02.高嶺の蕾

 初めてその女を見た瞬間のことは、いまでも覚えている。



§




 出来の良い人形を置いてんだな。最初はてっきりそう思った。
 すげえリアルだなぁ、なんて感想とともに通り過ぎようとした。そしたらいきなり目が動いたもんだから、そりゃあ驚いたぜ。
 そうだな、ぶっちゃけ不気味だった。肌もいやに白いしよ。
 あんまり人間離れしてるから、エンヴィーが化けてんじゃないかとも思ったな。あ? ああ、エンヴィーってのはまあ……こっちの話だ。
 だが話してみたら案外普通でさ、気が強くて俺好みな感じだった。
 まだガキだが、こりゃ将来すげぇいい女になると思った。人間……とりわけ女はすぐに年取るし、今のうちにツバつけとこうってな。

 けどまあ、そこは見かけに違わずガードの固いのなんのって……。自分の印象が良いとは思っちゃいねえが、まさかあそこまで冷たくあしらわれるとはな。
 ああいや、はじめは愛想も良かったし可愛げのある感じだったんだが、ちょいと口説いたら手のひら返したように冷たくなってよ。あ? 大したことは言ってねえよ。ただいつものごとく、俺の女にならねえか? って。そしたら「馬鹿にしてんのかこのクソ野郎」ってさ。そこまで怒られるようなこと言ったっけなぁ……。

「で、これからまた行くんすか。グリードさん」
「おう」
「気をつけてくださいよ。もし憲兵に顔を見られたら……」
「わーってるよ。指名手配されてるワケじゃあるまいし、少しくらい大丈夫だって」

 ひらひらと手を振り、なおも心配げな仲間たちに留守を任せてグリードは外へ出た。
 日陰者である彼にとってそれは危険を孕む行為ではあったが、まあたかが近所だ。百年近くここで暮らして土地のことも南部の憲兵の鷹揚ぶりも熟知している。
 顔を隠して生きるのはそれなりに不便で、あの悪趣味な兄弟の能力が欲しくなる日もあるが──まあこんな日陰の生き方もそれはそれで、性に合っているのだった。

 あの出会いから幾日か経った。
 後から聞いたが彼女はこの街ではそこそこ有名人らしく、仲間のほとんどはその存在を知っていた。酒の席で一言訊けば百が返り、おかげで今や彼女の噂で知らぬことはない。

 曰く、評判の良い精肉店の、これまた評判の良い看板娘。
 曰く、錬金術師の母を持ち、思慮深く温厚で聡明な少女。
 曰く、喧嘩では負け知らず。さらに類まれな美貌に恵まれた、誰もが憧れる高嶺の花。

 曰く、実は捨て子で、現在の両親はあくまで養父母。
 曰く、かなりの変わり者で気が強いのが玉に瑕。
 曰く、人並外れた方向音痴。

 曰く、恋人はいない。

 一部頭をひねりたくなる部分もあるが、美貌と喧嘩の腕だけならば事実だ。そして、グリードにとっては最後の一文だけで十分だった。
 おそらく今までにもそのトンデモ美少女の噂は聞いていたはずなのだが、ガキに興味はないからと聞き流していたらしい。あの日あの店の前を通った偶然に感謝するばかりだ。確かに子供には違いないが、あれほど美しい女を子供扱いしてはかえって失礼というもの。
 あれ以来毎日のようにアプローチを仕掛けている。そろそろ少しくらいなびいたっておかしくはないはずだ。
 今日こそはという思いを胸に、グリードは商店街に続く裏路地へと身を滑らせた。



「よお」
「……しつっこいんですけど」

 気安く片手をあげれば、少女は形の良い眉を露骨に歪めて吐き捨てた。そしてふんと鼻を鳴らしてそっぽを向くまでが、ここ最近で常習化しつつあるやりとりの一つだ。
 思慮深く、温厚で、聡明?
 どう好意的に解釈したらそう見えるのかグリードには疑問だったが、まあ人には色んな顔があるものだと適当に納得した。

「昨日ぶりだな。今日は店番はいいのか? トウコ」

 本人ではなく仲間に教わった名を呼べば、トウコは忌々しそうにため息をついてグリードの脇を抜け足早に歩く。

「あっち行って。おつかいの途中なの」
「一緒に行けばいいじゃねえか。オラ貸せ」
「あっちょっと!」

 右手に握りしめていたメモを奪い「最初は八百屋だな」と先導して歩く。

「返してよ! もう、返せってば!」
「いてっ」

 メモを持つ手を蹴り上げられ、小さな紙切れが宙を舞う。それをトウコより先にキャッチし、グリードはわざとらしく手首に息を吹きかけた。
 実際のところ大して痛くはないが、的確に関節を狙ってくるあたり嫌なガキだ。

「おーいて……。おまえそのガサツなとこ直さねえと、友達いなくなるぜ」
「大きなお世話! みんな頼りになるって言ってくれるもん!」
「よかったな。じゃあもっと頼りになるグリード様が道案内してやるよ。方向音痴なんだろ?」
「いいってば。全部この通りで買えるんだか、ら……。……なんでそんな事まで知ってるの」
「気にすんなって、ほら行くぞ」
「寄るなストーカー!」

 手を引こうとすればあえなく振り払われ、まあまだ仕方ないかと並んで歩く。
 端正な横顔には不満の色がありありと浮かんでいるが、一歩分の距離さえ保てば無理に逃げようともしない。グリードは道行く男たちの羨望の視線を一身に感じ、今だけでもこの女を手に入れたような快感にひたった。
 曰く。彼女を見た者は皆、誰もがひと目で心を奪われるという。まるで魔法か呪いのように。
 人それぞれ好みは違うものだ。どれほど美しくたってそんなことはあるかと言いたいが、思わず納得してしまう何かがトウコにはあった。
 町の人間だけではなく、また男だけでもない。老若男女に関わらず一時の恋心に身を焦がし、無理に滞在を引き延ばす観光客も少なくはないという。おかげかどうかこの町の宿屋は常に満室だ。
 しかし、誰もがこの美しい少女にほのかな恋心を抱くが、だからこそ本気で熱を上げる者となるとなかなかいないらしい。
 絶対に手が届かないからこその諦め。高嶺の花だと、言われなくても解るのだ。

「や、野菜が値上がりしてる……」

 まあ、実際に口をきけば、そんなことはないと二秒で判明するのだが。

「おまえの家ってそんなに貧乏なのか?」
「そういうわけじゃないけど……」
「けど?」
「……わたしがいる分余計なお金がかかってるから、家計の負担はなるべく減らしたくて」

 人生敵なしといった顔をしているクセに妙なところで謙虚な奴だ。彼女の年齢を考えれば可愛げのないガキとも言える。
 グリードは不審げな店主の視線を無視して、辛気臭い顔でトマトを吟味し始めたトウコの肩をぐいと抱き寄せた。口説いて連れ帰るのが一番の目的だが、それはそれとして、もう少し別の表情も見たくなったのだ。

「まあそう暗い顔すんなって! カネがねえならうちで飲もうぜ。この前いい酒が入ってよ、景気づけにどうだ?」
「だから、未成年にお酒なんてすすめないでよ。つか、触んな」
「じゃあ飯でも食ってけ。うちに来れば面白い連中がいるから退屈しねえぞ。カードは好きか? ダーツでもビリヤードでも飽きるまで遊んで行きゃあいい。な?」
「興味ない。わたしに構わないで」
「っと」

 何故か逆に機嫌を損ねてしまい、グリードの腕は乱暴に払われた。

(っかしいなあ)

 歓楽街の女は楽しいことが好きだ。遊びに誘えば大体は乗ってくる。仲間の中には元軍属の女もいるが、彼女もやはり明るく騒ぐゲームや酒盛りを好む。グリードの周囲にいる女はみんなそうだ。

 それに比べ、この女は馬鹿みたいに真面目だった。ああ確かに、こういうところを思慮深いと人は言うのかもしれない。悪い大人の誘いに乗らないのだから。
 現実離れした容貌にこの気位の高さが合わされば、そりゃあ高嶺の花とも呼ばれるのも納得だった。並の男がこの女に声をかけるには相当な胆力か情熱が必要だろう。
 だが本当は、本当の彼女は高嶺の花なんかじゃない。グリードはそれを知っている。

 会計を済ませるなりグリードを置いて行こうとする背中を追いかけ、その荷物を奪おうと後ろから手を伸ばした。しかしあっさりとかわされ、「ナンパ男の手助けはいらないから」と一蹴いっしゅうされる。

「お堅いねえ。もちっと気楽にいこうや」
「気楽と無節操は違うと思う」

 ああ堅い。ガードも思考も身持ちも堅すぎる。
 そうだ、これは花などではない。青くさくて幼いそのさまは、かたく閉じた蕾だ。

 正直もう、下手に迫るよりも友達から始めた方が早い気がしていた。数日眺めていて知ったことだが、この女は言い寄る男には厳しいくせに、それ以外の人間──つまり下心を見せない相手には別人のように態度が軟化する。
 一度友達の座におさまってから落とせばいい。そうすれば簡単なのだから。
 ……だが、それはグリードの矜持が許さない。

「おまえさ、俺の何がそんなに気に食わねえんだ?」
「ぜんぶ」
「具体的には?」
「初対面で、告白どころか自己紹介すらすっ飛ばして俺の女になれとか言っちゃうような、軽薄で失礼で無節操なところ。きっぱり断ったのにこうして毎日会いに来るしつこいところ。この世の物は全部自分の物とか言っちゃう傲慢なところ。そして隙さえあればセクハラしてくるところ!」
「おっと」

 尻に触れる寸前だったグリードの手は惜しくも払われ、トウコはひらりとスカートをひるがえして距離をとった。白い脚が陽射しに眩しい。

「……これで満足? 分かったらメモ返して、どっか行ってほしいんだけど」

 鬱陶しくてたまらないといった渋面でトウコは吐き捨てた。
 その内容のほとんどは直せないし、直す気もない部分だ。そこは仕方ない。そもそもグリードは、何かを手に入れるための自分を曲げる気がない。

「言いたいことは分かったが、ひとつ訂正がある。俺は傲慢なんじゃねえ、強欲なんだよ。強欲のグリード様だ」
「自分で自分を様付けって、言ってて痛くない?」
「ほっとけ。で、俺は強欲だからよ。欲しいと思った物は何がなんでも欲しい。おまえの言いたいことは分かったが、直す気はねえからおまえが妥協しろ。でもって俺の物になれ」
「は……」

 グリードが尊大に言ってのけると、トウコはぽかんと口をあけて固まり、次の瞬間、金的めがけて鋭く利き足を振りあげた。

「……っぶねぇな! おまえ、ここ蹴られたらめちゃくちゃ痛ぇんだぞ!」
「知るか! ていうかほんと、想像以上に、あんたのこと嫌い! 人を馬鹿にするのもいい加減にして」
「ああ?」

 間一髪でかわしたグリードを睨みつけてそう言ったトウコは、今度は膝裏に向けて回し蹴りを繰り出してきた。

「うおっ!?」
「ばいばい」

 かくんと体勢を崩したグリードから買い物のメモを奪い返し、さらにとどめとばかりに後頭部を蹴り飛ばして少女は走り去った。
 小さくなっていく背中を見送り、のろのろと立ち上がる。

「ってて……ほんと、見かけと真逆過ぎんだろ」

 まさかここまで凶暴な女だとは。
 今のところ自分が悪質なナンパ男、あるいはストーカーと認識をされていることは棚に上げて、グリードは蹴られた箇所をさすった。
 態度の割に手加減しているのか痛みはほとんどない。あれが温厚とは口が裂けても言いたくはないが、まあ甘い性格かもしれないとは思った。
 フードを深く被り直して顔を隠し、やれやれと帰路につく。肝心のトウコが怒って帰った以上、いつまでも表にいる理由はない。

「馬鹿に……したか? 俺。そこまでアレなこと言ったっけかなぁ……」

 酒場の女達はむしろ、もっと傲岸なセリフでも嬉しそうにうっとりと頬を染めるのだが、十代の少女の感覚は分からない。
 グリードは大きく首をかしげながら自分の所有する酒場へと帰り、酒盛りがてらに今日のいきさつを話した。そして女心をわずかでも解する者全員から猛烈なダメ出しを受けたのだった。

「グリードさんまさか、二百年近くも生きてて女心が解らないんですか」

 まさかだろ。
 女が欲しいと言ってはばからず、実際に欲しい美女は手に入れてきたグリードは軽く笑い飛ばした。
 が、よくよく考えれば思い当たる節がひとつ。
 グリードは、夜に咲く花の摘み方ならそれなりに知っている。とりわけ、陽射しから逃げて咲く花を摘んでは持ち帰り、部屋の花瓶に生けるような真似は何度もやった。
 だが彼女は、花と呼ぶにはあまりに幼い高嶺の蕾。
 残念なことにグリードは、蕾の摘み方や育て方に関しては、まったくの無知なのだった。



2017.09.13
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