switch
だめだ、具合が悪い。
不摂生なわたしはたまにこんなふうに暫く微熱が続く事がある。一人暮らしのマンションに、仕事疲れで悲鳴をあげる身体をひきずって帰るのはいつもの事だが、今日は一段と身体が重く頭も痛い。
オートロックの鍵をあけて、空っぽの我が家に入る。バッグと一緒にソファーに沈みたいところをぐっと我慢してバスルームに向かう。ここで気を抜いてしまうと永遠に起き上がれなくなってしまうのだ
その時、携帯が鳴った。この着信音はフィディオだ。最近は体調の関係でことごとくデートやら何やら断ってきたから、内容を見るのは少し怖い。
それでも無視はできないのでメールを見たら、仕事お疲れだとか今日は何点入れただとか書いてあった。最後に、体調はどうだとか夕飯は食べたのかと書いてあってわたしは心なしかどきりとした。フィディオはわたしをどこまで知ってるのか。まだ一月しか経っていないというのに、彼の観察眼には目を見張るものがある。
"わたしは大丈夫、元気だよ。フィディオもサッカー頑張って"、とだけ送ってわたしはシャワーを浴びた。
風呂を済ましてスキンケアも終わって、やっと一息というところで携帯のランプが目に入りフィディオからの返信を見た。"嘘だろ"どきっとしたのも束の間、オートロックの鍵が開く音がした。
わたしの部屋の合鍵を持っているのは遠くベニスに住む母とフィディオしか居ないのだ
「や、やだフィディオ待って!」
「わっ、なんで閉めたんだよ!」
「だ、だって…」
わたしはなんだかんだすっぴんを見せた事が無い。スイッチガールの如く気合いの入ってないわたしの素顔を見せるのはまだ、まだ心の準備が出来ていないのだ。
顔も良い、サッカーもできる、性格だってわたしを心配して来てくれるような完璧な彼氏には、完璧な自分でいたい。その気持ちは強かった。
「なんだよ?どうせ夕飯食べてないだろ、オレが作るから」
「お腹、空かないから」
「ちゃんと食べないとダメだ。なんならオレが半分食べるから」
「い、いいか、ら」
「おい、名前、名前!?」
疲れがピークになったのか、わたしは全身から力が抜けて押さえていたドアノブから手を離し、座り込んでしまった。
当然フィディオは部屋に入ってきてしまう
「…熱でてるじゃないか。なにが大丈夫だ」
「…ごめん」
「とりあえず運ぶよ」
ひょいとわたしを抱き上げてしまうフィディオ。わたしはずっと俯いている。
そっとソファーに下ろされて、彼はわたしの頭を一撫でしてから「リゾットでいいな」と聞いた。わたしはこくこく頷いて、それでもソファーに顔を埋めたままだった。
だんだんとトマトの良い香りがしてきて、わたしはフィディオの優しさにほっとしながらまたすっぴんなのを思い出して心が重くなった。
「ほら、出来たよ」
「…ありがとう」
「……名前」
顔を埋めたままのわたしに、呆れたような声で名前を呟いてフィディオはわたしの横たわるソファーに近づいてきた
「なぁ、オレは名前が名前だから好きになったんだ。今は君のすっぴんよりも身体のほうが大事」
ちゅっとひとつ、わたしの耳に唇を落としたフィディオ。
「オレの顔見てくれたら、ご褒美に唇にあげる」
そろそろと顔を上げたわたしに約束通りキスをくれたフィディオは、十分可愛いよなんて言ってわたしの腕をソファーに縫い付けた。
「…わたしの身体が大事なんじゃないの」
「移してくれていいんだよ」
次は深く絡まるキスで、わたしは反論する余裕なんか飲み込まれてしまった