人魚の呼吸音


藍ちゃんは、呼吸をしない。

酸素は錆びを引き起こすから、出来れば避けたいらしい。そうそう錆びる素材なんかじゃないんだけど、とも言ってた。形だけある鼻には嗅覚に当たる感覚機があるだけで、空気を通すような構造じゃないんだって。呼吸をしているようにカモフラージュする為に胸の上下運動とちょっとした風調機関があるらしい。
それも、彼がロボだと認識する人間だけの空間になると切られる。無駄なエネルギーと容量を節約する為に。


「藍ちゃんてさ、」

「なに」

「人魚の王子様、ぴったりだよね」

「どうしたの。今更」


シーツに揺られているのも、いっこうに温まらない毛布の中も、視界のライトエメラルドも。冷たい海の中で、太陽の濁る空を見上げているみたい。

今日は、我儘を指先に込めて藍ちゃんの袖を掴んだわたしの無言の訴えを受け入れて、おんなじ布団の中でスリープモードに入ってもらう事ができた。だからお布団の中、藍ちゃんを見上げて居る。彼は仕方がないな、なんて言ってたけど。


「…藍ちゃん」

「なに」

「もし、魔女が、藍ちゃんの声を引き換えに人間にしてくれるって言ったら」

「……」

「どうする?」


何も読み取れない瞳だった。瞳の奥で、レンズがピントを合わせてジジッと動いた気がした。わたしの表情を分析しているのかな。


「ボクは、ソングロボだ」

「…うん」

「歌う為に、作られた」

「…そうだね」

「だから、ボクはこのままでいることを望むよ」


そうだよね。
一体自分が、どんな答えを望んでいたのか自分でもわからないけど酷く納得はしたような気がする。人間になって欲しいとも思って居ないし、でも嬉しいってわけでもなかった。


「君は、ボクに人間になって欲しいの?」

「ううん、別に。わたしは幸せだし」

「そう…じゃあなんでそんなこと聞いたの」

「…どうしてだろう」

「……」


藍ちゃんは訝しげな表情をした。
なんだか表情のレパートリーも、すごく増えた気がする。わたしの要求を聞いて、藍ちゃんにとって意味のない事を一緒にしてくれたりもする。ほんとうに、ほぼ人間だ。ほぼ、


「ボクは、」

「ん?」

「ボクだから出来る事がある。人間じゃ出来ない事も、沢山ある。スペアが居ること、本体がこれじゃないってこと、消去しなきゃ忘れないし、それに…」

「…それに?」

「君より先に死んだりしない」


わたしの熱が少し移ってきた腕で、強めに抱きしめられる。その胸は上下しないし、呼吸の音も、心臓の音も、しない。

それでも、それでも…



「藍ちゃん、」



そっと、花びらが落ちてくるように口付けて、



「…ありがとう」



確かに、ここに、居る


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