくなってしまったのだという事実に戻ってきてしまっていた、彼等が今ここに"居ない"という現実に図らずも曇ってしまったらしいリーマスの表情を彼女は見逃さなかった。一瞬のことだろうに、彼女にこの手の隠し事が出来た事は無い。いつも敏感に、そうしてそっと、その気持ちを掬い上げてくれた。
リーマス自身が彼女に泣き言を言ったことは、これまで一度も無かった。多分、これからもそうだと思う。けれど、彼女は日々の中でそっと、ふとした拍子の僅かな機敏を見逃さずに、そっと真綿で包むように、小さな傷にひとつひとつ手当てをしていくように、ささくれ立ったリーマスの心を癒してくれていた。毎月訪れる忌々しい満月の日にも、彼女は眠れないからと言って朝まで起きて待っていてくれる。数年前に脱狼薬が開発された時には、彼女は態々知人に習いに行ってまで、難易度の高い薬を作れるようになってくれた。共に居られることを嬉しいと思うようになって、それに幸せを感じていることに気が付いて、彼女を大切に思っているのだということを己の中で認めたのは―もうずっと、前のことだ。

「私は、君を  ッ、何でもない」

愛している。
その言葉だけが、どんな時も言えなかった。リーマスは人狼で、彼女はそれを受け入れてくれているけれど、こんな、人でも獣でもない半端者が、彼女に愛を告げるなんてもってのほかだと、いつも口を突きそうになる言葉を己の中の理性が止めるのだ。彼女は、貴方は人間でしょうと、言ってくれるけれど、でも、それでも、己の中でいつまでも、それを伝えてしまう決心だけがつかない。彼女はたぶん、ずっと待ってくれているのに。

「リーマス」
「すまない、ライジェル、私は・・・」
「私もよ。私も、貴方と同じ」
「っ、」

言葉に出来ないリーマスの、その言葉に出来なかったところを。彼女は、その気持ちが、言葉に出来ないというところも含めて、同じだと、こうして伝えてくれる。腕の中の彼女を、ぎゅう、と抱き締めた。彼女が愛しい。愛しくて愛しくて、だから怖くて。彼女も、怖いのだろうか。
この想いを言葉にするには、互いに大切なものを失いすぎていた。失うことに疲弊して、臆病になっていた二人には、愛することが、ただただ怖かった。



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