片倉小十郎と柴田勝家

幼い頃の伊達政宗・・・梵天丸は、それはそれは可愛らしく素直で明るい、少し物静かではあるが思慮深い御子であった。そんな様子に家臣達からの期待も厚く、嫡男としてすくすくと成長をしていた、筈だった。
彼が疱瘡を患うまでは。



酷い高熱が続き、一度安定したかと思えば身体中に発疹が出始め、また再び高熱と更には全身の痛みまでにも襲われた病との戦いに、必死に打ち勝ち落ち着いてみれば・・・梵天丸の顔の右半分には、痘痕が残って右の目はまともに見られるものでは無くなっていた。

「片目ではどうともならぬ」
「御嫡男と言えどもあれでは・・・」

心無い家臣達からそんな話が囁かれ始め、病の完治の後も梵天丸は顔を俯けて人前に出ないようになってしまい、拍車がかかるように伊達家中でも立場が危うくなりはじめた頃。

「化け物めッッッ!!ーッ」

母・義姫から決定的な拒絶を受けて、梵天丸はとうとう室に引き篭もるようになってしまった。義姫は次男の竺丸を溺愛し、後継にまで擁護するようになる。けれど、それでも父・輝宗は、梵天丸の廃嫡は一度も考えなかったという。

「甘えるんじゃねぇッ!!」

その後の腹心となる傅役・片倉小十郎の叱咤激励と、見えなくなってしまった右目との物理的な決別を乗り越えた梵天丸に、輝宗は教育係として高僧を招いた。虎哉宗乙というその女は、歳若い身でありながら上人となった才覚のある人で、輝宗は一度は彼女に断られながらも、梵天丸の為にと熱心に奥州へと口説いた。梵天丸の中の統治者としての類稀なる才覚を、この頃から輝宗は見抜いていたのかもしれない。



「若」
「・・・」

梵天丸の師にと請われて奥州へやって来たは良いものの、彼女の仕事は思うように捗りはしなかった。弟子となった筈の梵天丸は輝宗と共に顔を合わせた時以来、室を訪れてもうんともすんとも言わないような拒絶振りを見せていた。ただでさえ気を許した小十郎と輝宗以外は寄せ付けないというのに、己の師となる者が母と同じ女であったという事に拒絶反応を見せたのである。

「風が気持ちの良い陽気にて、暖かな春が感じられますよ。縁側に出てきて少しお話ししませんか」

「若は御釈迦様のお教えで、こんな話をご存じですか、」

「兵は詭道なりという言葉がありますが、」

梵天丸は決して戸を開けて顔を出してはくれなかったが、彼女はそれでも彼の室に通うのを止めなかった。輝宗から息子の不敬を謝罪されることもあったが、そんなものは必要無いと首を振って。

「女の身の上であることは拭えませぬゆえ。それを乗り越えひとりの人として"私"と向かい合って、それでも受け入れられぬのであれば、殿の御意志に添えなかったという事になりましょう」

その時は申し訳ないが役に立てはしなかったということになるが、けれどまだ始まったばかりであるからと、彼女は輝宗にそう言って微笑んだ。



ある日、何時ものように開かぬ障子戸を暫く眺め、眉根を寄せて申し訳なさげにする小十郎に苦笑した後、縁側に腰掛け今日は何の話をするかと彼女が口を開いた時、背後の戸がス、と開いた音がした。

「・・・隙間があれば、風が入りましょうや。そうだ若、風というのは入口と出口が肝要だということをご存知でしょうか。出口を作ってやることで、隙間から入り込む風は格段に勢いを増す」

その戸の隙間に、驚いたように視線を向けたのは小十郎だけだった。彼女は普段と何も変わらず、政宗の方へ急に振り返ったりなどはしなかった。

「・・・即ち風の流れをよむという事は、戦において時として兵力を大きく左右する事となるのです」

話し終わった時に一度、梵天丸の室の方へと顔を向けるという、いつもと同じ行動を取るだけの彼女に、この時の梵天丸は、慌てて覗き見ていたその隙間から離れたりすることもなく、片方の目のみであるが、その隙間からじっと彼女と対峙した。

「・・・」
「・・・」

その時、言葉は交わされなかったけれど。梵天丸のその真っ直ぐな瞳が、彼女のそれを射抜き、彼女は背筋にぞわりとしたものを感じたという。未だ十にも満たぬ幼子が、己に害を為す者か否か、信用しても良いのかどうか、見極めていたのだ、その一つ残ったまなこだけで。
そうして、その次の日から梵天丸は彼女の前へ姿を現わすようになった。



「虎哉和尚、何故俺の右目は見えなくなってしまったのだろうか」

ある時、梵天丸は彼女に尋ねた。母に毒を盛られ、危うく口にする瀬戸際を経験した悲しい日の、すぐ後のことだった。

「若の右目は、天高く昇る龍が持って行ってしまったからそこに無いのですよ」
「龍?」

彼女は梵天丸に様々な事を教えていた。仏法だけでは無く、領主たる者如何から、戦での策の練り方、異国の知識まで。そんな彼女を梵天丸は慕ったし、頼りにしていた。躊躇も思考の間も無く帰ってくる師の言葉を、梵天丸は素直に吸収していった。

「奥州の地には龍が住まわれているのです。あの辛いつらい病と戦って打ち勝った、若のその証を龍は欲しいと思うたのでしょう。だから若のその目を寄越せと、見えなくしてしまったのでしょうな」
「病と戦って勝った、証?」
「ええ、そうですとも。若のその右目は、若が幼い身で持ってして、とてつもないものに打ち勝った証なのです。これから若は、屹度強く立派な将として成長出来ましょう。何と言っても、龍の御加護が付いているのですから」

彼女のその言葉に、梵天丸はぽろりとその片目から涙を零したが、彼女はまるでそんなものは見えないとでも言うように変わらず話し続けた。

「若は立派な御子です。輝宗様も誇らしい事でしょう。精進なさいませ」
「・・・、あたりまえだッ」

自身の力で再び立ち上がらんとする幼き梵天丸を、彼女は慈母のような瞳で見つめていたという。





「おい小十郎・・・そんな話ばっかすると、あのババアがとんでもないsaintみたいに聞こえるから止めろ」
「政宗様!」
「せい、と・・・?」

はてさて、最近伊達軍に仲間入りした柴田勝家にそんな師弟の話を聞かせていた小十郎であったのだけれど。不機嫌そうな主君・・・というかこの話の当人に止められてしまっては口を慎まざるを得なくなってしまった。

「も、申し訳ない伊達氏・・・!私が彼の方について教えて欲しいと許可を願ったのだ!」

己の所為で小十郎が責められてしまうと慌てた勝家が顔を上げると、小十郎は苦笑しており、政宗は存外不機嫌になったりしているわけではないようだった。この主君は言葉尻こそ本当に粗暴だが、その心根は優しいばかりである。

「まあ嘘ではないから止めるつもりは無ェが・・・あのババアを褒めると槍が降るからな、程々にしとけ」
「ほう・・・それは一体誰の事を言っているのかな若」
「・・・shitッ」

神出鬼没なのは師弟共ということか。背後から現れたのはもう一人の当事者である彼女で。肝心なところばかり聞こえてしまうその地獄耳に、政宗がやっちまったと言いたげに表情を歪め舌打ち混じりの言葉を吐き出した。

「若じゃねぇ」
「おや、もう殿だったか。すまないね、いつまで経ってもお子ちゃまに見えるもんで」
「何だとッ」
「政宗様ッ虎哉様ッ!!」
「「・・・」」

小十郎の一喝で渋々と口を閉じた両人は、その後ガミガミと彼の説教を小一時間ほど喰らったのだった。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -