会いたい


「ほんとうにびっくりしたよ。だって湖から人の気配がして、幽霊かと思って近づいてみたら、君が、」

「でも見つけたのが猪名寺くんでよかった。」



猪名寺くんは熱いお茶を出してくれて、向き合い膝を寄せて話をしている。

わたしの涙は引っ込んだ、今は喉を通る熱いお茶が心地よい。
保健室には今私達だけだ。





「……そのときなんだよ」

「え?」

「君が息を吹き返してむせこんでいた時、人垣から離れたとこで一人、ぼろぼろ泣いてたんだ。あの兵太夫が」

「……」

「君たちは何があったの?」





直球なその言葉の裏が好奇心だったり、自己満足の域だったなら、わたしは未だ貝のままだっただろう。

しかし猪名寺くんの大きな眼鏡の奥では、わたしへの心配が溢れていた。そして彼はわたしの奥でひっそりと根付く闇に気付いていた
その闇を晴らそうとしてくれているんだろうと思う



「話してごらん、僕には聞くことしかできないけれど」

「…笹山は、悪くないの。それだけ念頭に置いて、話、聞いてくれる?」

「うん、勿論」











全て話した。未来から来たことも、それ故の臆病な心、笹山との事、ぬくもりを冷ましたくて気付いたら湖に入っていた事、あわよくば消えてしまいたいと、思っていた事……
猪名寺くんには軟らげる力があるようだった。人の心とか、硬く締められた紐を解くような力、





「わたしが臆病なだけ」

「うん、」

「ただ失いたくないんだ、温かくて、幸せなものほど」

「そうだね」

「未来から来ただなんて信じてもらえないかもしれないけど、基から交わる筈じゃなかったもので何時消えるかも判らないのに、」




また一筋、涙が、止まったと思ってたのに





「…大切な笹山の、笹山の時間を無駄にしてほしくはっ…」

「っ…きりちゃ…!」




いきなりわたしの後ろにあった襖がすぱーんと勢い良く開いた
振り向いたら、そこには不機嫌…いや、憤りを全面に出した摂津が、立っていた

あぁ、またか。
わたしは気配を消せないどころか、気配を読むこともできない。彼が居ると判っていたらこんなふうに話したりしなかったな…





「せっ…っ!?」

「きりちゃん!!」




一瞬何があったのか理解出来なかった。いきなり変わった視界、じんじん痛む頬に、わたしは叩かれたのだとわかった
猪名寺くんはわたしの頬を労るように駆け寄ってくれた
でもわたしは、冷えた空気を纏い怒りを向けてくる摂津から目が離せなかった






「…ふざけるな」

「……」

「自分の事ばっかり、自分が傷つくのが怖いだけだろ自己満足も大概にしろ。お前はいいかもしんねぇ、けど兵太夫の事考えたことあるか。」





摂津の目は嫌いだった。ぎらりと真っ黒で、吸い込まれそうになるのに、どこか拒絶を孕んでいる

そして人一倍過敏な心と切れる頭でこの話題を切り出されたら、保身に走ってただ逃げ回るわたしの正当化が間違っている、と正論で攻撃されると判っていた
だから彼とは極力接点を持たないようにしていた、のに
摂津を避けている時点でわたしは自分の勝手さを認めたようなものなのに悪あがきをしている、馬鹿で臆病なわたし





「………」

「あの兵太夫が泣いたんだぜ?滅多に自分の弱さなんか見せようとしないあいつが、人目も憚らず。拒絶なんて、善処する努力もしてない奴にする資格無ぇよ」




わたしはただ、耳を塞ぎたい気持ちで聞いていた
いつか来てしまうと予想はしていたがしかし、正論は自分の弱さを自覚する人間にとって鋭い刃なのだ






「愛が欲しくたって貰えねぇ奴もいる、愛を捧げたって一方通行の奴なんかごまんと居る、それに比べておまえらは愛し合ってる。なんで拒絶すんだよ、」

「…結末が、見えてる」

「人はいつか死ぬだろうが。お前と俺達、何も違わない」

「死ぬのとは違う、決別の後もはっきり意識がある…」

「死んだ事無いのに知ったような口をきくな」

「っ…」

「そもそもいつ消えたって目一杯愛せた、満足だって言えるような生活すればいいだろ」



ああ言えばこう返され、それも全部わたしの負けだった。どこかでわかっていた、けれどやはり踏み出すにはわたしのちっぽけな懐にある、ちっぽけな勇気だけでは到底無理だったのだ






「このまま臆病でいたほうがよっぽど後悔するに決まってる。あいつは今でもお前を待ってる」

「嘘よ、もう何人も抱いてるじゃない、わたしなんて今更…」


「…知らないの?兵太夫、誰にだって名前ちゃんを重ねてるんだよ」




ほんとうに心底驚いたように、今まで傍観に撤していた猪名寺くんが口を開いた




「全員端から身体だけって決めて」

「髪が名前ちゃんくらいになるまで抱かなかったり。本人無意識みたいだけど」

「前、最中に名前の名前出して大目玉食らったくらいだし」

「………そんなの、知らない」





とっくにわたしの事など、あって後悔とわだかまり程度かと思っていたのに、二人から発せられる事柄はわたしを驚愕させるのに十分だった







「……何処に、いるかな」

「さぁ、自分で探せよ。自分の幸せだろ」

「まだわからない、ただ少し、話してみる」

「まだ保身するのかよ。わかってるだろ、後悔しないさ」

「わかってる。ただ、踏み出したいと思うから、話してみるの」

「曖昧だなーさっさとくっつけよもどかしい」

「うんうん、きりちゃん色々言ってたけど結局二人が心配なんだよね」

「善処する、わたし、笹山が大切だから」

「大切をはき違えるなよ、」

「大丈夫、多分。」




わたしが保健室を出るとき、摂津も猪名寺くんも笑顔で見送ってくれた
きっとどこかで、暗雲なんて捨てて笹山に愛されたいと思っていたんだ




ゆるゆる融ける心は、未だ少しの恐怖とそれよりずっと大きな愛しさに溢れている


笹山に、会いたい


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