ねえお姫様



ばっかねー、あんなに気持ち良くビンタを食らってるシーンなんてドラマでも最近じゃお目見えしないわ。廊下のど真ん中でやっちゃってるもんだから、隣の図書棟の窓からもちらほらギャラリーが身を乗り上げて指を差している。
むかつく程綺麗なブラウンの髪がさらっと重力に従ったけれど、その下にある生意気な唇はにやりと弧を描いている。憎たらしいったらないわね



「なに笑ってるのよ!」



ごもっともだ。ビンタを食らわす理由って主に屈辱を与える為とか目を覚まさせるためだものね。
こうも手応えが無くては叫びたくもなるわ。
でもああ、貴女の声って耳が痛くなる



「最初からオレは言ってただろ?キミだってそれを理解した筈だ。その上での関係だった。違う?」

「っ…」

「約束を守れなくなったのはキミだよ。さよなら」

「フィディオ!」



きんと頭に響く声をさらりとスルーして、片頬だけ赤いフィディオは爽やかな笑顔ですたすたと、窓の外を見ていたわたしの所まで来た。



「名前」

「茶番は終わったの?」

「それより名前」



名前を呼ばれて一瞥しただけで、また窓の外に視線を投げたら次は先ほどより声が近い気がした。なに?そう言ってまたフィディオの方を見るつもりだったけど出来なかった。一体この馬鹿野郎は何をしているんだ。脳ミソも筋肉なの?約束忘れたの?筋肉脳ミソじゃ覚えてられないの?ガチャガチャと何かが落ちる音とか甲高い悲鳴とか、図書棟の方から囃し立てる指笛の音がした。
わたしは何処か傍観者のような気分で呆れ果てていた。



「あの子との約束知りたい?」

「…いえまったく」

「ふふ、本気にならないでねって。それが条件」

「いや聞いてないわよ」

「オレ好きな子居るから。そのオレの好きな子ね、名前。ねぇ好きだよ」

「じゃあ聞くけど、わたしとの約束はどうしたのよ」

「だって駄目だよ。我慢出来ない」

「ああそう、あんたが約束破ったせいで明日からわたしの靴箱机の中はゴミ箱。トイレで上から水が降ってきて挙げ句呼び出されてリンチね」

「大丈夫さ、オレが守ってあげる」

「はぁ?明後日からFFIで遠征に行く野郎が何言ってるの?守るってなに?どうやって?」



怪訝な表情な自分が易く想像できる。それなのに目の前の男はわたしの両の手をぎゅっと握って、晴天のような笑顔でさらりと言うのだ。



「一緒に来てよ、オレのお姫様!」




そんな単純な甘言に躍らされるわたしも所詮只の町娘。



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