05. 宝石を廉売

 古い油の匂いがした。

「いらっしゃいま、せ……?」

 人の気配を感じて顔を上げると、開けっ放しの扉からぬるい風が吹き込んだ。その中に先ほどの匂いを探そうとしたが、もうどこにもない。
 気のせい、だったのだろうか。
 こんなものを読んでいるせいで過敏になったのかもしれない。トウコは読みかけの手紙を缶の箱に戻して、箒を手に腰をあげた。舞い込んできた砂を掃き出さねばならない。

「……どうしたものかな」

 想いの丈を手紙で伝える。実に古風で―もとい現代的でいいと思う。小説などで読むぶんにはトウコも好きだ。だが実際にもらう立場となると、非常に扱いに困る代物でもある。それが応えられないものだと余計に。
 捨てるのは感じが悪く、かといって後生大事にしまい込むのも悪趣味。本人に返すのも傷つけそうだ。とはいえ日に日に積もっていく紙束の処分を、いいかげん考えないわけにもいかない。
 人に相談できる内容でもないので、トウコはひとりで頭を痛めていた。

―トウコちゃん、いつもの頼むよ」
「はーいただいま!」
「ところで、例の件はどうなった?」
「いやーなかなか忙しくて」

 幾度目かの追求を無難にかわして会計を済ませ、いかにも忙しげに振る舞って会話を終了させた。
 ダブリスは田舎ではないものの変化の少ない町だ。話好き、噂好きな人間はいくらでもいる。人の噂も七十五日というが、あと三ヶ月もこれが続くのかと思うとうんざりしてしまう。

 ベティのことは結局うやむやなまま、時間に任せてやり過ごすことにした。
 自分で話すとは言ったものの、あちらから接触がない以上トウコの方から話を進展させる理由もない。なにかと知りたがる周囲に新たな燃料を提供するのも気が引けた。
 なにより、男女の問題などもうたくさんなのだ。ただでさえパンク寸前なのに、これ以上はとても抱え込めない。
 彼女を心配する気持ちがないではないが、トウコが会いに行って慰めになるとも思えない。いずれ落ち着いたときにでも話を聞けばいいだろう。
 そんなことを滔々と考えていると、ふいに入り込んだ風が頬をなでた。煙っぽい匂いが鼻腔をくすぐる。

「ようトウコ。なに読んでたんだ?」
「うわっいきなり出てこないで」
「ラブレターか」
「当てないで」

 頭の痛い問題、その筆頭の来訪にトウコはこれみよがしにため息をついた。
 手紙を読んでいるところを見ていた、ということは、しばらく前から様子を伺っていたのか。おおかた、店から人がはけるのを待っていたのだろう。

「ほら土産だ。アメは好きか?」
「もらう理由がない」
「貢いでんだよ。いいからもらっとけ」

 先日の一件でどうも食い意地の張った女だと思われたらしく、このところのグリードはやたらと食べ物を持ってくる。
 さして親しくもなく、ましてや一度ならず告白―と似て非なる何かを断った相手からの贈り物など受け取るべきではない。べきではないのだが、拒否しても毎度勝手に置いていくので、トウコはしぶしぶと品のいい紙箱を受け取った。

「……これ」

 代わりに用意しておいた小袋をトウコ差し出すと、グリードは意外そうに目を丸めた。

「くれんのか? オモチャ……じゃねえな。珍しい」

 中身はルビーのストラップだ。店先に出しているガラス細工とは違う、本物の宝石だと一見して見抜いたグリードはしげしげとそれを眺めた。さすがに強欲を名乗るだけあって目利きもできるらしい。

「等価交換ね。あなたが寄越すお菓子、どれも高級なんだもん」

 錬金術で作った宝石はあまり店には出さない。鑑定書を付けるのも面倒だし、トウコが売りたい価格とかけ離れてしまうから。
 なのでこれは贈答用だ。既製品に比べるとカットなどは甘いもののそれなりに大粒。グリードがこれまでに寄越した土産とも十分に等価となるだろう。

「人にやるなり売るなり好きにして」
「バカ言え。女からのプレゼントを他人にくれてやるほど野暮じゃねぇよ」

 言いながら、いそいそとベルトに提げるグリードにさすがに呆れた。

「そんなにありがたがられても困るんだけど」
「んだよ引くなよ。俺のために一生懸命作ったんだろ?」
「いや全然。ぽんと錬成して金具に嵌めただけ。手間で言ったらこっちの安い手編みの方が百倍かかってるから」

 カウンターの籐かごを指して言った。どれも安価でありふれた手芸品だが、錬成した宝石よりよほど気持ちの詰まった作品たちだ。
 これをグリードに贈るのは意味がない。というか、意味があると思われたら大変困るので却下だ。彼は仮にもこちらへの好意を表明しているわけだから、誤解を招きかねない物は渡せない。
 たとえばそう―大切な友人のためであれば、趣向を凝らして丁寧に、相手をイメージしたものを作るのだろうけど。
 今のところ、トウコにそんな相手はいない。

「あくまで等価交換。世間的な価値で釣り合うものを渡しただけ」
「錬金術師ってのはすぐそれだよなぁ。俺の気持ちへの等価交換、ってのはねえのかよ」
「キモいおっさんくさい大人しく石ころありがたがってろ」
「ひっでえ」

 粟立つ肌をさすりながらしっしっと片手で追い払う仕草をするも、グリードは見てもいない。ショーケースを鏡代わりに新しい装飾品の位置の微調整などしている。
 ……予算がないからと自作したが、失敗だったろうか。思わせぶりなことはしない主義だというのに、自惚れる余地を与えてしまっては自業自得を問われかねない。

「なんなの、別に好きでもないくせに」
「いや好きだって。俺にはわかるぜ。あと十年もすれば絶対、おまえは俺好みの美女になる。だから今からツバつけて教育しとこうってな!」
「下品な光源氏……」
「なんだそれ?」

 トウコが黙り込むと、グリードはさして追求もせずに話を変えた。

「ところでトウコ、今夜空いてるか? ウチに来いよ」
「だから、ひとをグレさせようとしないでってば」
「いいじゃねぇか。良い子なんかやめてグレちまえば、少なくともそういう紙切れ寄越す奴は減るぜ」
「モテすぎて辛いから非行に走ります〜って? バカバカしい」
「まぁな」

 この町の歓楽街は治安の悪さで有名だ。そこに通う姿を知られれば、たしかに幻想に懸想する者は激減するだろう。
 が、それで生じる新たな問題を考えれば本末転倒というものだ。

「……ほんとはこんなことで悩みたくないんだよ。ラブレターの処分だの冷やかし男の対処だの、それで起こる女の子とのトラブルだの、バカバカしい……」
「そうか? うちの酒場にもいるぞ、そういう女」
「えっ」
「まあ悩んでいても困っちゃいないみたいだが。モテりゃモテるほど金になるっつって、上手いことやってるみてぇだぞ」
「あ、そ……」

 ほんの一瞬仲間意識が芽生えかけたが、残念ながら参考にはならなそうだ。トウコとは違いすぎる価値観で生きている予感がする。

「……さ、もう帰って。そろそろ店番交代の時間だから」

 あと五分もせずに従業員が戻ってくる。
 昔から誘拐や変質者に遭いやすいトウコを心底心配している彼にかかれば、こんな見るからにガラの悪い男はいるだけで通報されかねない。

「出かけんのか?」
「買い出しにちょっと。ついて来るなんて言わないよね?」
「あー……今日はやめとくわ。あんま頻繁に出歩くのはな」

 頻繁に肉屋に通うのはいいのか。と突っ込みたかったが、裏社会の事情など聞かされても困るのでやめておいた。

「トウコ」
「うん?」

 先日の自己紹介以来、グリードはよくトウコの名を呼ぶ。歩み寄ろうとしているのか口説きたいだけかは知らないが―おそらく後者だろう―名前にすら興味を持たずにモノ扱いされるよりはずっといい。尊重されていると感じれば、トウコも彼を少し迷惑な隣人くらいには思えるようになってきた。
 続く言葉を待つトウコにグリードは「あー……」とうなって、躊躇うように首をひねった。

「……まあおまえなら大丈夫だろうが、何かあったら言えよな」
「うん……?」

 珍しく奥歯に物が挟まったような物言いに首をかしげたが、グリードはそれ以上話す気はないらしく「またな」と嬉しくない言葉を残して、ひと気のない裏道へと消えていった。
 その背中を見送ってから、トウコもエプロンと缶箱を片付けて出掛け支度をした。



§




 そこそこ人通りのある昼間の大通りで、トウコはふと立ち止まり、背中に回していたショルダーバッグをそっと前に移動させた。
 石畳を蹴る音が軽快に近づいてくる。

「トウコ〜! なにしてんの!」

 予期していた衝撃を背中で受け止めて、トウコは上体を折り曲げたままの姿勢で歩き出した。その上にのしかかっている少女がころころと笑う。

「ちょうどクレアの家に行こうとしてたところ」

 はい、と肩ごしに預かりものを渡すと、少女は破顔して受け取った。

「もう出来たの? すごーいありがとう!」

 全身で喜んでくれる彼女が可愛くて眩しくて、トウコもつられて笑った。
 頼まれたアクセサリーの修理はなかなか手間のかかるものだったが、この瞬間がなによりの報酬だと素直に思う。

「これから用事ある?」
「商店街で夕飯の買い出し」
「じゃあ一緒に行こ!」

 クレアは人懐っこい笑顔でそう言うと、トウコと腕を組んで歩き出した。少しばかり歩きにくいが、その不自由さが楽しくてトウコもされるがままにしている。
 と思ったら、急に服の袖をまくり上げられた。

「いいなーぜんぜん日焼けしてない! 見てほら、私なんかもうこんなにくっきり」
「健康的でいいと思うよ」
「えーやだよ。南ってどうしてこう日差しが強いかなあ」

 それからクレアはあれこれと容姿の悩みを愚痴りながら「肌がきれい」と言ってはトウコの手を撫で、「細い」と言っては腰をつかみ、「形がいい」と言っては胸を揉んだ。
 トウコにはあまり……いや全くない感覚だが、この年頃の少女というのはどういうわけか、体に触れ合うスキンシップをことさらに好むらしい。
 これが同性の距離感なのだろうといつも好きにさせているものの、せめてひと言断ってほしいとたまに思わないでもない。

「髪もさらさら。えいっ」
「あっ」

 くんと後ろに引っ張られて、高いところで束ねていた髪が背中に流れた。

「もう、クレア……」
「おろしてる方が可愛いよ。今日はそうしてて!」

 たしなめる言葉を引っ込めて、ため息とともに苦笑した。
 昔から彼女はトウコの髪によく触れる。もっと小さい頃など手慰みに編まれたり巻かれたり切られたりと、着せ替え人形のように遊ばれたものだ。
 束ねていた方が動きやすいが、その頃を思えば半日くらいは許容範囲内だし、遠慮のなさは彼女の美徳でもある。とトウコは思い直した。

「そういえば聞いた? あの子、ベティ・アーロン。婚約者と別れたんだって」
「え」

 寝耳に水だった。先日の一件を思い出し、つい思考が口からこぼれ落ちる。

「どうして……」
「さあ。近所の人が夜中に喧嘩の声が聞こえて見てたら、あの子が大荷物抱えて飛び出してきたんだってさ」
「……それだけ? なら喧嘩しただけかも」
「どうかなー。この前のビンタ事件もあるし、もうダメじゃない?」

 事件て。ゴシップ誌のような扱いにはさすがに呆れてしまう。

「ざまあみろだよね。あんなヒステリックじゃフラれて当然」

 好意や喜びを素直に口にする彼女は、しかし悪感情も平等に隠さず言葉にするきらいがある。
 憶測が大半を占めるそれに同意する気にはなれなくて、トウコは難しい顔で首をひねった。

「どうかな。事情を知らないし、そこまでは思わないけど」
「……トウコさぁ。せっかく人が、」

 怒りの矛先が変わりかけたとき、クレアはふいに言葉を切った。
 視線の先―トウコのずっと後ろを睨んで声をひそめる。

「……なにあれ」

 振り替えると、車道を挟んだ反対の通りで一人の男が踊っていた。……なんだろう。
 パフォーマンスという風ではない。運動とは無縁そうな肉の巨体をよれた服で包み、キラキラと光る何かを振り回して裸足で踊る男の姿は誰の目から見ても異様だった。道ゆく人々は男を避けるように大きく迂回している。

「うわー気持ちわるっ! 行こトウコ、関んない方が……え、なに」

 クレアの悪態が聞こえたのか、男はぴたりと動きを止めてこちらを向いた。直立不動でトウコとクレアを凝視している。

「な……なに、なんなの。怖いんだけど」

 クレアは怯えたようにトウコの腕にしがみついて二歩三歩とさがった。遠くて顔は見えないが、男はクレアの動きを目で追っているような所作をした。
 そうした挙動のいちいちに違和感を感じて、トウコはさりげなく半歩前に出た。男はまだこちらを見ている。その様子をじっと観察して、ハッとする。男が振り回しているのは刃物だった。

「クレア。一度どこか手近なお店にかくまってもらって……」

 言いかけたとき、唐突に男が全力疾走で向かってきた。

「きゃああーっ! トウコ、トウコ助けて!!」
「ま、任せて!」

 飛び出したものの、接近してくる男の顔をみてぎくりと腰が引けた。
 焦点の合わない虚ろな目。涎を垂れ流した半開きの口。とても正気とは思えない。
 男はトウコの数メートル先で急ブレーキをかけて、ゆらゆらと左右に揺れながら口を開いた。

「ぃしああ……ぃおええんあお……ああ……ぃおえあ……」

 ぶつぶつと何事か言っているようだが、その内容はひどく不明瞭だ。
 まっすぐ立てないのか不安定に体を揺らして、情緒不安定そうに刃物で自身を傷つけるさまは明らかに尋常ではない。手に握りしめている料理用包丁らしきものは血で汚れて見える。
 周囲には気づかず近くを歩く人もいる。トウコは緊張で手に嫌な汗がにじむのを感じた。

「うう……お、ぅな……ぃえへへへ……! えはははは!!」
「ひ……っ!」

 男は突然けたたましい笑い声をあげて、脂肪の塊のような容貌からは想像もつかない俊敏さで再び突進してきた。得体の知れない恐怖に思わず半歩あとずさる。
 だが後ろいるクレアを思い出し、腹に力を込めて踏みとどまった。髪を振り乱して向かってくる男を正面から待ち構え――刃物をかいくぐり、足を払って反転させた。

「やった! トウコつよーい!! さっすが!」
「離れて!!」

 すかさず飛んできた歓声に怒号で返す。
 手を引いて逃がしてやる余裕はない。地面に叩きつけられた巨体が痛みに呻くこともなく、上から抑えつけるトウコをどかそうと手足を荒れ狂わせているからだ。その闇雲な動きも膂力も人間離れしていて、まるで理性のない獣のようだった。
 長くは抑えられないと判断し、トウコは男の背中に圧力をかける膝をどかす代わりに頭に蹴りを叩き込んだ。男が飛び起きると同時、地についた手を軸に身体を回し、そばに転がっていたナイフを遠くに蹴り飛ばした。

「ぃぐぅいあああ!! いあ!! いあい!!」

 痛みで癇癪を起こした男が巨体を振り回して突進してきた。今度こそ制圧しようとトウコはそれに肉迫し―視界の端でひらめいた軌道を避けきれなかった。上腕に熱が走る。男の手には別のナイフが握られていた。
 それでもそのまま男の急所を狙ったが、おろしっぱなしの髪をつかまれてバランスを崩す。

「……っ!」

 だが倒れざまに身をひねって足を振り上げ、ナイフを持つ手首を払い飛ばした。さらに地面に手をついて男の顎を蹴り上げる。
 そのまま宙返りで身を起こして、即座に足先で地面に錬成陣を描いた。
 青い光がほとばしり、昏倒している男の胴体を厚い石が覆っていく。さほど丈夫な鉱物ではないが、素手で壊せる硬さでもない。
 よし、これで……。

「いつもの氷じゃないの?」

 思いのほか近くで声がして、トウコはがっくりと肩を落とした。

「逃げてって言ったじゃん……」
「でもトウコがいるし大丈夫かなって。ね、いつもの氷は? 水晶は? 私あれ綺麗で好きなのに」

 さてはそれが目当てで残っていたな。
 トウコは戦闘中に遠ざけた刃物を拾い集めながら、あとをついて回るクレアに答えた。

「いまの季節だと氷はすぐ溶けるし、硝子や水晶は壊すときに破片が危ないから」
「硝子と水晶って違うの?」
「どっちも二酸化ケイ素だけど結晶構造が違うの」
「ふーん」

 思っていた回答と違ったのか、クレアは退屈そうに唇をとがらせた。
 ふと腕に熱を感じて見てみると、左上腕が薄く切れて血が垂れていた。出血していると気付けば途端に痛みを感じてしまう。

「にしてもヤバい奴だったね。トウコ、なんか恨みでも買った?」
「覚えがないよ」
「冗談。私もう行っていいよね?」
「うん。わたしは憲兵さん呼ばなきゃだから……」
「そっか、ありがとね。じゃばいばーい!」

 最後に礼が聞けたことにほっとして、トウコは自分が存外に狭量だと気がついた。
 頼まれなくても助けたはずだし、怪我は自分の鍛錬不足と油断が原因だ。
 そう反省しつつ、一番近い憲兵の詰所に向かった。

 ―それにしても、と血で汚れたナイフを見る。
 一瞬かすめただけのトウコの血液はほとんど付着していない。刃にこびりついているのはおそらく男自身の血だ。一本目の包丁もそうだが、柄のあたりはすでに赤黒く乾いていて、男が長いこと自分を傷つけていたことがわかる。

「……一体なんだったんだろう」

 あの挙動といい、明らかに普通ではなかった。
 なにかが起ころうとしているのかもしれない。
 これはほんの予兆に過ぎない気がして、トウコは胸がざわめくのを感じた。



2020.04.07
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