明智光秀

「んーっ!良いお天気だなぁ」

うららかな気持ちの良い日のこと。縁側でころりと寝転がりながら、こんな日にはお鍋が食べたくなるなあと鼻歌でも唄いだしそうな秀秋が、今日は何を煮込もうかともにゃもにゃと考えていると、視界の隅に見慣れた長い銀髪が見えて、彼はパッと表情を明るくした。

「あっ!天海さまー!」
「おや金吾さん」

その銀髪の男は、烏城と呼ばれる岡山城の食客であった。厳つい仮面を身に付け、鎧を纏い、どう見ても鎌にしか見えない錫杖を持ちながらも、お坊様だと自称する男である。まあ見掛けは置いておいたとしても、いつも悩める時には助言を与え、愛情に満ちていて頼りになるその男を、秀秋は慕っていた。しかもとても強く、兵達からの人望も厚い。偶に少し怖いところもあるけれど。そんな彼・・・天海が、今日はいつも背負っている錫杖を手に持ったままで、代わりに何か大きな布の塊を担いでいるではないか。

「なに背負ってるの?お鍋の具?」
「鍋ですか・・・そうですねえ、良い出汁が出るかもしれません」

クククと笑った天海は、にやりと口の端を吊り上げる。悪どい。時折見せる悪い笑みである。その様の恐ろしいことに、秀秋は嫌な予感がして咄嗟に一歩後退った。けれどそれも遅かったらしく、天海は背からその場で荷を下ろしてしまう。いつもこうである。怪しいと気付きはするのに、秀秋はいつもいつも逃げ遅れるのだ。
どさ、と雑に地に下ろされたものに秀秋は思わず視線を向けてしまった。ソレはごろりと転がって、布の間から担いでいる時には見えなかった中身がはらりとのぞく。

「・・・てっ、天海さまぁ!これ、人間じゃないか!!ヒィィィィ!!」

そこには、瞼を下ろした女が包まれていたのだった。

「ククク、尼僧の鍋とは如何に・・・」
「煮ないよぉぉぉおぉぉお!!!」

怖いもの見たさとは、何たる恐ろしい言葉であろうか。秀秋は二度と好奇心に負けたりしないと心に決めた。



その頃、奥州はというと。
彼女が気ままに放浪するのは頻繁とは言わねども決して珍しい事ではなく、奥州筆頭はその度にやきもきとするにはするのだけれど、最早半分諦めている為に自ら探しに出たりだとか、突きとめた場所に乗り込んで行ったりとかはしなかったのだ。けれど、

「離せ小十郎ッッッ!!」
「いけませぬ政宗様!!!」

今回ばかりは、

「せめて戦の支度が整うまでは辛抱されよ!!」
「小十郎、お前・・・」
「・・・お気持ちは、皆同じです」
「「「筆頭ッッッ!!」」」

憎っくき因縁有りし死神。この手で確かに葬ったはずが、よもや生きていようとは・・・そしてあろうことかこの奥州の覇者、独眼竜伊達政宗が師と仰ぐお方を連れ去るとは何事か。小十郎は硬く拳を握り締めた。許すまじ明智光秀。彼女が拐われた現場に居合わせ、守られたという領民を慰めながらも小十郎の内心は主君と同じくらい煮え滾っていた。



さてさて、そんなお国元の事情を挟みつつ、そんなことになっていようとは予想はしつつも知らんふりで(むしろそれこそが拐かし犯の狙いであるのだろうから)こちらはもっと平和なものがぐつぐつと煮えている備前の国。煮え滾ることはあまりない。だって灰汁が出ちゃうじゃない。彼女の居住地である筈の奥州からは西へ西へ、かなり離れた地へ来てしまっている。如何して彼女の身柄がこんなところへ在るのかと頭を捻りたくもなるところである。
秀秋の悲鳴に、んんんと唸って目を覚ましたその女は、その身を起こしてコキコキと鳴らしながら早速身体が痛いと文句を垂れた。ここは何処であるかと問わないその落ち着きぶりは流石年の功か。そう思考を持っていった天海はすっかり見抜かれひと睨みされては肩を竦める。

「怖い怖い、とても尼僧とは思えない眼光ですね」
「お前に言われたかないよ」

彼女の機嫌が悪いのも、身体が痛いのも、そして序でにたぶん国元の国主が大大大激怒しているのも、それも凡て、この目の前の頭のおかしな僧が原因である。

「扱いが雑なんだよお前は」
「ククク・・・これはこれは、失礼しました」

文句を垂れるかと思えば己の勝手については責めないその尼僧に、天海は可笑しな女だと喉を震わせた。
古い仲であるこの女とは、何気にも美濃に居た頃からの付き合いである。嘗て幼く純粋だった頃の己は、偶に顔を見せるこの尼僧に仏の教えやら、他所の国の話やらを強請ったものだった。会うたび近付いてゆく体格差に心躍らせ、この女に会うのを楽しみにしていた幼い頃が懐かしい。そのうちに、女は暫く顔を見せなくなり、己が彼女の身長を超えたであろう時も、その超えたことを確認する前に、己は織田へと渡ってしまったが。風の噂で、丁度その頃彼女は諸国漫遊をとうとう止めて奥州へ身を落ち着けたのだと耳にした。

「またお前のせいでうちの殿が荒れ狂ってるだろうさ」
「それはそれは・・・願ったり叶ったりですね」
「どどどどういうこと天海さま?!?!」

だからとは言わないが、天海はあの奥州の双竜がこの尼僧のことをさも当たり前のように傍置くことが気にくわない。怪僧とはいっても僧の端くれでもある天海はよくよく知っていた。この女は本当に、途轍もない高僧であるのだということを。年若きうちから悟りを開き、その道のひとびとに少年上人と言わしめた程の才女である。それを、あんな土臭い田舎へ閉じ込めておくなんて。

「おや、これは気がつくのが遅れてしまい、失礼致しました。烏城城主、小早川秀秋殿とお見受けいたします」
「ふわぁあぁぁ!な、何?!」

天海の言葉に、近くで物陰に隠れながら成り行きを見守っていた秀秋が声を上げ、それに気付いた彼女が彼にがばりと振り返る。いくら天海の勝手で連れてこられたとはいえ、ここは見知らぬ領主の居城。彼女の判断は至極常識的だった。

「無断で立ち入ったことをお詫びいたします・・・何しろどこぞの生臭坊主が、げふん。誠に勝手では御座いますが、少し此方に滞在させて頂いてもよろしいでしょうか」
「う、うん・・・もちろん良いけど、」
「いまこちらへ進軍しているらしき一団を止める為のお手伝いもさせていただきますので」

こんなに人間扱いされるの久しぶり、とは秀秋の心の声である。だので、彼は重要なところを聞き逃していた。後半を聞いていなかったのである。ほわほわと嬉しそうな空気を醸し出して歓迎の態をみせる秀秋に、にこにこと微笑む尼僧。平和なことに秀秋の頭の中では今日の鍋の構想が捗っていた。

「・・・猫被りも甚だしいですね「黙れ腐れ坊主」ぐふっ、」

そしてそんな彼女の豹変ぶりに感想を述べた天海は、鋭い肘鉄を喰らって嬉しげに口角を持ち上げた。

「臨機応変と言え、この戦狂い」

さてこれから訪れるであろう北の一軍をどうするべきか、彼女は頭を悩ませた。小早川には悪気は無いのだから、どうにかして戦闘になる前にうちの殿には落ち着いて貰わねば困る。さて、どうしたものか。全く、折角こんなに西まで来たのにお前のせいで一仕事だ、と溜息を吐くと、銀髪の怪僧は意外そうに顔を上げた。

「拐かしたことに対する文句は無いのですか」
「うん。それよかこんな西の地まで来れて嬉しいよ。西国へも足を運んでみたかったんだ」

そう言って、怪僧の方を見ると、きょとりとその糸のような瞳を丸めた。想定外のことを言われて、珍しくも普通に驚いてしまったようであった。この男がそんな表情を見せるのは、ひどく珍しい。

「お前にとってはここからが本命なのだろうがな」

はっ、と鼻で笑う。仕方がない、年寄りが少し手間を掛けてやらなければ。天海には悪いが、彼女は戦とかはどうでも良いのである。

「さて、秀秋殿。東側の門はどちらに?」
「え、あ・・・っあ、こっちだよ!」

そう言って行ってしまった彼女の後ろ姿に、天海はクククと何度目になるか分からない喉を震わせた。確かに、当初の目的は双竜の大切にしているものを奪っての戦いであった。そうだった。それを今更思い出し、己が随分とこの女に絆されているのを漸く自覚する。

「秀秋殿、急がねども大丈夫ですよ」
「ふぁっ?!う、うん!」
「ほら落ち着いて」
「ま、まぐ・・・うん、」

まあそれも、悪くない。



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