高熱クリティカルヒット | ナノ


 一度目のノックがした後、次行われる動作に少し時間の空白があった。何事かとシンドバッドが眺めていた書類から目を離し、内側から大きな扉を開く。そこに居たのは日頃誰よりも政務に心を入れ込んでいる政務官の赤く火照った顔と、彼を横抱きにして焦りの表情を浮かべている白羊塔付きのヒナホホの愛娘であり、ジャーファルに最も信頼されている女官だった。何が起きたのか全く理解できず頭痛がする。今日終わらせろとせっつかれていた地域別農地税率調査書への目通しはあと二割程で目処が付くが、大量の書類を持って王室を出て行ったはずのジャーファルのやる気満ち溢れた顔が見えない。まさか気づかぬ間にジュダルが侵入し攻撃され、魔法でも掛けられたのではないかと思うと一気に冷や汗が湧き出てきた。上司を姫抱きにしたまま女官が経緯を話し始める。
「朝から調子の程が優れていなかったようで、執務中いきなり椅子から崩れ落ちてしまったんです」
「あっつ、もう熱は測ったか?」 
 額に手を乗せれば急激に触れた高い温度に反射的に退いた。39度と少しありましたと言われ今度はシンドバッドの顔が血の気を無くす。次に後悔に苛まれる。ここ数日様々な執務や審議が運悪く一気に重なり、王宮内は自然とバタバタ騒がしくなっていた。文官と武官の数は圧倒的に武官が多く、特に白羊塔は終わりの見えない政(まつりごと)で疲労と混乱を極めていたのだ。今朝の朝議で事務的な連絡をしていたジャーファルは確かに普段より血色が悪く、なんとかして休ませようとしたのだがシンドバッドの巧みな言葉と以てしてもこの国の政務官は眠る気がなかったらしい。今日で5日目の徹夜だと聞いていたが、やはり手錠をかけてでも部屋に放り込むべきだったと自分の甘さを非難した。ただでさえ白い肌が、熱を持っているのにどこか青白く透き通っている様に見える。
「書類は?」
「私共の方で確認しております、普段からジャーファル様の確認方法を教わってきておりますので失政はありません、どうかご信頼の程を」
「いや、ありがとう。白羊塔の皆のおかげで本当助かるな、あとで折り返し俺が様子を見に行こう」
 ところでよく姫抱きで連れてきたな、眉を下げそう笑ったシンドバッドに女官は気恥かしげに両手を組み部屋を後にした。あとでこいつにも教えてやろうか、きっと申し訳なく思って顔を真っ赤にして彼女に謝罪するんだろう。目の下に深く刻まれた隈も、恒例の睡眠不足のせいでいつも以上に黒かった事も気づいてやれなかった。一番大切にしている部下の変化にすら対応できないとは情けない、大きくため息を吐きシンドバッドは王執務室の隣にある自身の寝室へジャーファルを運んだ。あまりに軽いその体は思っている以上に大食いなのだが、幼少期の生活から太らない体質のようで余分な肉がどこにあるのか、目で見る限りではわからない。が、
「ずっと政務ばかりさせていたからだな?」
 仰向けに寝かせたジャーファルの官服を少しはだけさせ晒された縫合痕のある太股をふに、とつまんだ。腹に肉が溜まらないのは幸いで、昔から体を動かさない期間が長くなると太股に脂肪がつく子だった。最後に触れた時よりもふっくらしている。骨のような体つきだったジャーファルには良い事だ。顔が少し細くなっている事に気付き、やんわりその熱を持った頬を撫でれば、意識が少し戻ってきているらしい。んんんと唸って首を捻った。


 ――出会った頃は歩く場所に生えている雑草を口に含もうとする危険な子供だった。勿論彼が悪いわけでなく彼をそう洗脳していた環境が問題にあるのだが、ジャーファルの味覚を通常にするまでにはかなりの時間を要した事を今でもしっかり覚えている。毒キノコや麻痺草の見分けは出来るくせに、それを簡単に摘んでは懐に入れるのだから目を離せない。耐性がついているから問題ないと虚を映す視線で言われ、頭に血が上り一度その毒草を自らが食べた事がある。案の定思い切り経験したことの無い嘔吐感に襲われたシンドバッドを涙目になりながらごめんなさいとつぶやき、その数分後に解毒草を探してきたのもジャーファルである。自分が殺気を持って毒草を取ったと勘違いされたとでも思ったのか、その日の謝罪を切欠にして彼の食生活に少しの変化が見られた。
「毒草や麻痺草には目もくれなくなったな」
 自分の隣で生きていく事を決めてくれたあの小さな少年は、確かに暗殺者だった。その過去は拭える事はないが道を歩き直す事はできる。その人生を邪魔する権利などは他人にはないし、シンドバッドにすらないのだ。
 ごりごりと擦り棒で細かく砕いた薬草を、女官に運んでもらった粥に混ぜ込み再び蝋火にかける。シンドリアで採れる麦原料は、東の国で育つ小麦よりも硬い。その為火にかける時間も相当のものを要するが、味は病人の食べるものとしては文句のない絶品だった。ちなみに俺は好きじゃない。
 ふと気配が一つ増えた気がしてベッドを見ると、静かに寝息を立てていたジャーファルが焦点の合わない瞳になんとかシンドバッドを映そうと首を傾げている。熱に浮かされているせいか濃緑色をした両目はどこか大きく潤んで見える。蝋の火をふっと息で消すと、部屋の灯りが小さなランプのものだけになった。ごめんなさい、たった一言掠れた声で呟かれる。
「俺の方こそすまなかった、すぐに気付いてやれなかったな」
 伸びてきた手がシンドバッドの頬を捉えたかと思うと、その熱い手の平ですりと撫でられ目を見開いた。オフホワイト、陶器製のミニチュアテーブルの上に乗せられた器の中には白い粥が少量取り分けられ、そこから半透明の湯気が立ち込めている。昔お前によく作ってやっただろうと言えば、ようやくその口元が静かに微笑んだ。
「お前の胃が草しか受け付けなかった頃だ」
「懐かしいですね・・・ん、あ、シン様、ちょっと待って、これ何か入ってませんか・・・?」
 すんと動かした鼻は立派な嗅覚をしている。手で粥を仰げばその香りが強くジャーファルへ伝わったらしくぐっと眉間の皺が深く寄せられた。
「麻黄」
「正解、お前の大嫌いな麻黄」
「嫌です・・・飲みたくありません、口に残るんです、苦味が」
 あれ程阿呆みたいに毒を進んで噛んでいた奴が凄いことを言うもんだと瞳を瞬かせた。しかしこれも良い傾向で、そしてそのいい傾向に釘を刺すようで申し訳ないのだが、最初から拒否される事が分かっていた上で粥に混ぜ込んだのだ。大きめの匙で麻黄の混ざった殆ど液状に近い粥をジャーファルの口元へ運べば、上目で最後にもう一度拒否をされる。絆される術を使ってくるんだからしょうがない奴なのだ。
「ぅぇ・・・」
「口開くなよ、ああもう子供じゃないんだからちゃんと飲み込めジャーファル」
 んべ、と舌に乗せたまま一向に嚥下される気配のないまっさらな粥をじっと眺める。もやっと浮かんだ素直な感想をつい口にしてしまうと、勢い良くそれまで残されていた栄養が飲み込まれシンドバッドは失笑した。
「俺のを飲んだ後みたいだな」
「・・・シン、指、どうかなされたのですか?」
 差し伸べられた手がシンドバッドの右手を掴んだ。まだ熱が下がっていない体は十分に熱く、シンドバッドにまでその温度が伝染してくるのではないかという程だった。数年振りに一人で作ったおかげで見事に薬草の処理の仕方を忘れていたおかげで、シンドバッドの指は麻黄の荒い茎で傷が付けられている。冒険をしていた頃はよくある大きさのものだが、ジャーファルが不安げにその切り傷を見つめ二度目の謝罪を向けてきた。
 ふいにその掴まれていた指がジャーファルの唇へとんと触れる。何をするのかと見つめていると、そのまま傷が深いと見える中指をぱくりと含まれシンドバッドは肩を大きく震わせた。柔らかい口内でちゅぱちゅぱと唾液を絡ませながら顎を前後にストロークさせる動作はなんとも如何わしい気持ちになる。大きくなった瞳を揺らしながら一生懸命に指を喰むジャーファルの頭を撫でると、まるで子猫の様にその瞼を閉じ幸せそうに、どこか惜しそうに指を口から離した。「何をして欲しい?」
「なんでもいいのですか?」
「できればお前の側にいたいから仕事以外だと助かる」
 ちなみに言われていた仕事はあと少しで終わる、そう耳朶に軽く口付けを落とすと、細い腕がシンドバッドの背中に回り込みきゅ、とジャーファルの体が密着する。細い髪の毛を撫でていると不満げに頬を膨らまし、熱く篭った吐息を首元にかけられ更に欲が大きさを増しそうになる。相手は病人なのだ。
「もう、私は子供じゃないんですよ」
「お前そういう確信犯やめなさい」
「もっと、ん、ちゃんと抱き寄せてくださいな、シン様」
 閉じた瞳と程よく膨らんだ唇が続きを強請っている。ぐぐぐとシンドバッドの天秤が大きく揺らぐ中、風邪で意識が散り散りになっているジャーファルの肩をなんとか押し、理性を貫く姿勢を見せた。
「俺に風邪が移ったら自分のせいにするだろうが」
「その時は自分を貶す私を叱って下さい、ですから、今はお願い・・・」
 我慢ができないといった声で願われてしまってはシンドバッドに成すすべはもう残されていない。いつもならば囁く側である愛の言葉が、目線より少し下から惜しげもなく零される。風邪をひいているわけでもないのに頭がぼうとして可笑しくなりそうだった。先ほど舐めていた指を再び口に含み、唾液を絡ませちゅぽちゅぽと鳴る音がやけに淫靡で部屋の中が明確に閨の雰囲気を見せてくる。まるで口淫をしている時のようだと風刺を込めて囁けば、へらりとだらしのない笑顔で返事を返された。熱というものは本当に恐ろしいものだ。
「俺もお前だけだよ、だからあまり無理をしないでおくれ、なぁジャーファル」
 唾液の糸が卑猥にジャーファルの唇から伝わる。汚れていない方の手をジャーファルと絡ませ合い、子供の戯れみたいに握ったり離したり、そんな行為を繰り返す間に時々お互い見つめ合いながら優しくキスをする。
 本当にその繰り返しだけなのだ。親鳥が雛に餌を口移しで与える行為に似ている気がしてきてしまい一度思い切り吹き出し笑ってしまいジャーファルがむっとする。体調が思わしくない人間に一体自分は何をしているのだろうか。たまらなく馬鹿げているし、無性に気分がいい。
「ふあ」
数度目のジャーファルの舌触りから指が解放される。
「指が潤けるかもしれないな」
「シン、熱いです・・・」
「熱上がったんじゃないだろうな、あ、こらちょっと待」
 隙を見せると再び唇が触れ合う。せめて唾液の交換だけはしないほうがきっと彼が後々自分を責める結果にはならないだろうと軽い啄みを繰り返していたが、その単調な行為に飽きが生まれ始めたジャーファルのざらりとした舌が無理やりシンドバッドの唇をこじ開けようとする。確実にその後の後悔は見えているのだとジャーファルを引き離そうとするも、その度に泣きそうに歪められる表情に良心が痛む。いつだって、こいつに弱いのは俺なのだ。
「ジャーファル、したいの?」
「ちがう・・・」
「じゃあ何がしたい?」
「ちゅーしてください?」
 これじゃあもう今日の政務は手につかない。どうせあと少量で終わる軽い作業、明日彼が寝ている間にでも早く起きて確認しなおそう。安静にさせようとしていた予定が優先順位から見事に外されたのは当事者であるジャーファルが悪いのだ。たとえこの後正気に戻り始めたとしても止めてやれる自信は全くなければ、自分が風邪を移されたところで何も感じることはないだろう。強いて言うのなら看病の相手が逆になるだけだ。
 ぬるりと絡まりあった舌にジャーファルの瞳がとろりと甘い意識に攫われる。白い素肌に手を差し伸べれば恥ずかしそうに両目を閉じ、それでもその先をもっとと強請ってくる。くちゅ、ちゅぷと態と音を鳴らしながら歯列をなぞり小さな舌先を弄ると、小さく漏れる声がたまらなく支配欲をそそった。汗ばんだ体にジャーファルの中着がくっついている事に気付いたシンドバッドが脱がそうとする最中にすら、首元をかぷりと甘く噛みちゅうと吸い付いてくる。
「後で死んでお詫びをとか言うんだろ」
「その前に死ぬほど気持ちよくして下さいな」

その誘い文句どこで覚えてきたんだお前は、投げかけようとした質問もくだらないものに思えてきてシンドバッドはそのままジャーファルの太腿に自らの脚を差し入れた。

「ところでジャーファル、太腿太くなったな」
「でりかしーってもんないんですか!?」




18万キリ番でいただいていたリクエスト「ジャーファルが風邪をひいてシンだいしゅきぃぃぃなお話」でした。
すっごくすっごく楽しかったです。藍羅様ありがとうございました!


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