星と指の旋律

「ガンダレス?」

「…んー?」



ファラム・オービアス王宮内、紫天王に充てがわれた部屋の一つ。ここはリュゲル・バランの部屋だ。しかし確認できる人影は弟、ガンダレス・バランだけだった。
リュゲルとセットでないガンダレスを見るのは初めてだ。彼等兄弟は常に一緒に居る、そのためガンダレスの部屋は殆どあてがわれる前と変わらない位なのだ。


「リュゲルは?」
「ララヤ様のとこだってー。オレも行くって言ったんだけど、一人で行くって…」
「そう…」


ガンダレスはリュゲルのものと思われるベッドへうつ伏せになり、覇気のない声で返した。長い髪が無造作に散らばっている。


「明日、紫天王の会議だって。」
「うーん、わかった」
「ほんとに?」
「うーん」
「不安だなあ、リュゲルが帰ってくるまで待ってることにする。ここ座っていい?」
「うーん…」


わたしは苦笑が浮かぶのを感じながらも、ガンダレスの横たわるベッドに腰掛けた。微かに軋む音が響き、髪がさらりと重点を変えた。壁側を向いていたガンダレスの顔を覗き込むと、眼は開いていた。


「眠いわけじゃないのかな?」
「…うん」
「…寂しい?」
「……」
「……」
「…うん」
「…そっか」



リュゲルが居ないと、ガンダレスはこうも覇気がないのか。この二人の仲の良さは他に類をみない。
睫毛の影を見ていると、どうも胸が緩く捩れるような感覚が滲む。わたしはたまらなくなって、そっと触れる。ごわごわした髪に。とかしてみると、少しも指が進まなかった。


「ちゃんと髪、とかさないとダメだよ」
「…うーん」


とかすような素振りで、本心では撫でていたかったのだ。ガンダレスも嫌がらなかったから、わたしはそのままこの愛しい弟くんを撫でた。
だんだんと瞼が下がり、終いには静かに寝息を立て始めた。眠くなかったんじゃなかったのか、やっぱり眠かったのか、それすら考えるのも面倒だったのか…まるで猫のような奴だ。わたしはガンダレスの下敷きになっている掛け布団をぐいぐい引っ張り、きちんとかけてあげた。舞い上がった空気から、リュゲルの匂いがした気がした。


「おやすみ」


主の居ない兄の部屋で、それは静かな昼下がりだった。窓が区切るのは、疑いもしないピンク色の空。巨大な惑星の上で、私たちは白い一等星をなくした星座のようだった。

ダイヤモンドが消えても、わたしは星をなぞりたくなる。敷いていた布団を引っ張り抜いても彼の寝息は乱れなかったのだし、少しくらい悪戯しても起きないだろう。荒っぽくウェーブを編む紺の髪を顔から退ける。涙を流しているようなペイント。伏せられた瞼。
どうしても、そう、きっと何かを与えたかったのだと思う。ぽっかり空いた私たちの心の穴に、何かを。

どんなに近くで見ても、整った目鼻立ちは崩れない。微動だにもしない。向こう側の肩をぐいと持ち上げて身体をやや仰向けに倒しても。そっと、食む。ガンダレスの緩い唇は、見たまんま柔らかかった。涙が湧いてくる。どうしてだろう。哀れんでいるのか、一体誰のことを…?

殆ど距離のない状態で視界は酷く狭い。バサバサの睫毛が映るだけなのだから 気付く筈もなかった。


「…っ、ガン…」
「……」


布団の中からいつの間に出したのか、その黒く鋭い爪と白い手がわたしの後頭部を抑えても。唇を解放し、離れようとした瞬間に抑え込まれ外気に冷える暇もなくまた繋がった。
まさか、寝ていると信じ切っていた。その上拒絶されると決めつけていたから、肝の冷える思いと昂揚感が拭えない。ぺろりと、あざとくて、いじらしい舌が翻弄するように遊んでいる。食まれているのは、わたしだ。


「…そんなことをしてると、移るぞ」
「っ…はあ…リュゲル兄」
「!?」


ガンダレスは部屋に入ってくるリュゲルへ、何事もなかったかのように意識を向けた。信じられない。わたしはというと、硬直状態だ。気まずすぎる。伝える事だけ伝えて、さっさとこの空間から逃げ出そう。


「あーえっと、明日紫天王の会議、第一会議室、昼食後ね、それじゃあ」
「それなら延期になった。」
「へ?」


兎に角脱出したかったのに、予想外の言葉にまた硬直してしまった。しまった、あっそうとか言って出てくればよかった。


「ガンダレス、測ってみろ」
「んー?なんで?」
「いいから」


そういえばリュゲルは何か色々と持って部屋に入ってきた。その荷物の中から先ず出したのが…体温計?まさか…


「はい、」
「…38.2」
「ガンダレス、熱だ。お前は風邪を引いた」
「ええ〜?スゴイよリュゲル兄…オレ全然わかんなかった…」
「はあ、このくらい夕飯前だ。俺はララヤ様に会議の延期を申し出に行ってたんだ」
「スゲーよ…ほんとすげー…」
「ガンダレス、何も言うな。そして寝ろ」
「うーん…」


先ほど眠ったと見誤った寝顔と比べると幾分安らかだ。どうして見誤ったのか、過去の自分を殴り倒したい気持ちになった。
せっせと氷枕や氷嚢をあてがい、甲斐甲斐しく弟の世話をする兄。もう安心だろう。心の欠落感も跡形もない、


「じゃあ、わたしはこれで」
「ガンダレスが世話になったな」
「…わたしじゃダメだよ。リュゲルでないと」
「そうでもない、見てみろ」


指差されたところ、わたしの服の端だった。そこはガンダレスに握られていた。
じわじわと、胸のあたりがあったかくなる。それが勘違いでも、何の気も無いのだとしても。


「これからも頼む」
「リュゲル兄には遠く及びませんよ」
「そうか?こいつの手綱を握ってられる奴なんてそうそう居ない」
「……」
「俺のお砂付きだ」
「……う、うん、ありがとう」




アンタレス(Antares)は、さそり座の一等星。夏の南の空に赤く輝くよく知られる恒星。



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