保ちたい距離、保てない心
「……隼人、なんでここに」
「話があるんだ」
驚き、目を瞬く。
入江正一の元から帰ってきていくばくか、もう皆とっくに食事など終えて、食堂から出ていったとばかり思っていたのに。
「話?俺に?」
「他に誰がいんだよ」
「いや、隼人もついに雛乃の魅力に気が付いたのかな、と」
「ちげぇっつーの!それはてめぇだけだ!」
大体それにしたってお前に話しかけんのはおかしいだろ!と喚く獄寺に、思わず笑う。
嬉しかった。純粋に嬉しいと思った。
ミルフィオーレ突入前、あれだけ色々あった仲だ。実際アジトに帰ってきてから、なんとなく互いに避けている節はあった。だから、嬉しい。
笑う。ちょっとだけ元に戻れたかなという思いが、頭を掠めた。
こちらを見、なぜか獄寺が顔を隠すようにぐしゃっと前髪をかき乱す。その手の下、僅かに覗く頬が赤くなっていくのを、雛香は不可思議な思いで眺めていた。
なんだ、今どこに照れる要素があった。
「……てめぇはなんでそう普通に笑って、」
「んー?」
「……あーくそ、バカバカしくなってきた」
「は?」
「やめだやめだ!てめぇは結局いつもと変わんねぇし、謝るのがアホみたいに思えてきた!じゃあなこのブラコン男が!」
「はあ?!ちょ、待てよお前な、話しすんのか罵倒すんのかどっちかに、」
なぜか頭を乱暴にかき、不意に背を向け歩き出す獄寺。一方的に喧嘩を吹っかけられ、雛香は慌ててその背を追った。
「待て、っての!んのタコ頭!」
「なっ?!」
グイッ、とその頭のフードを思いっきり引く。
身長差が生きる攻撃だ、獄寺はあっけなく後ろによろめき奇声を発する。
よっしゃ、雛香が目を輝かせたのも束の間、
少しばかり、勢いが強すぎた。
――どしゃっ!
「……っ、いってぇ…」
「そ、れは俺のセリフだこのアホ……どけっての隼人!」
「しかけてきたのはそっちだろーが!」
非常に間の抜けた音ともに、仲良く床に倒れこむ2人。そしてなぜか下敷きになる雛香。
うー、と打った額を押さえて呻く雛香の顔を、慌てて起き上がった獄寺が覗き込んだ。
「ちょっバカ、おい大丈夫か?」
「脳細胞がいくつか死ん、……!」
「あ?」
獄寺の呼びかけに、涙目で睨みつける雛香。
だが顔を上げた瞬間、目の前に獄寺の顔があって、雛香は思わず言葉を呑んだ。
黒と銀、ばっちり合う2つの視線。
「……んだよ」
「……近い」
「……わりぃか」
「……離れろ」
「……てめぇに言われずとも」
ぱっと目を逸らす。
額を押さえていて良かった、と雛香は思った。
多分、目隠しになっているはずだ。赤くなっているに違いない顔の。
「……おら」
「?」
なんとか平常心を保って視線を戻す。
立ち上がった獄寺が、こちらに手を差し伸べていた。
「……ハイタッチ?この年で?」
「てめぇはバカか?!わざとやってんだろ!!」
一瞬、盛大にイラッとした顔になり、それから獄寺は口を曲げた。不服そうに、けれど伸ばした手のひらは引っ込めないまま。
「……色々悪かったな。ほら」
「……ほー。手、貸すからチャラにしろって?」
「まあ、……俺にだって良心ってモンがあんだよ」
「手、1回貸してもらったくらいじゃなー」
「ッ……!んじゃ、何がいんだよ」
「今度雛乃の寝顔撮ってきたら許す」
「それ誰得だよ!!お前がやってろ!!」
むしろお前なら頼まずとも寝顔の1つや2つ、あのバカ弟ならと騒ぐ獄寺に頬を緩める。そのまま、吹き出すように笑っていた。
「何笑ってやがる!」
「うっせーよこのタコ頭」
手を伸ばし、銀色の頭を適当にかき乱す。
自分より少し高いそれは、伸びをしなければ届かないのがちょっと癪だ。
「っ、何すんだよ」
「……や、別に」
安心した、とは言ってやらない。
何があったって、結局自分も隼人も、こうしてまたじゃれ合い気軽にケンカしあえる、そういう仲に戻れるとわかってほっとした、だなんて。絶対。
「……ところで隼人、匣兵器の名前なんで瓜なんだよ。俺前から気になってたんだけど」
「お前こそケルっておかしいだろ、センスねぇよ」
「ハイセンス隼人に言われたくはない」
この居心地の良い距離間でいたい、とは。まだ。
***
(……あー、ちっくしょ)
目下、こっちの前髪をいいようにぐしゃぐしゃかき乱す、低身長の相手から目を逸らす。
おかしそうに笑う、その顔に嫌というほど意識がいってしまうだなんて、
(……未練がましいのはわかってっけどよ、)
チッと舌打ちをかまし、雛香の髪へ手を伸ばす。
(まだもう少し、……好きでいたって、いいよな)
未だ早鐘を打つ心臓をごまかすように、黒い頭を乱雑に撫で、獄寺はそっとため息をついた。