ひとりめのプロローグ

何ということはなく、時折ふとした拍子に、腹の底から嫌なものが込み上げてくる事がある。寂しさとか、憤りとか、自己嫌悪とか、どうして、なんで、でも。それに表情を歪ませる瞬間を、その存在は絶対に見逃さなかった。

「セオ」
「・・・っ、」

優しい響きで呼ばれる愛称に、細く白い指先が伸びてきて、髪がかき混ぜられる。止めろと言わずにもその腕を掴んで見上げれば、柔らかく瞳を細めて俺を抱き締めるのだ。嫌そうな顔でそれを受け止めて、けれどぎゅう、と力を込めて、そのぬくもりが離れていかないようにして。そうするとアイツは、くすくすと笑い声を零しながらいつも秘密の呪文を囁いた。

「セオが不安になったとき、困ったとき、元気が出る呪文だよ」
「元気なんて、」
「"・・・・・"」

歌うように軽やかに口ずさみながら、額に贈られた口付けに頬が赤く染まる。そんなことをされればもう、

「ほら、元気になった」
「〜っ、当たり前だろっ!」

楽しそうに笑い、逃げ出すように離れる俺を追い掛けて、そうして手を繋いで、大切なものをいくつもいくつも、分け与えるように。
男手ひとつで俺を育てる父の大変さを理解しながらも、心の何処かに隙間を感じる俺を、いつも掬い上げてくれていた。彼のその手に、どんな時もそうやって、足りないものを求めて。それが当たり前に与えられることの幸福を、この時の俺はきちんと理解していなかった。それが、決して"当たり前"なんかではなかった事を、この時はまだ、ちっとも知らなかったのだ。





「おい、セオドール。そろそろ着くぞ、起きろ」
「、ドラコか」
「?なんだ、夢でも見ていたのか?」
「いや・・・別に大したことじゃない」

目を覚ませば、列車の中だった。ホグワーツ行きの特急列車。赤く輝く車体は、田畑を貫くように進む。運ばれる先には、漸くと言ってもいいほど、待ち焦がれた己の能力を学ぶ場。入学に期待を胸いっぱいに抱えた同胞達が、きゃらきゃらと騒ぎ立てている。よくこんなに騒がしい中で眠っていられたものだ。酷く、懐かしい夢を見ていた気がする。

「そろそろ着替えた方がいいぞ」
「ああ・・・」

ホグワーツは全寮制である。悩む間もなく皆同じ寮になるであろう子供達と共に、セオドールは湖に浮かぶ壮大な城を見上げていた。アイツも、ここに居るのだろうか。いつからか会わなくなってしまった、会えなくなってしまった、幼い日の優しい思い出に必ず出てくる彼・・・いつからか、なんて郷愁に浸る自分に笑いが込み上げる。そんなのとっくに分かっているし、彼に二度と笑いかけて貰えないという事も知っていた。
それだけのことを、父は・・・父達は、したのだから。


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