夢描きの朝(宮高) | ナノ


夢描きの朝
宮地清志(大学3年)×宮地和成(大学1年)
それぞれ違う大学へ通っています


「みみみみやじみやじ!!みやじ!」
「うるっせぇ埋めんぞ!何だ葉山」
「ねっねっ、ちょっと指見せてくんない!?」
 開口一番何を言い出すかと思えば、まさに子犬のような瞳と一緒にそんな事を言ってくる。無冠の五将、そのイメージが強い葉山は、同じ大学に入学していた。サークルはもちろん同じで、今では暇のあるときにストバスを一緒にやりに行く程にまで、交流を持っている。
 お前もか、そんな目で葉山を見下ろしていた宮地が、ほらと左手ごと差し出した。きっちり薬指に嵌められた銀色の指輪を見て、物珍しそうにキャンキャン質問を投げ込んでくる。
 こいつのこう言うところ、そっくりすぎて最近はもう慣れたな。
「えっ宮地本当だったんだ!結婚したの!?婚約!?」
「あああもうお前本当うるせぇ!入籍だ入籍!」
「すっげー!オメデトー!誰!?だって宮地、こっちでそんな噂全然出てなかったじゃん!」
 答えを返すつもりでいても、すぐに新たな疑問をぶん投げられるから口を噤まざるを得ない。昔からロクに話を聞かない奴ばっかだ。
「ここにはいねーな、ついでに言うと年下」
「えっロリコぷげ」
「年下好きだからロリコンだってどこのどなたが決めたんだコーター?」
 口元を思い切り掴んでごてごてに揉み潰してやった。年下も可愛いよね、なんて同じグループの女子が葉山を見て言ってたけど、それはあながち分からなくはない。
「ててて・・・あっ、で?どんな子なの?」
「お前珍しくそう言う系で興味津々だな・・・誰かに詮索要請でもくらった?」
「違う違う、俺が珍しく興味津々なだけだって!!っていうかちょっと参考にしたくてさー」
 実は出来ちゃったんだよね!宮地の全神経に稲妻が走った。今この犬っころは何を言ったんだろうか?出来ちゃった?デキチャッタだと?
 肩を掴んで、今度はぐらぐらと勢いあるがままに葉山の身体を揺さぶった。女の名前は出ても、明らかにその広い交友関係の中にある友情の類だと思っていたが、違ったんだろうか。
 違う違う!否定の声がなんとなく聞こえた気がしたから、一応言い訳くらいは聞いておく。墓は俺が半年に一回のペースで世話してやろう。胸の奥でそう誓った宮地の顔は、何故か満足気であった。

「そっちじゃない!彼女が!できちゃったって話!」
「・・・かのじょ?」
「そうだよ、も〜〜〜宮地さ、たまに先走るよね?彼女が出来たんだけど、俺そういうの未経験だからさー、デートスポットとか教えて欲しいなって」
「そういう事な、びっくりしただろ!危うくお前の墓を立てるところだった」
「墓!?」
 とまあ、冗談が行き過ぎて本当になる前に、饒舌な口を噤んだ。彼女が出来たからおすすめのデートスポットを、と聞かれた気がしたけれど。正直聞く相手を間違えていると思う。
 入籍させたのはつい数ヶ月前、同居も同じ頃にし始めた。
いつかは一緒に暮らしたいと、大学生にしては少し広い造りになっているアパートを借りたのが良かった。予想以上に多かった私物はなんとか部屋に入ったし、日常生活で必要なものは一緒に買いに行った。・・・暗い夜道は手を繋いで帰ってきた。
 ただいま、おかえりなさい。その身近なやりとりはすでに当たり前になりつつあって、宮地は帰りを待つ後輩の姿を想像すると、無意識に顔がにやけてしまいそうになる。我ながら好きなものにはとことん甘くなってしまうものだ。
「宮地は彼女とどこ行ったりすんの!?」
「宮地サンだろゴラ」
「どこどこ?やっぱ遊園地とか水族館とかそういう場所のがいいのかなー」
 カバンから取り出したメモ帳、こいつ本気だ。宮地はその長身を少し後ろへ身じろがせ、じりじりと葉山との距離を広めようとする。
 それに気づいてか気づかずか、葉山も負けじとグイグイ宮地に近づいてきては頼りになる回答を求めてくる。こいつの後ろに尻尾が見える。
「普通にそこらへん歩いてるだけだよ、っつーか毎週そんな場所ばっか行ってたら生活もたねぇ」
「おおぉ・・・さすが宮地!じゃあさじゃあさー、女の子が好むプレゼントって何?」
「もうお前女友達に聞けよ・・・顔広いだろうが」
「だって俺の女友達、彼女とも仲いいんだもん!どこから漏れちゃうかわかんないじゃん!」
 いつ帰して貰えるんだろうかと、宮地は遠くを見つめた。
「適当にきらきらしたもんでもやっとけよ!」
「なにそれ雑!!」
「じゃあもう本人に聞けよ!知らねぇわ!」
「うええええ宮地が冷たい!」
 門の前で男同士何を取っ組み合っているんだか。横を通り過ぎようとしている他生徒たちの視線が痛い。途中には仲良くしている宮地の友人が横を通り過ぎようとして、またお前は後輩いびってんのかーと呑気に投げられた。そんな事をしていたもので、宮地はスキニーのポケットに入れていた携帯が音を鳴らしている事に全く気付いていなかったのだ。
 背後から誰かが走ってくるような音がして、葉山はそっちのけで振り向こうとした宮地に、時既に遅くとてつもない威力のタックルがかまされた。
 今日はなんだかずっとこんな感じだ。おは朝占いは最下位なんだろうか。高校を卒業してからおは朝占いを見る理由が大層無くなったわけだが、たまにメールで送信されてくる各々の順位は、正直笑えてくる。お前の順位とかもういいっつーの。
 
ちなみに先日のおは朝の一位は、メールを送ってきている張本人である緑間だった。ラッキーアイテムが一番最初に浮かんだ人物(ラッキーパーソンくらいに言い直せよ)だから、今日一日あいつを貸してくださいと言われたので、笑顔で拒否の返信をした。

まあ結局、同じくあの占いを見ていた相方は、大好きなエース様仰せのままにわざわざ緑間に会いに行ったんだろう。ちょっとイラっときた。
後ろを振り向けば、目線は先程まで喋っていた葉山よりほんの少しだけ下。ぎゅうぎゅうと腰に腕を巻きつけてきては顔を擦り付けている黒髪を、宮地は勢いよく掴んで引っペがした。
「高尾、うぜぇ」
「ひっどい!だって宮地さんが何回電話しても出てくれないから来たのに・・・」
「電話?・・・あ」
 取り出した携帯のロックを解除してみれば、着信マークがびっちりとバーを埋めていた。バイブも設定していたはずなんだが、葉山を喋っていて全く気づいていなかった。
 留守録を引き出せば、今日は大学の講義が休講になったからはやめに帰ります、といった内容だった。そこではたと宮地は重大なことに気付き、引き剥がしたばかりの高尾の身体を思いきり胸元へ引き寄せた。葉山と高尾の驚いた声が重なる。
「お前もしかして一回でも家に帰った?」
「え、あ、まぁ」
「馬鹿、どっかファミレスとかにでも入っとけよ!身体つめてーわ!」
「だって宮地さんきっとまだ学校にいるなってわかってたし、それならたまには迎えにって思ったんだもん」
 今度は高尾と宮地の言い合いが始まり、葉山が混乱したようにお互いを見つめる。本来の目的であった事は若干果たせていない気もするが、宮地の言うとおり今回は諦めて彼女に直接好みを訪ねたほうがいいようだ。
「葉山、俺もう帰るわ」
「今日はバイトないの―?宮地」
「さん付けろ!ねーの、だからこいつ連れて帰る」
「じゃーねコタちゃん!」
「ばいばい高尾!」
 いつの間にか親睦を深めていたらしい高尾と葉山は、こちらもまた定期的に予定を合わせては二人でどこかに遊びに行っているようだ。ぶんぶん明るく手を振る葉山に、まともなアドバイスをできていないが、なんとかするだろう。なんだかんだ言って人の事を思いやる奴だ。
 二人の背中が見えなくなる頃、葉山の携帯が着信音を鳴らした。ディスプレイに表示される恋人の名前を見てぱあっと表情筋が一気に明るくなって、通話ボタンを押そうとした時にふと気づいた。

「高尾って薬指に指輪してたっけ?」

 けたたましく響く音に、思い浮かんだ疑問はすぐさま片隅に放り投げて、葉山は恋人からの連絡をとった。


***

「あーーーーーーーーーーー!!!」
 家に帰ってドアを開けるとほぼ同時に、高尾の大きな声が響いた。部屋と外半々にその悲鳴が広がって、宮地はぎょっとしながら隣に立っている後輩の背中を押した。
「お前もうるせえわ!何なんだよ今日は!」
「みやっ宮地さんどうしよう」
「あ?」
 俺今日ずっとつけっぱなしで講義受けてたっぽいです、そう言いながら見つめている目線を追い、宮地の視線も動く。高尾の左手の薬指に輝く指輪の事を指しているらしい。ああと何も問題なしという風に呟いただけで、宮地はスニーカーを脱ぎそのままリビングへ移動した。
 後ろを焦ったようについて来た高尾の、それはそれは心底どうしたらいか分からない様な声が貴重で、悪いとは思ったがほくそ笑んでしまった。
「別にんなの珍しくはねーだろ、俺の周りにだっているし」
「ちがいますよ!俺つい最近まで彼女いないって言ってたのに、指輪はまずいっしょ!」
「・・・ふうん?彼女がいないって言ってたんだな、高尾ちゃんは」
「えっちょ、宮地さ」
「まあ間違ってはねーな」
 お前が彼女だもんな、少しかがんで宮地が高尾の耳たぶをがじりと甘噛みする。うひっと色気のない声でも、可愛いと思えばそれはもう末期だ。
 高校の頃からずっと大好きだったアイドルグループの推しメンが、一年ほど前に卒業と引退宣言をした。その当時はあまりの驚愕と受け止めきれないショックで、一週間ほど寝込みそうになったが、アイドルグループの中のメンバーとしては最後に出演した音楽番組、そのラストに行われた彼女の卒業のメッセージと涙を流しながらの笑顔が、今でも心に焼きついている。

そして、その彼女が宮地の背中を押したといっても良い。

私は皆さんに歌で笑顔を与えられたらなと思って、この居場所を選びました。本当はこれからもずっとずっと、ファンの皆さんと一緒にこの場所で精一杯頑張って行きたかったけど、私にとって、かけがえのない存在が、心の中で大きくなってしまいました。きっとこれからもその気持ちは大きくなって、いつかはその人と家庭を持ちたいと思っています。

『だから、私はその人との未来を夢見てみたいんです』

 翌日、新聞やテレビはその話題でもちきりだった。お相手は年上男性、職業はライブ会場のスタッフである一般人。飛び交ったのはファンからの不満の声と応援が入り混じったものが大半の中、マスコミでよく見かける辛口コメンテーターが、これまた珍しく宮地も納得するような事を言ってのけた。
 一般人になんて渡せないと言っているファンは、本当にこれまで彼女と喜びや悲しみを共有してきたのかねぇ。
 その一言で、宮地の中にあったわだかまりがすっと抜けた。ああそうだ、彼女を追っていたのは、単に歌やその美しさに惹かれたからじゃない。
 一生懸命に努力しているその姿を応援したくて、そんな彼女と色々な事を共有したかったから、ずっとファンでい続けた。
 宮地の吹っ切れは思っていたよりも早く、数日に渡り慰めていた彼の友人である大坪も、ようやく落ち着いたようだ。
「未来を夢見たいって、すごい綺麗な言葉ですね」
 その時の引退宣言を、宮地の家に遊びに来ていた高尾が見て呟いた。その羨ましそうな横顔に、ぽろっと言葉を漏らしてしまった事を、宮地は今でも恥ずかしく思っている。
「俺らも一緒に住もうか、って言ってきた時の宮地さん、本当に顔真っ赤でしたね!」
「高尾轢く」
「洒落になんねぇ!」
 高尾にとって免許をとった宮地のその言葉は、最早冗談には聞こえないらしい。顔を真っ青にして後ろへ引き下がろうとする高尾の足元に、落ちたままの衣類が放り投げられていた。声を出す前に高尾がその服を踏んでしまい、ぐらりと身体が大きく揺れた。
「ッ和成!」
 咄嗟に出たのは支えようとした腕と、彼を呼ぶ声。間一髪で高尾の背中に宮地の腕が回り、そのまま前へ引き寄せる。
 宮地は、相変わらず高尾の怪我や体調不振を見極めることが癖だった。サークルでもバスケを続けている自身はもちろん、後輩であった高尾の事も、さらに気にかけるようになった。
 足ひねってねーの?少し体をかがませて高尾を顔を覗き込むと、恥ずかしそうにうつむいていて、すっかり目が見えない。

「かーずー」
「〜〜〜宮地さん、ずるい」
「もう二人きりなんだからいいだろ」

 清志さん。きゅ、と控えめに握られた袖。小さな行動一つ一つでも、なんでこんなにも可愛いと思えるのだろうか。
 みゆみゆとはまた違う可愛らしさを感じる。まさか同性に守ってやりたいなんて感情が湧く日が来るなんて、一体いつの自身が思っていただろうか。
 一緒に暮らすようになってから、二人の間で作られた約束は全部で5つ。
 一つは、毎日の食事の締めくくりである夕食は、必ず手作りであること。もしサークルや学部の付き合いでそれが困難になりそうなら、事前に連絡をとって置くこと。
 二つ目、毎週金曜日の夜七時は必ず宮地にテレビのリモコンを渡すこと。ちなみにこの約束はこれまでに数回高尾によって破られているが、宮地も何も言っていない。
高尾曰く「たまには俺だってリアルタイムでみたい番組あるんですからね!」
 三つ目は、お互いアルバイトの給料から一定の金額を、ひとつの通帳に振り込む事。カフェバーでアルバイトしている宮地と、大学帰りに友人の親が経営している居酒屋で働いている高尾。どちらも同じくらいの給料ではあるが、実は宮地の方が毎月振り込んでいる額が少し多い。そしてその事は高尾も知っている。
 四つ目、学校の付き合いでも異性と二人きりでどこかへ行ったりするのはNG。もしやむを得ない時は、必ず日を跨ぐまでには帰宅する事。
 これは宮地がたった一度破ってしまった事があって、帰宅した時に玄関でぼろぼろ泣いている高尾に何度も謝罪をしたという極めてレアな過去がある。

 そして五つ目は、どちらかが素直になった時は相手もしっかりそれに応えること。これは高尾から提案された約束で、宮地がこれを普通にこなせる様になったのは最近であった。
「和成、こっち向け」
「嫌です、だって今この顔見たら清志さんぜってー笑うっしょ!」
「笑わねーから、ほら、和成」
「〜〜〜〜・・・・っ」
 ゆっくり上げられた目線を捉えると、ひっと声を出して高尾の動きが止まった。そのまま頬に手を添えてゆっくり唇を合わせた。
十秒。触れ合うだけの軽いキスを済まして、何事もなかったようにソファへ向かおうとすると、小さく震えた声で宮地の耳を確かに擽った。
「きよし、さ・・・やだ、」
「和成?」
「も、もっと、ちゅー、してくださ、ん、ン」
 言い切る前に今度は深く唇を重ね合わせる。漏れる吐息が脳を直接刺激して、二人きりの空間なのにどことない背徳感が訪れる。
ちゅく、くちゅと唾液の絡まる音を鳴らしながら舌を吸うと、いつもより少し高めの声が高尾から上がった。
 初めて身体を繋げた夜、暴いたその四肢は色に満ちていた。決して女性の様な膨らみがあるものではないのに、それまで関係を持った異性なんて比べ物にならないほど淫らな欲を誘われた。

 痛い、と譫言のように繰り返す高尾を抱き寄せて、赤子をあやすようにその固まった身体をゆっくり揺すった。気持ちいいかと尋ねる前に、涙でぐしゃぐしゃの顔に気持ちいいですかと聞かれてしまっては、素直に答えるしかない。
 それが随分嬉しかったのか、ふにゃりと緩んだ笑顔が宮地に向けられた。今思い返せば、あれがきっかけで高尾こじらせ病は悪化したのだと思う。
「んふ、ん、・・・う、あ、ンン〜・・・、み、ゃじ、さ」
「名前、ちゃんと呼べよ和成」
「ひぅ、あ、っくび、いや、きよ、清志さ、あんっ」
 段々高尾が下に下がっている事に気づく。脚はがくがく震えていて、最早今立っていられるのは宮地を支えとしている、それだけを頼りにしているのだろう。
 しばらく深く深く口づけをして、ようやく離した時には唾液は粘り気を増していた。舌で汚れた口元を拭い、ふーふー荒い息をしている高尾の頭を撫でる。決まったリズムが気持ちよかったのか、真っ赤な顔はそのままで身を任せてきた。
「・・・あ、清志さん、お昼」
「確かに腹減ったな。今日は?」
「俺が当番でっす!何がいいですか?」
 手際よくハンガーにかけられていたエプロンに手を伸ばし、テーブルに置いていたリモコンの電源を押した。大きめの液晶に映ったのは大好きだったアイドルの推しメン。
・・・推しメン?
「!?」
 液晶の斜め右上にあるテロップに自然と目がいった。テレビって、何が入ってても必ず斜めを見ちゃうんだよな。そんでその特集がなんなのか大雑把に理解しようとする。
「清志さんなんかあったんですか――・・・あれっ?みゆみゆ」
「高尾!ちょっとお前こっちこい!」
「たかおっ!?」
 あんたさっき自分で言ったくせに!ぎゃんと文句を投げつけてみたが、宮地はそれどころではないらしい。キッチンに立とうとしていたエプロン姿の高尾を半ば強引に隣に座らせると、真剣な眼差しで再び画面の向こうを見つめる。
人気アイドルグループの元副キャプテン、第一子妊娠発覚!予定日は数週間後≠サんなテロップが右斜め上で単色使いで表記されている。そこには、宮地の青春時代の一片であったアイドルの笑顔と、初めて見る彼女の恋人二人の仲睦まじい光景だった。
『いやーしかし初めて顔を公表されましたが、随分と好印象な青年でしたね』
『以前は賛否両論でしたけれど、とにかく今は無事にお子さんをご出産される事を祈る事が先決でしょうねぇ』
「えっ嘘数週間後に出産予定!?」
「よくこれまで騒がれなかったな・・・」
 最後に見た彼女の面影より、だいぶ落ち着きが見られる。母になるという事はそれほど偉大で美しい事なのだろう。長い髪を三つ編みで束ねて流しているその子は、確かに追い続けたアイドルだった。
『やっぱ母親になると変わるよねぇ、あとは周囲の支えで元気な子を産む事が、彼女の次の楽しみだねぇ』
「あ、この人清志さんの好きな毒舌コメンテーター」
「最近体調崩して休んでるとか言ってたのにな、回復したのか?」
 まじまじ見つめてみたが、案外そうでもない様子だ。こちらも最後に見た時よりもだいぶ痩けている。それでも、彼女の事を話す姿はまるで自分の子の事の様に嬉しそうだった。
「和成?」
「はい?」
 ぐす、と隣で鼻を啜ろ音がしてぎょっとする。大画面を見ている高尾の瞳からは涙がとめどなく溢れ、頬を伝っていった。
 なんで泣いてるのかだとか、何かしてしまったのかだとか、言いたい事はたくさんあったのだけれど、不器用な事しか言えない気がして、ゆっくり諭すように、でもぶっきらぼうに理由を尋ねた。
「可愛いだろ、みゆみゆ」
「、はい、可愛いっすね」
「あんなに膨らむんだな」
「そりゃあ人っ子一人入ってますからね、」
「そうだな。・・・子供欲しい?」
 ぼろっ。核心をついてしまったようだ。壊れたみたいに溢れる涙は最早止めることが困難だと思ってしまう程に、とめどなく高尾の顔を濡らしている。
「おれじゃ、な、くっ、て」
「・・・俺?」
「だ、だって、やっぱり、子供って可愛いじゃないですか、俺も好きだし、でも、でも俺」
 
清志さんのこども、作ってあげられないもん。

わああああと大声で泣き始めた高尾を見て、宮地の心には愛おしさだけが残った。テレビの先で幸せそうに笑っている夫婦の間には、小さな命が新しくやってくる。それが意図せずに高尾をゆっくり追い込んだのかもしれない。
今までそういう話は公にした事がなかった。しなかったというより、互いに避けて来ていたからだと思う。手に入れることのできない物程、欲しくて欲しくてたまらない。手を伸ばしてみても、遠ざかっていくばかりのその光を、高尾はその遠くを見据えることのできる瞳で、たった一人見つめてきたのだ。
「まー聞けよ、和成」
「う、うぁ」
「俺もお前も確かに子供好きだけどさ」
 すり、と額と額を寄せ合い、目線を同じ位置にする。真っ赤に腫れ始めている両目が痛々しい。あとで冷やしてやらなきゃな。腹も減った、早くコイツの飯食いたい。
「でも、俺は今のところお前以上なんていねーの」
「いまの、ところぉ」
「あーあーあー待て待て、最後まで聞け!」
「ううううう」

 同棲を始めた頃、二人で懐かしの母校へ足を運んだ日があった。真っ先に向かったのは体育館で、その日そこにいたのは、懐かしい監督の姿と、橙に色めくユニフォームの影。
 数十分ほど会話をしてから、それぞれ思い出のひとかけらである教室へ向かった。高尾が使っていた机が残っていて、彼の書いた落書きすらもそのままだった。シャープペンシルで書いたその文字の羅列は、既にぼやけていてはっきりとは読み取れない。それでも見えたのは「目指せ――・W――勝」の言葉。
 それを見つけた宮地は、高尾に気づかれないように写真に収めた。今でも彼の携帯のデータフォルダに大切に保管されている。

「先のことなんて分かる訳ねーだろ。でも、俺がいる内はお前の事誰かに手渡すつもりもねーわけ」

「・・・うん」

「もしお前の両親が、見合いだなんて言って可愛い女の写真送りつけてきた日には、俺は速攻お前のご両親に挨拶に行くよ」

「・・・・・・それ俺勘当フラグっすよね・・・」

「そうだな。でも俺はお前の事きっと手放せない」

 だって好きなんだから仕方ねーだろ。陽の光で、宮地の指輪がちかりと輝いた。昼番組の特集はとっくの前に別の話題に切り替わっていて、今度は有名な男性お笑い芸人の司会で新しい企画の説明をしている。
 その向い側の、二人がけのソファの上で、大の男が二人して抱き合って、片方は何を言ってるかわかんない位に泣き崩れているときた。決壊したその表情は相変わらず涙で濡れていたけれど、たまに混ざる笑顔のおかげで、なんとか見ていられる。
「おらいい加減泣きやめ、ブサイク」
「うえっ、ひ、ひどっ!」
「早く笑って俺に飯作れよ、和成」
 まあもしそんな時が来たら、俺がちゃんと面倒みるからこっちに来い。そう真顔で言えば、男らしすぎて涙が出ると言われてまた泣かれた。

***

「と、いうわけで」
 そんな感じの流れで同棲してんだわ、こちらも真顔で宣言したが、向かいに座っている女性の顔は驚愕で固まっている。そりゃ誰でもそうなるだろうなーと他人事みたいに考えていたのだが、これは居心地が悪い。高尾は正座していた脚を崩し、自分と似た瞳をしている少女を見据えた。
 久しぶりに実家に帰省してみたら、タイミングが悪く両親は遠出の買い物に出かけてしまっていた。夜前には帰るから、帰ってきたらせめて今日くらいは泊まりなさいと伝えてくれと言われた、妹の満面の笑顔で迎えられたのが数時間前。
 お互いの生活の変化を話しているうちに、言い訳がましい事を言うのがキツくなってきてしまって、結果カミングアウトをしてしまった。
 ごめん宮地さん、思っていた以上に決断の時が早く来そうだからちょっと歯ぁだけ食い縛っといて。冷や汗が流れそうになる精神状態と沈黙、それを破ったのは、ずっと黙り込んでいた我が妹だった。
 あ、その顔昔から癖だったよな。悩んで悩んで何かを決めた時の潔い真っ直ぐな瞳。たまにこの子にも自身のような鷹の目があるのではないかと思う時があるが、流石にそれはないか。
「お兄ちゃんって、ゲイなの?」
 直球の質問にぎくりと肩がこわばった。だってなんて返せばいいんだよ、実の妹にあなたはゲイですかと聞かれて、はいそうです男の人と付き合ってまっすなんて言えるわけがない。
(ああもう、でも)
 ここで誤魔化せば、裏切ってしまう人がいる。高尾の脳裏をよぎったのは、宮地と先日話した時に言われた言葉だった。
「ゲイではないと思う、それまで普通に女の子と付き合ってきたし。・・・だから、そういうんじゃなくって」
 宮地さんだから好きになっちゃったんだよね。零した理由はまるで高尾自身に言い聞かせるように、すんなりと流れ込んできた。一瞬その目を見開いた妹に怯えたが、次に聞こえた笑い声で場の雰囲気が一転した。
 高尾と同じ黒い髪。母親譲りのその色に、父親譲りの瞳。双子ではないから特別そっくりという訳ではなかったけれど、妹の思っていることは手に取るように分かるタイプだった。
「別にいいんじゃない?ぶっちゃけお母さんはなんとなく知ってたし」
「・・・   は?  え、何」
 先ほどと同じトーンで宣告された割にはとんでもない事実を聞いてしまった。冷や汗どころか顔が真っ青になりそうだ。
「前にさ、宮地さん連れてうちに戻ってきたでしょ?ほら、お兄ちゃんが荷物の取り忘れがあった時」
「あ、あぁ」
「あの時、なんとなくお母さん感づいてたんだよね。先輩後輩の仲じゃないこと」
 しまった、もしかして態度に出してしまっていたのだろうか?だとすれば自分はきっと、母に対してとても失礼な事をしていた。焦りに焦る高尾とは裏腹に、妹は続けた。
「そりゃ、すぐ受け入れたんじゃないよ。お父さんには言えないからって私に何度も相談してきたしね」
 でも、応援したいって言ってたよ。その一言で、高尾は体が一気に軽くなるのを確かに感じた。
 どこかで待っていたのかもしれない。血の繋がった人間に認められること、自分だけじゃなくて、大好きな人と一緒に認めて欲しかった。
 なんだそっか、俺はもう選んでたんだ。
「お兄ちゃんはさ、昔っから顔に出やすいんだよね!高校の頃付き合ってた人を連れてきたとき、すっごい幸せそうな顔してたの」
 その時とね、宮地さんの時が一緒だったの。優しく微笑んだ妹は、少し寂しそうに高尾を見つめ返している。もうちょっと早く私には言ってくれていても良かったのに。

「お兄ちゃん、今度宮地さんまた連れてきてよ!」
「えっ!?」
「お母さんがねー、宮地さんかっこいいねって言ってるの!私も実はすっごいタイプなんだ、だから、ねっ?おねがーい」
 両手を顔の前で合わせておねだりをしてきた妹の表情は極まてあざとい。あ、これか。清志さんがいっつも俺に言うのは。
 携帯のメール通知音が鳴り、高尾はたった一人その人だけのフォルダを開いた。翌日の何時に帰ってくるのか、という内容の文章に、朝一でとだけ返した。
『♪〜♪♪〜』
「はっや」
 送信して二分程、すぐに返信されてきた本文を見て、自然と顔がゆるんだ。向い合わせに座っていた妹のにんまりした笑顔とご対面。
「宮地さんでしょ〜」
「そうだけどさ、その顔やめなさい女の子なんだから!」
「なんてきたの?ねー見せて!」
「だぁめ」
 けちぃ!そのふてくされ顔も俺そのまんまじゃん。っていうか俺いっつもこんな顔してんだわ、帰ったら清志さんに謝っておこう。
 もうすぐ季節が変わる。彼と過ごせる四季を、できる限り目に焼き付けておきたい。そうしていつか、別れの時がもし来た時、その優しい記憶を抱いて、あの人のもとを離れよう。
――もし、もし彼の言う永遠の存在が、自分であるのなら。その時はおじいちゃんになった時に、二人でその記憶をたくさん思い返そう。
 あの時は素直じゃなかったね、あの時はおもしろかったねなんて、笑い合って、それから二人一緒に眠ろう。
「そうだ、ちょいちょい」
「なあに?」
「さっき宮地さんの事タイプって言ってたけど、ダメ」
 あの人は俺の大事な人だから。そう言うと、吹き出すように大爆笑をされた。そのブフォって笑い方もやめなさい、お嫁に行くときに結構重大なところだって。

『駅に迎えに行くから、着く前に連絡しろ』

「仰せのままに、俺の彼氏様っ」

 どうか俺のこと、待っていてね。

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