バレンタイン戦争

 バレンタインとは、戦争である。

 いかにして好きな人にチョコを渡すか。
 いかにして好きな人にチョコを貰うか。

 そんな男女の思惑が交錯するこの日、なまえが思うことはただ一つであった。

「くだらない」

 なにがチョコレートだ。告白など、したいときにすればいい。
 そしてこれまで告白される気配がなかったのなら、バレンタインにもされない。

「そう言わないで。俺にもチョコちょうだいよ」
「いきなり来てもそんな用意はありません」
「えっ? 本命チョコって事前に作っておくものじゃないの?」
「誰が本命ですか!」

 これだからバレンタインは嫌いだ。
 やはり臨時休業にするべきだったのだろうか。しかしそれはそれで、あらぬ誤解を呼ぶのが目に見えている。なぜ店を閉めたのかと後で質問攻めにされてはかなわない。
 とはいえこれは、想定外の来客だった。

「地球には面白い文化があるね。食べ物で好きな人を釣る日、俺も参加したいな」
「よくもまあ、縁もゆかりもない星のイベントにわざわざ……。宇宙海賊ってヒマなんですか?」
「わりとね」
「ウソばっかり。どうせまた、阿伏兎さんにお仕事押し付けて来たんでしょう」
「あは。わかった?」

 わからいでか。
 なまえはじっとりと男を睨んだが、そんなものはどこ吹く風。神威は地球では珍しい朱色の髪をゆらし、店先に陣取っている。
 まさかチョコを受け取るまで居座るつもりなんじゃ……。

「なまえちゃーん、今朝たのんだ花瓶だけど……」
「はーい仕上がってます! ほらよけて! もう、営業妨害ですよ!」

 しっしっと犬にするような仕草で神威をどかして、品物を取りに来た常連を通した。
 ここ、江戸でなまえが営む修理屋“縁”は本日、いつも以上の大盛況である。冷やかしの相手などしている余裕はないのだ。

「それでなまえちゃん、今日ってホラ、あの……」

 会計をすませ用は済んだはずなのに、もじもじして動かない男の用件は分かっている。
 今日はそれ目当てに物を壊してくる客のなんと多いこと。いちいち断るのも面倒なため、なまえは紙袋いっぱいに用意した小さな包みを一つ差し出した。

「ハッピーバレンタイン、ですね。はい、チョコレート」
「くれるの!? 僕に!? いよっしゃああああ!!!」

 見紛うことなき義理チョコを受け取って、男は天に拳をかかげて店を飛び出していった。
 あの様子だとまたすぐに割れそうだな、花瓶……。
 やれやれと肩をすくめ、なまえは次の作業に取りかかった。そろそろ受け付けを締め切らないと、今日だけで一ヶ月分の修理依頼がきている。

「ちょっと」
「はい? うわっ」

 振り返ると、笑顔の神威が真後ろに立っていた。
 なまえにはわかる。このいつにも増して貼り付けたような笑みは、不機嫌なときのそれだ。

「なんであの小汚いおっさんにはチョコがあって、俺にはないの?」
「あれは常連さん用の義理チョコです。営業ですよ営業」
「俺だって仕事を頼んだことあるだろ」
「あなたロクな仕事持ってこないじゃ……なんだ、義理チョコでいいんですか? それならそうと言ってくださいよ」

 本命がどうのと言っていたから断ったが、義理でいいなら話は簡単だ。
 バレンタインという名の戦いを乗り切るため、トラブル避けのチョコはいくらでも用意している。

「はいっどーぞ! 特別にふたつあげます」

 さきほどの客に渡したのと全く同じ包みを渡すと、神威はそれを素直に受け取った。しげしげと眺めたかと思えば、無造作に包み紙を開いてくちに放り込む。
 小粒のトリュフが神威のくちにおさまるのを確認したなまえは、達成感に顔をほころばせた。

「じゃ、もう用はないですね? さーお帰りくださいお客サマ」
「本命は?」
「なんでやねん!」

 思わずツッコんだ。なまえはどちらかというとボケなのに、神威といるとツッコミに回らざるを得ない。
 いやだって、いま食べたチョコはなんなんだ!

「おっさんが貰って俺にないのはムカつくじゃん。だからこれは欲しいけど、それはそれとして本命もほしい」
「あのですね神威さん」

 そもそもこの人は、バレンタインの何たるかを誤解しているのではないだろうか。

「本命チョコというのは、その名の通り本命、つまり好きな人にあげるチョコのことです。そしてわたしに好きな人はいません」
「いるでしょ。なまえ、俺のコト好きじゃん」
「は……」

 絶句した。
 そんな自意識過剰なセリフを、ここまで自信満々に言える男がこの世にどれほどいるだろう?
 いや、あながちただの自意識過剰じゃないのが困るんだけど……。

「おーい馬の尻尾ォ。いるかィ?」
「神威さん、かくれて!!」

 ある意味常連である男の声が響いて、なまえは神威をレジの後ろに押し込んだ。
 神威は海賊、犯罪者である。そしてたったいま現れたこの男は――。

「ったくおまわりさんの仕事もラクじゃねーぜ。ちと休ませてもらうぜィ」
「いや総悟くんいつもサボってるじゃん。あとわたしは馬の尻尾じゃなくて、なまえだってば!」

 馬の尻尾とはなまえのポニーテールのことだ。
 そんなふざけたあだ名でなまえを呼ぶ男は、客が置いていった椅子に勝手に腰掛け、図々しくも寝る体勢に入った。

「その椅子壊れてるよ。ほら、チョコあげるからお仕事がんばって」
「……義理?」
「ちがいます。義理はそこに置いてある小さいの」
「ふーん……」

 水色のリボンをかけられたやや大きめの箱を渡すと、総悟――沖田総悟は興味なさそうにそれを見つめ、けれど確かにポケットに入れて去っていった。
 危なかった……。
 また沖田が戻ってこないとも限らない。なまえはひとまず“閉店中”の看板を出して、まったく帰る気配のない神威をつついた。

「ほら神威さん、もう帰ってください。警察に見つかったら大変でしょ?」
「べつに、顔は割れてないから平気さ。それより」

 あれ、なんか心なし、さっきより不機嫌に……。
 神威をつついていた手を逆につかまれ、なまえは思わず冷や汗をかいた。なにかしただろうか?

「いまのが本命?」
「はい?」
「義理じゃないって言ってたろ」
「ああ……いまのは友チョコですよ。友達にあげるチョコです」
「なんだ」

 ぱっと手を解放され、なまえはほっと息をついた。

 なぜそんなに本命にこだわるのか……。
 いや、考えない。考えないぞ。
 他の男ならともかく、この男に関しては考えたら負けだ。
 こんなとき、鈍くなれない自分が憎い。

「俺は持ってきたよ。本命チョコ」
「は?」
「あんたには借りもあるし、お礼もかねてね。はい」
「あ、ありがとう……ございます……?」

 なにやら高級感あふれるハート型の箱を差し出されて、なまえは困惑気味にそれを受け取った。
 え、本命チョコ? 神威さんから、わたしに?

「で、お返しはないの?」

 えっと、こんなときって、どうすればいいんだっけ……?
 歴戦のバレンタイン戦士であるなまえだが、これは不測の事態だ。
 男から本命チョコを貰ったときの対処法なんて、いくら脳内の辞書を引いても出てこない。

「……あがってください」
「うん?」
「こんな高そうなチョコに見合うお返し出せませんから。せめてお茶くらい淹れます」

 しかたない。どうせ今日はこれ以上の仕事は受け付けられないし、店じまいだ。
 レジの後ろにある引き戸は居住スペースにつながっている。神威を居間へと通し、なまえは台所へと向かった。
 そうこれは、しかたがないのだ。だってなまえは錬金術師だから、等価交換の法則に則らなければならない。

「粗茶ですが」
「……これは?」

 お茶と一緒に円盆に乗せられたのは、華やかなラッピングをほどこされた特別大きな箱だ。

「お茶請けです」
「チョコだよね?」
「茶菓子です」
「さっきの友チョコより豪華に見えるけど」
「自分用です」
「でも俺にくれるわけだ」

 出しておいて違うとは言えないが、にこりと笑みを向けられると、今からでも引っ込めたい衝動にかられた。
 せめて箱から出すべきだったか……でもせっかく可愛くリボン結べたし……。
 メッセージカード……は問題ない。書いたそばから恥ずかしくなって全て捨てている。

「ふふ、やっぱりあるんじゃないか。俺への本命チョコ」
「ちがいますったら。宇宙をふらふらしている人になんか、作るわけないでしょう」
「手作りなの?」
「……まあ、お菓子作りは嫌いじゃないので」

 お菓子作りは錬金術に似ている。だから嫌いじゃないし、嫌いじゃないから、なんとなく作ってみただけ。
 そう言い訳をつらつら重ねている間に、神威は箱をあけてチョコを食べていた。

「うん、美味しいよ」
「……そうでしょうとも」

 いったいどれほど前から練習を重ねたことか。
 ……とは決して言わないが、さらに材料もこだわり抜いて厳選したのだ。不味いわけがない。
 いや万が一にも満足のいかない出来だったら、絶対にこの男には渡さないだろう。

「なまえもほら、けっこう良いやつ買ってきたんだよ」

 せっつかれて箱をあければ、たしかに宝石のように美しいチョコレートが並んでいた。
 ひとつ口に含めば、とろりと甘い香りが広がる。

「おいしい……」
第7師団(ウチ)にくれば毎日食べさせてあげるよ〜」
「だから海賊に就職はムリですってば」
「給料良いのに」
「ムリ」

 ふだんは質より量なふたりだが、今日ばかりは一粒一粒を大切に、ゆっくりと味わって食べた。
 この男と話して楽しい話題などないと思っていたが、最近神威の船で起きたトラブルや、仕事での冒険の話を聞けば自然と聞き入ってしまう。



「あ……お茶のおかわり、淹れてきますね」
「手伝おうか?」
「大丈夫です」

 空になった湯呑みを盆にのせ、そそくさと台所にさがる。
 ぴしゃりと戸を閉めて一人になるなり、なまえは静かにガッツポーズをとった。

 バレンタインとは、戦争である。

 いかにして好きな人にチョコを渡すか。
 いかにして好きな人にチョコを貰うか。

 そんな男女の思惑が交錯するこの日の最後に、なまえが思ったことはただ一つであった。

「うそみたい。渡せた……」

 会うことすらないと思っていたのに。
 渡す予定もないくせに、気がついたらチョコを作っていた。一瞬郵送も考えたが、まずバレンタインという文化は地球のもの。きょとんとされて終わりだろうと諦めていた。
 いやべつに、神威のために作ったわけじゃないけど……。
 というかあのチョコは自分用だ。なんとなく作ったはいいけど渡す相手がいなくて、しかたなく自分で食べようとしまっておいたものだ。

「等価交換だからセーフ、等価交換だからセーフ」

 いったい何がセーフなのか、自分でもよく解らないが。
 お茶のおかわりを淹れながら、ふわふわと高揚する気持ちをなまえは必死で抑えつけた。
 次第に思考が支離滅裂になっているのを感じる。ダメだ。どんどん自分がバカになる……。
 落ち着け、考えたら負けだ。なまえはあくまで、高いチョコのお礼に、手持ちのなかで一番上手くできたチョコを返しただけで……。

「あり、なにこれ? 俺の名前……?」

 はっとする。
 そういえば、メッセージカードを捨てたのは、居間のゴミ箱じゃなかったか。

「み、見ちゃだめーっ!!」

 バレンタイン戦争が、まさかの敗戦で終わらないように。
 今日という日が終わるまでは、気を抜けそうになかった。



2018.2.16


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